わが心の神戸(8/8)

わが心の神戸・Ⅷ(過去ログ・神戸散歩

ふじ丸

 うす曇りの神戸港に時おり汽笛が響く、昨日16日、クルーズ客船「ふじ丸」を観に中突堤に出むいた。
 私がクルーズ客船を観に来る目的は二つある。
 ひとつは船の外観に込められた設計者をはじめ船造りに携わった人々の「こころ」に触れたいためである。それには外観を観るだけでは不十分で、内部に足を踏み入れなければ目的を達せられないが、それでも外装を見るだけで内部のイメージを十分に膨らますことができる。
 ここに来るもうひとつの目的は、それぞれに個性ある華麗にして優雅な客船が、ミナト神戸を取り込んだ止まり場に錨を下ろしたとき見せてくれる一幅の絵にわが身を沈めるためにここにやってくる。
 それは色あせた私の夢をかきたて、いつか見た遠い日の夢に誘ってくれる。

 ちょうど中突堤の西側ハーバーランド高浜岸壁に、航海練習帆船日本丸が係留していた。
 ふじ丸のうしろに日本丸を、帆船のむこうにふじ丸を配し、シャッターを切った。

船籍:日本 総トン数:23,235トン   
就航年:1989年4月 全長:167m 全幅:24m
旅客定員:600名  乗組員:120名
喫水:6.6m デッキ 8層 
主エンジン:Diesel(10,700ps×2)

投稿者 愉悠舎 日時 2006年5月17日 (水) 神戸散歩 | 個別ページ


ボンボヤージ


 クルーズ船「ぱしふぃっくびいなす」が30日午後3時神戸に帰ってきた。タイミングよく接岸状況を見学することができた。この船はサイドスラスター(プロペラ)がついており、離接岸時に横移動が可能である。写真で波立っているのが分かると思うが、プロペラが船首の船体下部両側に設置されており、これを作動させて横移動を行う。これによりタグボートでの接岸作業が不要となる。
 このクルーズ船は「韓国・台湾 あまから美食クルーズ 」と銘打って3月23日に神戸を発ち釜山(韓国)〜基隆(台湾)〜鹿児島と巡り、明日横浜へ入港する。

ぱしふぃっくびいなす概要
就航年月:1998年4月、総トン数:26,518トン、全長:183.4m
幅:25.0m、主機:9,270馬力×2基(ディーゼル)、旅客定員:696名、乗組員:204名

 

 ところでこちらは、明日からベルギー・オランダの旅にでる。花園キューケンホフ公園の開園時期(3月23日から5月19日)に合わせての訪欧である。
 阪急交通公社のツアーに参加、当然ながら飛行機はエコノミー、ホテルはスタンダードで8日間の行程である。

旅程は次の通り:
関空airplane→ヘルシンキairplane→ブリュッセル→ゲント→ブルージュ→アントワープ→ハーグ→オッテルロー→アムステルダムairplane→ヘルシンキairplane→関空(右、写真は阪急交通公社ホームページより)

 それでは行ってきます。

投稿者 愉悠舎 日時 2006年3月30日 (木) 神戸散歩 | 個別ページ


海のロールスロイス


 6日に続いてイギリスのクルーズ船サガルビーが8日神戸港に接岸した。場所はクイーンエリザベス2世(QE2)と同じ新港第4突堤、QE2に比べてただよう風格はないが、海のロールスロイルと呼ばれ、内装の素晴らしさが売り物らしい。

 船尾の3層からなるオープンデッキに設けられた長椅子に身をゆだね、神戸港をじっと見やる人の姿が印象的だ。
 カップルもいれば、ひとり静かに読書する人もいる。船外に出ず停船のひとときを船内で過ごす人が結構いる。外に出る体力がない人や、寄港地を何度も訪れている人もいるだろうが、海の旅そのものに浸るため、陸に上がらない人もいるのだろう。
 人は胎内回帰願望を抱く、母なる海に浮かぶ船はかつていた母親の胎内であろう。母の奥深くに包まれて、心の平穏をむさぼる人に、下界は必要ないのかもしれない。


船籍:イギリス  総トン数:24,492総トン  建造年:1973年
全長:191.09m  旅客定員:655名

 


投稿者 愉悠舎 日時 2006年3月10日 (金) 神戸散歩 | 個別ページ

海の女王


 3月6日朝、クイーンエリザベス2世号が世界一周の途中神戸にやって来た。今年のはじめニューヨークを出発、南太平洋からオーストラリアを廻り、台湾の基隆から神戸を経て上海へ、そこからインド洋沿岸の各地を巡り、スエズ運河に華麗な姿を浮かべ、地中海を航行したのちイギリスまで、110日間のクルーズである。
 投錨バースは新港第4突堤である。場所は三宮の鉄道ターミナルを南下し、国道2号線を越え神戸税関前を左にカーブし5分ほど歩いたところにある。


 この船を眺めていると見たこともないタイタニック号を思い浮かべる。今も、クイーンエリザベス号をオーナーとする会社と、ライバル関係にあったオーナーのタイタニック号が処女航海中に氷山に衝突した事件は、豪華さとスピードを競った末の惨劇であったかもしれない。タイタニック号の悲劇は近年映画にもなり、1世紀前に起こったできごととは思えない生々しさがある。



 その上私は、タイタニックを造った北アイルランドのハーランド&ウルフ社と若い頃仕事で関わったことがあり、ひとごとでない近しさがある。
 映画のタイタニックは階層社会の縮図そのものである。富める者と貧しい者の在りようが、かくも違うものかと。




 タイタニックの流れを受け継ぐ豪華客船クイーンエリザベス2世の外観からもそれを垣間見ることができる。本体部分5層から成るキャビンの窓の大小、ボートは、カプセル型から無蓋のボートまである、これらはキャビンの等級に応じて割り当てられているのだろう。
 もし、この船の乗客として船内に足を踏み入れる機会に恵まれたならばその格差に、貧しき私は打ちのめされるのであろう。



船籍:イギリス  総トン数:70,327総トン  
建造年:1969年  全長:293.53m 全幅:32m
旅客定員:1,850名  乗組員:900名 
エンジン1:110,000HP(タービン、2軸)
エンジン2:88MW(1987年ディーゼルに換装、2軸)

投稿者 愉悠舎 日時 2006年3月 7日 (火) 神戸散歩 | 個別ページ

新開地のビリケン像


 「ビリケン像発見」と聞いて、春を感じる温かい陽射しの昼下がり、見つかった神社を訪ねた。場所は神戸の新開地本通りと国道2号線が交わる湊町の交差点を西へ少し行った山側、鎮守稲荷神社の本殿の中にあった。
 とりあえず仮に祀られているという感じで、ビリケン像は今後の身の振り方を思案しているような表情を見せて鎮座していた。高さ80cm、幅60cmと、通天閣のビリケン像よりひとまわり大きい、ちなみに通天閣の像は高さ55cmである。
 昨年、「本殿の裏で見た」という情報を手がかりに、永い眠りから覚めたらしい。




 

 神社関係者の話では昭和20年ごろ、ここにあったと記憶している人がおり、また寄木造りの空洞の体内から「昭和5年・・・」の記録が出てきたので、その頃の作品と推測されている。
 ビリケン像は1908年(明治41年)にアメリカで生まれ、その後世界中に広まり、翌年、東京の銀座に上陸し、神戸には大正時代のはじめ、アメリカの水兵によって持ち込まれた。




 ここから500mほど浜側にもうひとつビリケン像がある。新開地本通りに続く川崎本通りと並行して西側に稲荷市場がある。震災後その活気を失くしてしまったが、勤め人の頃私はよくこの市場を通って職場へと急いだ。 市場を出たところに松尾稲荷神社がある。神社内に鳥居が並びその奥にビリケン像が鎮座している。大きさは鎮守稲荷神社のものと同じぐらいだが、像と一体となった俵の上に座っているのでより大きく見える。





 このあたりはもともと湊川が海に注ぐ河口にあたり、湊川付替え工事により川底は人々が行きかう歓楽街になった。その名を新開地と呼び、神戸一の繁華街として永らく栄えたが、今は昔日の面影もない。松尾稲荷神社は新開地の先にある造船所近くの神社で、その昔新開地にあった福原花街の芸妓さんたちが商売繁盛を願って詣でた。

 戦前造られたビリケン像の存在が判明しているのは、この二つのみらしい。
 大阪通天閣のビリケン像は戦後の作品で、2代目である。
 戦時中「舶来の神」として受難の道を強いられ、日本からその姿を消してしまったと思われたビリケン像が、なぜ神戸で生き残れたのか、当時神戸には上海租界のような、自国の権力が及ばない自由な風土が醸成されていたのではないか、暗い時代にあっても自由で伸びやかだったミナト神戸の精神を、いつか書いてみたいと思う。

投稿者 愉悠舎 日時 2006年2月23日 (木) 神戸散歩 | 個別ページ


太平洋の白鳥


 ハーバーランドにあるホームセンターに立ち寄った。中突堤に帆船が寄港していた。聞くところによると航海訓練所の練習帆船「日本丸」(2570トン)らしい。帆は広げていないが、幾何学的な美しさにしばし見とれていた。この帆船は「太平洋の白鳥」と呼ばれ、メーンマストの高さが50mと15階建てのビルぐらいある。


 船は二代目で、「初代日本丸」は「太平洋の貴婦人」と呼ばれ、20年前惜しまれながら現役を引退し、現在横浜港で保管されている。いま「新・日本丸」が係留されている中突堤のすぐそばで「初代日本丸」が建造された。ときに1930年、75年のときを経て初代を生んだ同じ場所に二代目が浮かぶ。
 ミナト神戸は奥が深い。


投稿者 愉悠舎 日時 2005年12月 4日 (日) 神戸散歩 | 個別ページ


秋を惜しむ


 神戸の自宅から車で20分ほど有馬街道を走ると有馬温泉に着く、食事に入浴がついて三千円でくつろがせてくれるという有名どころに連れ合いとでかけた。

 震災前、我々一介の勤め人には敷居の高かった有馬の湯も、近年大衆路線へと方向転換したのか我々の手のとどくところまで下りてきた。


 この時期有馬はもっとも紅葉が映える、そして観光客が多く訪れる時期でもある、街のいたるところで若い女性の姿が目立つのは気のせいであろうか。
 昼食後一時間ほど界隈を散策した。起伏に富んだ有馬の湯はやはり名湯である。

 


投稿者 愉悠舎 日時 2005年11月24日 (木) 神戸散歩 | 個別ページ


神戸外人墓地に寄って


 神戸に住むものにとってありがたいのは、どこからでも気軽に六甲山系に登れることだ。私の家から30分あまり山道を歩けば再度(ふたたび)山公園にたどり着く。
 昼食後犬と連れ合いの三人?でそこを目指した。
 自宅を出て有馬街道を横切り、もみじ色に染まる木立の間をぬい、再度山公園修法ガ原につく頃にはうっすらと汗ばむほどだった。
 多くの人が休日をそれぞれの思いで過ごしている修法ガ原、ここは神戸市民にとってもっともポピュラーなハイキングの目的地のひとつで、四季を問わず賑わうところである。

 この公園の一角に外人墓地がある、神戸の外人墓地は市街地にあった二つの墓地をこの地に移したもので、60ヶ国2600有余の人々が14ヘクタールの広大な緑地に眠っている。
 横浜の港が見える公園近くにある外人墓地は2ヘクタールの地に、40ヶ国4500人ということなので、神戸に眠る異人さんたちは落ち着いて眠れる。
 よく神戸は異国情緒あふれる街といわれる。しかしながら、最近全国どこへ行っても欧米化されてしまった街並みが、神戸の存在感を希薄にしてしまっている。しかし、ここは、他の町の追随を許さない正真正銘の異国情緒に彩られている。

 外人墓地から教育植物園を経て二軒茶屋へ、約2時間のスローな散策を楽しんだ。

投稿者 愉悠舎 日時 2005年11月13日 (日) 神戸散歩 | 個別ページ