淡路の木漏れ日(過去ログから転載)
まだ見ぬ日の出

昨日、1月1日の夕方小屋に帰ってきたので、初日の出を見ることができなかった。今朝、一日遅れの日の出を期待したが、曇天の空に陽は昇らなかった。写真は昨年撮った日の出、写真の下のほうに写っているデッキは小屋に突き出た回廊の先端である。今の季節ここから日の出、日の入りを眺めることができる。日の出は年中見ることができるが日没の陽は夏の時期、隣家に隠れて見えなくなる。移ろう四季のはざまに出没する太陽の奇跡を追って行くと、四季の折り目が視えてくる。
丸太小屋の設立は1999年9月である。当時、部屋に続くデッキからは大阪湾の南半分しか見えなかった。どうしても大阪湾の全貌を視野に納めたくて、2003年にデッキの先に長さ14mの回廊を増設した。幅1mの回廊の先を四畳半ほどの広さに膨らませてそこを望楼とした。
望楼の高さは10m、海抜145mの位置にある。望楼から大阪湾、紀淡海峡そして太平洋を望むことができる。そのなかに佇むと失ったものゝ大きさを実感する。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年1月 2日 (月) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
昇らぬ太陽

今日、3日も日の出は見られなかった。
こだわっているわけでもないが、異物が胸につかえている感じですっきりしない。
写真は昨年11月に小屋から撮ったものである。
元旦に日の出を仰ぎ見たのはこの丸太小屋を除いて、過去に一度だけある。友人たちと信州にスキーに出かけたときである。元日の早朝、眠い目をこすりながら宿から歩いて30分ほどの小高い丘に登った。はるか雪をかぶった山なみの肩から這い登る朝日を、この瞬間を見逃すまいとやってきた多くの人たちと共有した。寒さを紛らわすためにみんなで歌を斉唱した。「太陽はいま昇る・・・」、そんな歌詞だったと記憶している。足を踏み鳴らしながら肩を組み合って寒気を払う。やがて東の空があからみ、太陽が顔を出す、歓声が谷間をわたり、陽の光が少しずつ雪面を焦がして行く。雪焼けの頬を昇りはじめた陽が照らす・・・。
この頃、いつか日本アルプスのふもとで暮らしたいと思うようになった。それが歳とともに海への志向に変わっていった。日がな一日、漂う波をじっと見つめていたい、その願いがかなって淡路島の海際に丸太小屋を建てた。
ここで年のはじまりを迎えるのも7回目となった。
日の出時刻に間に合わなかった淡い陽射しが部屋の中に差し込んできた。夜来の強い風はおさまらず、木々の枝を激しく揺すっている。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年1月 3日 (火) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
日の出の続き

二日からはじまった日の出に対する執着も今日で五日目、まだ日の出を見ることができない。
今朝7時ごろ対岸の山陰に薄日が射し込んだ、デジカメを持って待受けたが、雲の間から丸い太陽の挨拶はなかった。
顔は見せなかったが、オレンジ色の光の帯が、紀淡海峡にかかり、あかく焼けた空が冷気を振り払った。
右に由良の成ヶ島、左に紀州の友ヶ島、その間を紀伊水道が走る。手前に幾つもの海苔棚が穏やかな水面に浮遊し、まだ遠い春をしずかに待つ。
つい先ほどまで、いさり火をはなっていた無数の漁船もほとんどが姿を消した、今日の出船は豊漁で終えただろうか。
(撮影:2006.01.06 07:14 愉悠舎望楼から)
投稿者 愉悠舎 日時 2006年1月 6日 (金) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
水仙の群れる郷

愉悠舎のある郷に水仙が自生している一角がいくつかある。昨年の正月の二日、大阪から来た知人と散策中にそのうちの一箇所を見つけた。
車の通る道から少しそれた坂道を登ると、棚のような場所に水仙が群生していた。かなりの規模で幅10m、長さ50mほどの舞台に、黄色い花たちの競演を見ることができた。
今年3日にそこを訪れたが、例年より寒い冬のせいかまだ花は顔を見せていなかった。
そして、今日7日、違う場所で花を咲かせている一団に出会った。(写真)
群生というよりも、ささやかにこじんまりと群れているといった方があっているだろう。
3日に見た水仙も花を咲かせただろうか、そういえば今朝この地に白いものが舞っていた。
水仙は雪中花ともいう、雪が花を呼んだのであろうか・・・。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年1月 7日 (土) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
2006年1月 8日 (日)
けあらし?

昨日(7日)の昼下がり、紀州半島の海南市から有田市にかけての海岸沿いに水蒸気のようなものが立ち込めていた。あまり見かけない現象なのでカメラに収めた。
夜ニュースを観ていると各地で「けあらし(気嵐)」が発生したことを伝えていた。
「けあらし」とは北海道のように寒い地域に多く発生し、陸上の空気が冷え込むと、その空気が海上に流れ出し、海面の水蒸気を冷やしてできる霧のことである。
この日見た現象はまさしく「けあらし」であろう、温暖な紀州沖に寒冷地の風物詩を見ることができたのは、よほど冷え込んだといえる。
大寒気団がすっぽりと日本列島を覆い、越後をはじめとする日本海沿岸は38豪雪(1963年の大雪)以来の大雪に見舞われ、甚大な被害を出している。
冬の時代の到来を予感する今日この頃である。(写真をクリックすると拡大版が見れます)
投稿者 愉悠舎 日時 2006年1月 8日 (日) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
雪降る里

「淡路に雪が降るのは珍しい」、6年ほど前この地にお世話になった年の1月に、本格的な雪が降った。
そのとき淡路の人からこのような言葉を聞いたことがあった。
このところ一年に一二度雪が降る。
愉悠舎にずっと居るわけでないが、ここ数年淡路でも雪を見かけるようになった。
豊饒温暖の地といわれる淡路島が、薄っすらと雪化粧するさまは、肥沃な地中で春を待つ芽たちを、雪の精が地表に誘っているようで緊迫感がある。
雪が降ったのは昨日の未明である。今まで雪が降ってもデッキに積もることはなかった。海の近くにあるためか過去何度か降った雪は、風に吹かれてどこかに散っていってしまった。
数センチほど積もった雪は昼まえにはなくなった。
しばしの雪化粧を楽しんだ。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年2月 5日 (日) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
アカシヤに馳せる夢

今日、この郷でプラタナスの苗木を、100メートルたらずの道の両側に植える手伝いをさせてもらった。
プラタナスは別名を鈴懸(スズカケ)の木といい、落葉高木樹で街路樹によく使われていたが、最近都会であまり見かけなくなったのは切取られてしまったからだろうか。
神戸の有馬街道の入口、平野から異人館街へと通じる山麓の道路に、プラタナス並木がその威容を誇っていたが、何年か前すべて切取られた。秋から冬、大量の葉を落とすためか、信号機の邪魔をするためか、・・・、大きくなるまで育てておいて、邪魔になったら斬り捨てる、人間のやる事は身勝手だ。
もう5年ぐらい前になるだろうか、まだ勤め人として働いていた頃、岐阜県の白鳥町へ一年ほど、月に一、二回の割合で通ったことがあった。名古屋から金沢へ通じる主要部を国道156号線が走っている。その沿道に植わっている桜の木を眺めたくて、岐阜市から白鳥町までバスに揺られて花の咲く季節に行き来した。
この沿道を桜吹雪で染めようとした男がいた。白鳥町出身の国鉄バスの車掌、佐藤良二さんは「太平洋と日本海を桜で」と、壮大な夢に向かって街道に桜の苗木を植えていった。こころざし半ばで病に倒れたが、彼の遺志を継いだ人々によって、その夢は実現した。そして夢は能登半島へと伸びている。桜の咲く頃この沿道をマラソンランナーが駆け抜ける。並木道には人それぞれの想いと、夢がある。
私には見果てぬ夢がある、その一つは中国の「アカシアの大連」を風に吹かれながら歩くことである。そして、はるか朝鮮半島に向かって、暗い時代に警察官僚とクリスチャンの夫婦が私の母たちを連れて、朝鮮半島を行き交った日々を、祖父母の苦悩の日々に、想いを馳せることである。
ここ、海平の郷のプラタナスはどんな夢を見させてくれるのだろう。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年2月11日 (土) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
春げしき

中国からやってきた黄砂もおさまったようで、遠くの景色が見えてきた。山々が緑に覆われるのも間近だ。
黄砂は中央アジアの砂漠に発生し、偏西風に乗って日本にやってくる。ここから太平洋を越えてアメリカまで旅をするのもあるらしい。近年、黄砂による地球環境の悪化が問題になっているが、中国経済の「乱」成長により、公害による汚染物質が黄砂に混じって、日本の生活圏に降り注いで来ないかと心配するのは、私ひとりだろうか。
昨日、朝起きたときデッキの手すりにチョウゲンボウが羽根を休めていた。チョウゲンボウはハヤブサの一種で、今までも愉悠舎の周りをよく飛んでいるがデッキまで近寄ってきたのははじめてだ。
今日、きのうの再来を期待して、カメラを持ってハヤブサの到来を待ったが、いっこうにその気配はない。それどころか、きのうは木々のあいだを飛び交っていた小鳥たちも姿を見せない、小鳥たちと言ったのは鳥の名前をほとんど知らないからだ。ハヤブサの名前を知ったのは、この郷で作業をしていた地元の人に教えてもらったからだ。知らないのは鳥だけでなく樹木の名前もあまり知らない。この地に来て少しずつ覚えていったが、たかが知れてる。
愉悠舎の三方は雑木林に囲まれている。雑木林というほどのものでもないが木々が生息している。この木々のおかげで鳥たちが餌を求めてやってくるし、夏にはカブト虫やクワガタの訪問がある。
木のなかでその半分以上をウバメガシが占めている。ブナ科のこの木は備長炭の材料として知られており、この辺では「バベの木」と呼んでいる。常緑樹なので冬になっても葉を落とさない、そのためか愉悠舎の周りは冬枯れの薄ら寒さはない。
この時期、ウバメガシは黄色い新芽を出し、新芽を覆うように白い毛のようなものが目立つ。ウバメガシの芽は出揃ったが、落葉樹の芽は今芽を出し始めたところだ。クヌギ、正式な名前を知らないがこの辺では「バラの木」と呼んでいる棘を持った木、そしてハゼの木などは今から春を迎える。
雑木林は先人たちの生活の源として、長い年月人間と自然をつないで来た。生活源を提供してくれたばかりでなく、水害や風害から人間を護ってくれた。ここ数十年、乱開発により多くの雑木林が失われた。失われたものを取り戻すすべはないが、今ある雑木林を守り育てて行きたいものだ。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年4月27日 (木) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
海辺の丘にジャズが流れる

大阪湾を凌駕する丘の上で昨夜、野外ジャズパーティが行われた。
「海平の郷」内にある『工房「風の家』と「ハルボン倶楽部」の尽力により、関西一円で活躍するジャズシンガー藤岡まゆみさんと淡路のギタリスト林成樹さんの演奏に、しばし時の経つのを忘れた。
空も暗くなった午後7時半すぎハルボン倶楽部のデッキに照らしだされたステージの上に二人が現れた、ジャズパーティの幕開けだ。
私はビールを飲みながら、澄んだ音色に酔った。
あいにく今夜は対岸の神戸・大阪の夜景は闇の中であったが、その分ステージを囲むウッドデッキがきらめく光にはえた。
この地には珍しく風がない、凪いだ風を突いてジャズが流れる。
アフタービートが夜空に響く・・・。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年6月 1日 (木) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ