わが心の神戸(5/8)

わが心の神戸・Ⅴ(過去ログ・神戸散歩)

ラバーの貼り替え


 先週の金曜日、久し振りに神戸の街歩きを楽しんだ。携帯電話に仕込んだ歩数計によると、この日の歩数は16500歩、距離にして10.1km。
 街歩きをする場合、いつも10㌔ほど歩く。月に二度ほど神戸に行くので、その都度神戸の街をブラついている。
 神戸の街が私の躰と心にフィットしているのか、歩いていて苦痛を覚えることはない。現在、肉体の衰えを意識せずに済むのは、街歩きのせいかも知れない。

 それともう一つ躰を動かしていることがある。二年ほど前に始めた卓球が足腰の萎えを遅らしている。
 街歩きの途中、高速神戸駅から新開地駅まで伸びるメトロ神戸の、高速神戸駅側にある卓球専門店に寄った。
 先日、卓球の大家・M夫妻が淡路に来た折、表ソフトのラバーを見て、ツルツルで使いものにならないと言われた。
 そこでラバーを貼り替えることにした。店のスタッフに「これと同じラバーに」と、ラケットを差し出すと「このラバーは禁止され現在同じものはない」と、言われた。聞けば、禁止されたラバーは粒と粒の間隔が広く、回転がかかりすぎ使用禁止。
 現在この種の三代目が売られており、それは粒と粒の間が少し狭くなっているとのこと。
 「へぇ~、そうなんだ!」、妙なところで私は感心した。
 感心したもののこれがよく分らない、普通考えれば粒と粒の間が狭ければ球の接触面積が大きくなり、摩擦係数も大きく回転もよくかかると思うが・・・?、しかし、こうも言える、粒間が広いと球との接触面積が小さくなり面圧が高くなって、強い力が球に加わり回転力が大きくなる。分らない・・・。
 何はともあれ貼り替えてもらった表ソフトラバーはTSP(ヤマト卓球)の< Super Spin Pips(スーパー スピン ピップス)>。ちなみに、もう一方のラケット面に貼っている裏ソフトラバーはタマス(ButterFly)の<TACKIFIRE-C(厚)(タキフィア)。

投稿者 愉悠舎 日時 2012年3月 5日 (月) 神戸散歩 | 個別ページ


あかり咲くKOBE


 先週の金曜日、神戸にワイフと行った(帰った?)。車をハーバーランド内に在る駐車場にとめ、用事の有るワイフと袂を分かち、所在無い私はブラブラと街中(まちなか)を歩く。途中、安価な冬物の衣類を数点買い込み、駐車場に取って返し、車に置いて再び歩き始める。

 午後6時過ぎ、ルミナリエが開催されている会場へ向かう。

 1995年の12月、旧居留地に灯ったルミナリエの明かりを思い出す。
 「課」の忘年会がお開きになった後、二次会へ向かう途中、旧居留地へ立ち寄った。あの年私たちは「明かり」に飢えていた。1月17日の揺れはKOBEの街の「明かり」を奪った。私たちは闇をまさぐるように生きてきた。乏しい「明かり」の中で神戸市民の多くは一点の光明を見つめ、共に手を携えて今日を明日を凌いだ。
 12月、震災で心ならずも逝った犠牲者の鎮魂の意味を込めイタリアに古くから伝わる教会の祭事に使う電飾を、神戸に持ってきた。
 「明かり」が旧居留地の路上にこぼれる中、静に「明かり」を見上げる人々の目は潤み、心なしか寂しげであった。
 私はあの日あの夜の、こぼれ落ちる光の粒を思い出すと、自然に涙が頬を伝う。

 あの夜から16年、神戸ルミナリエの劣化は避けられない。観光気分で通りを歩く人々。やめる気もないのに、「来年も開催できるように」と、声を荒げ募金を呼びかける人たち。たちこめる屋台の煙。・・・。

 神戸ルミナリエの役目はもう終わったのではないか、神戸ルミナリエは神戸市民の心の中で生かせて欲しい。





 

投稿者 愉悠舎 日時 2011年12月 5日 (月) 神戸散歩 | 個別ページ


夏の終わりの神戸港
 先週の木曜日、所用で大阪へ行った。翌日神戸に用があり、一度泊まってみたいと思っていた「神戸メリケンパークオリエンタルホテル」を予約した。
 その前日、インターネットで客室限定のプランに安い料金を見つけた。ツインで一人4750円と、私が神戸に居た頃のシティホテルでは考えられない料金だ。
 私の記憶によるとこのホテルは震災の年、1995年の夏オープンした。従来の泊まりを目的としたシティホテルに加えて「憩うホテル」、いわゆるアーバンリゾート空間を提供するホテルとして誕生したように思う。

 大阪で用事を済ませた私とワイフは4時過ぎにチェックインした。ホテルに車を止めると高い(一泊1500円)ので、近くの駐車場(一日500円)に車を置いてチェックインした。
 各客室にはベランダがあり、椅子に座って潮風に打たれていると、大型クルーズ船が港に停泊しているのかと、見間違う。
 宿泊客に我々のようなリタイアー組カップルが目立つ。安い宿泊料金は年金生活者を狙った商法なのだろう。朝、ホテル内のレストランを覗くと朝食バイキングの料金に大人・子供の他に「シニア(65歳以上)」料金と言うものがあって、大人料金より少し低く設定している。
 バブルの余韻に浸っている頃、近くのハーバーランドがグランドオープンした。その一角のとある複合ビルは「23歳の女性」に的を絞った。今、そのビルはどこにでもある雑居ビルと化した。
 「金」を落とす層を狙っての商法はその時代時代の世相を映し出している。生産活動から離れた年金生活者の懐を当てにする日本の現状を憂う。

 翌日、11時にチェックアウトする。このホテルはチェックイン15時、チェックアウト11時と、殆んど丸一日滞在が可能だ。

 遊覧船で港内を巡り、ワイフと昼食を共にしたあと、夫々の用を足すため一旦別れ、夜の10時半に駐車場で再会し、帰島した。

 余談になるが、下の写真中最下部の潜水艦、現役の頃聞いた話によると一隻500億円とか?


投稿者 愉悠舎 日時 2011年9月11日 (日) 神戸散歩 | 個別ページ


フォーレンダム号


 オランダのアムステルダム近く、アイゼル湖に面し、昔漁港として栄えた小さな街フォーレンダムは今春なのか、その街の名を冠した「フォーレンダム号(61,214トン)」が神戸港に初入港した。

 5月1日、午前中をボランティアに充て、午後からフォーレンダム号の入港風景の見物と決めた。午後2時前(午後3時入港予定)にポートターミナルに行ったが、既にフォーレンダム号は接岸態勢に入っていた。白と濃紺の船体が印象的なクルーズ船だ。この船は3方を海に面したメインダイニングを有し、船内には本物の美術品や骨董品のコレクションが展示されている。

 このクルーズは神戸港で乗船、下船できる。

Aコース:2009年4月18日~5月2日14泊/香港~神戸
Bコース:2009年5月2日~20日19泊/神戸~バンクーバー

カテゴリー Aコース Bコース
ベランダ付 $6669.00~ $7349.00~
アウトサイド $3899.00~ $4349.00~
インサイド $3299.00~ $3749.00~

フォーレンダム(Volendam)の概要
総トン数:63,000トン/全長:238m/全幅:32m/乗客定員:1,440名/就航年:1999年7月

投稿者 愉悠舎 日時 2009年5月 8日 (金) 神戸散歩 | 個別ページ

コスタ・クラシカ(Costa Classica


 桜も咲き終わり、本格的な観光シーズンを迎える神戸に初寄港するイタリアのクルーズ船が4月16日8時ポートターミナルに接岸した。17日正午過ぎ離岸間近かのクルー船を見送りに三宮からポートターミナル駅まで電車に乗った。 ポートターミナルへは歩いて行くのを常としているが、この日は少し先を急いでいたため、三宮でのボランテイアを正午前に切り上げ、JR三宮駅の構内にある立ち食いソバ屋で腹を満たし電車に乗る。 出航前の「ざわめき」の時間を楽しみたいので歩くのを止めた。

 ボランテイアの終盤、二人の青年が道を聞いてきた。「コウベ・ムスリム・モスク」へ行きたいようだ。正午の礼拝に合わすためか、1時の出航までに帰らなければならないのか?相当入れ込んでいた。はやる彼らの気持ちを静め、丁寧に道を教えた。二人は今から私が行こうとするクルーズ船の乗組員である。


 コスタ・クラシカ号はイタリアの海運会社コスタ社の所有で、地中海を中心にカリブ海や南米にクルーズ船を出し、イタリア風のインテリアとイタリア料理が特徴で家族連れや若いカップルなどに適した客船を謳い文句にしている。

 今回の旅程は香港~キールン~那覇~神戸(4月16日~17日)~東京~長崎~済州島~上海を半月ほどかけて巡る。同船は今回を含め5月29日(金)、6月13日(土)、26日(金)、7月24日(金)、10月17日(土)の計6回、各2日間神戸港寄港を予定している。

コスタ・クラシカ(就航:1991年1月、デッキ:10層、タイプ:カジュアル、ダイニング:2回制)
総トン数:52,950トン/全長:220.6m/全幅:30.8m/喫水7.6m
乗客定員:1,308名/乗組員数:650名/客室数:654室
エンジン:ディーゼル(22,800kw)

投稿者 愉悠舎 日時 2009年4月20日 (月) 神戸散歩 | 個別ページ

海の手から山の手


 昨日、久し振りにすっきりした天気の中、8時過ぎワイフを車に乗せてポーアイへ向かう。
 「花物語」の最終日、作品のメンテナンスも2回目になる。ワイフを会場の前で降ろし、近くの駐車場に車を放り込み市民広場駅から電車に乗り三宮へ、ポートライナーの電車の中から左右に広がる神戸港の景観に心を沈める。六甲の山なみを借景としたミナトは壮大で優雅だ。私が接してきた世界のミナトの中で、神戸港はどのミナトにも引けをとらない「美しい港」だ。周りの景色に見とれているうちに電車は三宮のホームに滑り込んだ。
 我らボランティアが毎日曜日実施している「兵庫デスティネーションキャンペーン」の「神戸北野異人館ガイドコース 」を案内役のS氏のあとについて行き勉強をさせてもらった。ガイドが終ったあと北野の事務所に居たS氏と他に二人、それと私の4人で近くのイタリア料理店?で昼食をとった。970円のところを「ボランティア価格とか何とか」で3割引きの680円にしてくれた。私はビールも呑んだが、他の人は昼からも仕事があるのか酒類は控えた、皆さんどうもスイマヘン。
 昼食後仲間と別れたあと、一度確認しておきたい場所があったのでS氏に場所を聞いて西へ歩いた。北野通りのトアロード寄りにそれは在った。ユダヤ教のシナゴーグである。ナチの迫害を逃れたユダヤ人を安全な国へ逃がす手助けをしたユダヤ人教会はこの場所に在ったのか?感慨に耽りながら今度は北野通りを東へ歩く。ハンター坂の手前でジャイナ教の寺院に出会う。シナゴーグは東京の広尾にも在ると聞くが、ジャイナ教寺院は他に在るのだろうか?
 少し神戸の街を歩き、再び電車に乗り午後5時半神戸国際展示場へ、作品の撤収を手伝ったあと車で帰宅した。ワイフは終幕前に投売りしていた花を500円でどっさり買った。
投稿者 愉悠舎 日時 2009年3月16日 (月) 神戸散歩 | 個別ページ

 


旧居留地オリエンタルホテル跡


 旧居留地にあったオリエンタルホテル跡に工事用の囲いが張られている。

 京町筋と浪花町筋に挟まれた神戸市立博物館の隣に、2010年の春開業予定の複合ビルの建設が進められている。その囲い塀にチューリップの花が描かれている。


 絵の傍らに説明文がある。
 1868年の兵庫港開港に端を発した旧居留地。

 次々と新しい文明・文化の風を吹かせた拠点としてこの地は開け、後に都心業務地として発展を続けて来た。ここにあるメインビジュアルのチューリップもまた兵庫港開港と時を前後して、原産のトルコからオランダを経て、日本に初めて輸入されたとしている。新しくよみがえる文化の象徴としてここにその姿を印した・・・。」

 ここ旧居留地に来ると、ヨーロッパの都会の匂いが漂ってくる。日本の都会にある湿っぽさのないここを歩くと、心にたまった滓(おり)が風に吹き飛ばされ、躰が軽くなる。私のストレス解消法の一つに、いつからか旧居留地散策が加わった。

投稿者 愉悠舎 日時 2009年2月17日 (火) 神戸散歩 | 個別ページ

神戸港からの遠望


 ミナト巡りの遊覧船に乗ったとき、和田岬沖から撮った明石海峡大橋である。和田岬と言うより神戸空港沖と言った方が分かりやすい。この位置から大橋まで直線距離にして約17キロもあり、一日中橋の輪郭がくっきりと見えているわけでもない。大阪湾の東、泉州沖にある関西国際空港近くから明石海峡大橋を捉えられる日もあるが、こちらは大橋まで約27キロあるので大橋の見える頻度はもっともっと少ない。

 明石海峡大橋の左が淡路島で、右側アンカレイジのある方が神戸の舞子である。写真に見えるのはその東約7キロ神戸港より、須磨の旗振山や鉢伏山である。旗振山は元禄の時代から大正時代まで大阪堂島から旗を振って、播州やその西へ米の相場を伝えた中継所であったことから旗振山と呼ばれた。旗振山から堂島まで直線で約40キロ、神戸の旗振り中継所は、東灘の金鳥山と長田の鷹取山そして旗振山にあったらしく、堂島から金鳥山、鷹取山、旗振山へと伝えられた。

 明石海峡大橋は淡路市と神戸市をつなぐ世界最長の吊り橋である。吊り橋を支えている主塔の高さは約300mあり、東京タワーの高さと余り変わらない。

 明石海峡大橋は1998年4月に開通し、淡路島の住民にとって阪神間へのアクセスは容易になったものの、デメリットの方が多い。便利さだけを追求すれば失うものは大きい。

投稿者 愉悠舎 日時 2008年11月 3日 (月) 神戸散歩 | 個別ページ

アムステルダム号
3日(金)から4日(土)にかけて神戸、奈良、大阪と渡り歩いた。


 3日の金曜日、8時前に家を出て9時過ぎにJR神戸駅前に着く。なじみの歯科医院で歯の治療を受けたのち、私鉄で三宮へ向かう。午後1時前まで「神戸ガイド」の活動を行う。今日は外国人が多い、10組ほどの外人の相手をしたが「北野」を目指す人が多い。外人が多いのはポートターミナルに「アムステルダム号」が停泊しているからだろう。昼から「アムステルダム号」を見学し、その後奈良に住む娘の家に向かった。


 三宮からポートライナーに乗りポートアイランドにある中公園駅で降りる。中公園駅から少し歩いて北公園の東側岸壁から「アムステルダム」の雄姿を撮る。歩いて神戸大橋を渡り、ポートターミナルで数枚シャッターを切る。

 私が神戸港で見たクルーズ客船の中で「アムステルダム号」の6万トンは「クイーンエリザベスⅡ」に次ぐ大きさだ。黒く塗られた船腹はエリザベスⅡのそれと同じ色だ。「アムステルダム号」と同じ船会社のクルーズ船「スタテンダム号(総トン数:55451トン )」を今年の3月に同じ場所で見たが、同じような色、形をしていたように思う。

 このたびのクルーズはアメリカのシアトルを出て、太平洋を越え、アジアの各地を周り、アメリカのサンディエゴに帰る二ヶ月余りのクルーズである。

 今回のクルーズ名と行程は以下の通りである。

クルーズ名:グランドアジア&オーストラリア ボヤージュ

行程:シアトル(米)(9/19)~ペテロハバロフスク(露)~函館(日本)~宮古~神戸(10/3~4)~上海(中国)~香港~ダナン(ベトナム)~Phu My~バンコク(タイ)~Koh Samui~シンガポール~パリ(インドネシア)~バース(豪)~メルボルン~シドニー~Noumea(ニューカレドニア)~Suva(フィジー)~Apia(西サモア)~ホノルル(米)~ラハイナ~サンディエゴ(11/22)

アムステルダム/AMSTERDAM
船 籍:オランダ
就 航:2000年10月
総トン数:62,735総トン
全 長:237.7m
全 幅:32.3m
速 力:25ノット
エンジン:ディーゼル
出 力:37,500kW
客室数:690室
乗客定員:1738名
乗組員:647人
運行会社:ホーランド・アメリカ・ライン
投稿者 愉悠舎 日時 2008年10月 5日 (日) 神戸散歩 | 個別ページ


コスタ・アレグラ(Costa Allegra)


 27日午後4時前、旧居留地内にある映画館から歩いて新港第4突堤へ向かう。少し蒸し暑い!
イタリアのジェノバに本社を置くコスタ社のクルーズ船、コスタ・アレグラ号がやって来た。
コンテナ船を1992年に改造・竣工したクルーズ船である。
 その後2005年にアジアへの投入を目指し、ネオクラシック・イタリアン調のデザインへ改装した。
この船のコンセプトは「ゴーギャン、ドガ、モジリアーニ印象派の画家たち」とのことである。
コスタ社がアジアの定点クルーズとして投入したコスタ・アレグラ号は、当分の間日本の各港にその雄姿を見せてくれるだろう。

総トン数:28,000トン、全長:188m 、全幅 26m
巡航速度:22ノット、乗客数:924名、船室数:386室
船籍:イタリア、就航年:1992年

投稿者 愉悠舎 日時 2008年6月28日 (土) 神戸散歩 | 個別ページ