年表・祖父母の時代
2015年4月21日 (火)
ツヤ・京都正教女学校(1902年〔明治35年〕~1908年〔明治41年〕)
・1902年(明治35年)1月 京都正教女学校開校、募集に応じツヤほか約20名が順次入学
・1908年(明治41年)4月17日 同校を卒業(第15号)
この間、日本におけるキリスト教各派及び女性の動き
・1902年(明治35年)
9._ 内村鑑三、自宅で角筈聖書研究会を開く(会員は25名に限る。小山内薫・大賀一郎・志賀直哉ら参加)(内村鑑三著作集、岩波書店刊)
☆ この年、女学生の間に廂髪(ひさしがみ)<※1>流行。廂髪は女優の川上貞奴が結って流行し始めたとも言われ、庇(ひさし)のように前髪を前方に突き出して結う髪型
・1903年(明治36年)
4._ 「家庭之友」('08年1月「婦人之友」の前身創刊
6._ 内村鑑三、(聖書之研究)と(万朝報)を通じ日露非開戦・戦争絶対反対を主張しはじめる
7._ 日本基督教青年会同盟(YMCA)成立
11.16 新橋駅に女子出札掛登場(続いて東京電燈会社・三井呉服店など、女子の雇用増える)
・1904年(明治37年)
2.10 日本ロシアに宣戦布告
2.11 ニコライ主教、日露戦争について正教会の全教徒に教書を与え、日本国民としての忠義の本分を尽くすよう諭す
2_ 正教会函館教会の教役者、露探(ロシアのスパイ)の理由で函館要塞司令部により退去を命じられる。この後、小田原教会など、迫害を受ける教会続出
5.16 東京で神・仏・基督の代表者、大日本宗教家大会を開き、諸宗教の協力、国策指示を決議
9._ 与謝野晶子(君死に給ふこと勿れ)〔詩〕(<明星>、大町桂月らとの間に、この詩をめぐって論議がおこる)
☆ この年、西本願寺青年会113人を初め仏教各宗派、従軍布教使を派遣、日本基督教青年会、軍隊慰問のため、満州で天幕伝道開始

<※1>束髪(そくはつ)とは西洋婦人の髪形を真似て、明治ごろ「鹿鳴館時代」と呼ばれた時期に上流階級の女性の間に登場した髷の一群。
いわゆる「ア・ラ・ポンパドゥール」という王制フランスの宮廷で起こった流行の中で誕生した髪形を真似たものであり、その影響で前髪を高く膨らませる形が発展して大正ごろ髪全体がターバンでもかぶったように膨らんで見える「庇髪(ひさしがみ)」へと変遷していった。明治30年代ごろ、女優の川上貞奴が始めてから、大正の初めにかけて流行し、女学生が多く用いたことから、庇髪は女学生の異称ともなった。(
Wikipedia 最終更新日 2014.07.24)
・1905年(明治38年)
10.11 日本基督教会第19回大会開催(~10.14)、ミッションとの協力打切り・教会の自給独立を決議
・1906年(明治39年)
4._ 日本正教会主教ニコライ、大主教に叙階され、日本は独立教区となる
11.1 東京の共立女子職業学校、初めてタイプライティング講習科を開設
・1907年(明治40年)
1.15 キリスト教系・非キリスト教系の社会主義者再結集し、日刊<平民新聞>創刊(~4.14=75号)
2.12 福田英子・堺為子・管野スガら、治安警察法第5条改正(女子の政治結社・集会への参加を認める)の請願を衆議院に提出、2.27請願委員分科会採択可決 3.16衆議院可決 3.27貴族院否決
5._ 婦人矯風会<※2>、大阪婦人ホームを開設、婦人の職業紹介・救済保護に当たる
<※2>婦人矯風会(にほんキリストきょうふじんきょうふうかい)は東京都新宿区百人町に本部を置く公益財団法人である。英語名は、Japan Christian
Woman's Organization。1886年(明治19年)に設立されたキリスト教系の日本の女性団体である。日本キリスト教協議会所属。
・1908年(明治41年)
9.15 川上貞奴の帝国女優養成所開所式
10._ 内村鑑三のもとに第一高等学校の読書会の一団、前田多門・鶴見祐輔・森戸辰男・藤井武・三谷隆正・塚本虎二・黒崎幸吉・沢田廉三・高木八尺・岩永祐吉ら入門
☆近代日本総合年表(1968年 第1版第1冊発行)より
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2015年3月 1日 (日)
義貞・陸軍(1896年〔明治29年〕~1901年〔明治34年〕)

・1896年(明治29年)09月15日、要塞砲兵射撃学校入学、21歳
・1897年(明治30年)11月24日、要塞砲兵射撃学校卒業、22歳
・1897年(明治30年)11月24日、陸軍砲兵二等軍曹に任(由良要塞砲兵連隊)、22歳
・1901年(明治34年)11月30日、由良要塞砲兵連隊を満期除隊、26歳
この間の大日本帝国陸軍の動き
・1896年(明治29年)
1.1 北海道のうち渡島・後志・胆振・石狩に徴兵令を施行〔勅〕
3.16 陸軍管区表改正公布〔勅〕(近衛師団及び第1から12師団とする。従来は第6師団まで)
3.31 台湾総督府条例・同府評議会章程・同府民政局官制各交付〔勅〕(監督は陸海軍大・中将、監督以下重要職員で評議会を構成、法律の効力ある命令を議決など)
4.1 侍従武官官制公布〔勅〕(武官長1・陸軍武官5・海軍武官3で構成)
6.1 台湾総督に陸軍中将桂太郎を任命
8.6 台湾総督府、憲兵隊・警察官による戸籍編成を告示〔告〕
10.14台湾総督に陸軍中将乃木希典を任命
・1897年(明治30年)
3.11 貴族院、谷千城議員提出の軍備に関する上奏案を否決(軍事費偏重を批判)
4.7 駐ハワイ公使島村久、外相大隈重信に軍艦派遣を要請、4.20軍艦浪速、ハワイに向け出発
9.11 陸軍兵器廠条例公布〔勅〕
10.16韓国と鎮南浦(母・道子の出生地)・木浦居留地規則調印、11.15告示〔告〕
・1898年(明治31年)
1.20 元帥府条例公布〔勅〕 陸軍大将山県有朋・影仁親王・大山巌・海軍大将西郷従道に元帥の称号授与
1.22 教育総監部条例公布〔勅〕(監軍部を廃止し教育総監部をおく)、初代総監に陸軍少将寺内正毅を任命
・1899年(明治32年)
6.7 鎮守府艦隊条例公布〔勅〕(各鎮守府に艦隊をおく)
7.15 軍機保護法公布〔法〕(軍事秘密の探知収集・漏洩を処罰)
7.15 要塞地帯法公布〔法〕(要塞の区域を規定)
・1900年(明治33年)
5.19 陸軍省・海軍省官制改正(軍部大臣の現役大・中将制確立)
8.14 日本軍、各国連合軍と共に北京城内に侵入、公使館区域を救援
8.22 参謀総長大山巌、機会あれば廈門(アモイ)占領の必要ある旨の訓令(台湾総督児玉源太郎宛)裁可を得る 8.27台湾より歩兵2中隊アモイに向け出発 8.29政府、派兵中止を命令
12.23陸相桂太郎辞任、後任に児玉源太郎を任命
・1901年(明治34年)
5.16 井上馨に組閣命令(渋沢栄一に蔵相、桂太郎に陸相就任を交渉、不成功のため、5.23辞退)
☆近代日本総合年表(1968年 第1版第1冊発行)より
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