日本散歩・Ⅰ

・過去ログ倉庫から「日本散歩」の再掲です。
・リタイアー後、日本の各地を観て歩いた記録です。
・古い順です。

かやぶきの里



 紅葉には少し早い11月の初旬、京都府美山町のかやぶき集落を訪ねた。美山町の面積は340平方km(淡路島595平方km)と広い。町のほゞ中央を由良川が流れ、その清流沿いに日本の原風景と称されるかやぶきの里がある。

 かやぶきの里を紹介したチラシに「荘園時代の昔から山稼ぎが暮らしの中心だった村でしたから建材はほとんど周りの山から調達するのがあたり前のことでした。自分たちの手で守り育てた自然の恵みをいただいて建てた家に住み、まわりの田畑山野から四季の恵みをいただいて、囲炉裏を囲む。かつてはごくあたり前だったそのような暮らしを、いったんは失いかけて、今ふたたび新しい形で取り戻しつつある」、とある。
 物質文明に毒された私にとって、かやを連ねた家並みは新鮮だ。
 この町にも時代の波は覆いかぶさる、京都府北桑田郡美山町は2006年1月1日から合併により南丹市になる。

投稿者 愉悠舎 日時 2005年11月10日 (木) 日本散歩 | 個別ページ


余部鉄橋


 先日、湯村温泉へ行ったついでに余部(あまるべ)鉄橋に寄った。来年から付け替え工事がはじまるというので、その雄姿を目に焼き付けておきたかった。
 1986年12月28日、回送中の列車が折からの突風にあおられて転落、カニ加工工場で働いていた人たちが犠牲になった。国鉄からJRへと大きく揺れていた時期であった。

 先月25日同じ兵庫県内で痛ましい電車事故が発生してしまった。
 人の命を預かるものはどんなことがあっても儲けに走ってはいけない。
                        (MYダイアリから転載、2005.05.25記)


投稿者 愉悠舎 日時 2005年11月12日 (土) 日本散歩 | 個別ページ

なら燈花会


 先週の金曜日奈良を訪れた。古都奈良の風物詩「なら燈花会」の雰囲気に浸りたかった。
 猿沢池、興福寺、浮見堂等々、街灯を消した会場を回りながら、この町の持つ重さを想った。1300年の歴史を持つ町の重さと共に、第二次世界大戦の戦火を免れたというか、破壊をためらわせた町の格というものがある。
 硝煙弾雨の絶え間なきこの世界で、この町が平和への里程標になることを願っている。

 今日は終戦60年目の夏である。
 夾竹桃、向日葵、あの日焦土に咲いた花たちは、今日も私たちに戦争の意味を問いかけている。
                        (MYダイアリから転載、2005.08.25記)
投稿者 愉悠舎 日時 2005年11月12日 (土) 日本散歩 | 個別ページ

 

八甲田

←八甲田連峰

  


                白神山地ブナ林→
 8月の末、東北の八甲田連峰と白神山地のふもとを歩いた。
 八甲田は湿原地帯を、白神はブナの原生林の合間をぬった。合計10㌔ほどの道のりであったが、久しぶりに山ふところに抱かれ、爽快な気分を味わった。

 山は夏枯れにもかかわらず、湿地帯には高山植物が名残の夏を惜しんでいた。白神山地では激しい雨に襲われたが、雨に息づく木々の鼓動を聴くことができた。

 この山々にもまもなく厳しい冬が訪れる。雪に閉ざされた山は人の侵入を拒み、雪の下で力を蓄える。
                        (MYダイアリから転載、2005.09.14記)
投稿者 愉悠舎 日時 2005年11月12日 (土) 日本散歩 | 個別ページ


泣いているのか、笑うのか


 兵庫県加西市北条町の天台宗羅漢寺境内に、四百数十体の石仏が永い時の流れを見続けている。「北条の五百羅漢」と呼ばれている野仏を年の瀬も迫った29日に訪れた。
 二度目の訪問である。
 最初に来たのは忘れるほどむかしのことなのに、あのとき見た石仏の表情のひとつが、今も記憶の底にこびりついて離れない。苦渋に満ちたゆがんだ表情に断末魔の叫びを聞いた。


 ひとけのない石仏群の間をあのときの羅漢を探した。それらしき表情はどこにも見当たらなかった。
 落ち葉が木枯らしに舞っていた。

羅漢寺
・JR加古川線、北条鉄道の終点「北条町」下車、北西へ徒歩15分    
・中国自動車道「加西IC」から西約4km

投稿者 愉悠舎 日時 2005年12月30日 (金) 日本散歩 | 個別ページ


又兵衛桜


 一昨日、娘の住む天理にでかけた。そのとき近くの大宇陀に立派な桜が満開だと聞き、その日娘の家に泊り、土曜日桜を見に車を走らせた。
 天理から桜井方面へ国道165号、166号、370号を継いで目的地大宇陀の本郷に着いた。
 大宇陀は柿本人麻呂が「東(ひんがし)の野に炎(かぎろい)の立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ」と、詠ったところで「かぎろいの里」として知られている。
 小雨交じりのあいにくの天気にもかかわらず、大勢の見学者で賑わっていた。
噂さの一本桜は又兵衛桜と呼ばれ、「瀧桜」の名も持つしだれ桜で、樹齢300年を経てその威容を周囲に誇示していた。
 地元の人の話によると、数日前に満開となり、まだ散り始めていない今が見ごろだが、曇り空なので花のふくらみ感に乏しい、とのことであった。
 桜の横に桃の花も満開の姿を見せ、前段に咲き乱れる菜の花もさかりである。三者の競演を見た後、地もとの人たちが出していた屋台で、葛きりを食させてもらった。モチッとした食感とツルリとした喉ごしに舌づつみをうった。





投稿者 愉悠舎 日時 2006年4月16日 (日) 日本散歩 | 個別ページ













王朝絵巻の都大路・葵祭


  昨日、久しぶりに京都へ行った。寒くもなく暑くもない、ほどよい空気に包まれ、北大路道りで、葵祭の行列を見物した。
 葵祭は1400年の歴史を持つ京都の三大祭のひとつである。
 京都御苑から下鴨神社を経て、上賀茂神社まで8キロに及ぶ道のりを、王朝風俗に身を固めた500人の隊列が進む。
 みやびやかな行列が、ゆっくりと都大路を練り歩くさまに、しばし、いにしえの栄華にいざなわれた。

 帰り、JR京都駅までバスに乗った。 車窓から見る京都の街並みはうつくしい。山に囲まれた街並みを、かも川が彩りを添える。

 この美しい街並みを支えている一つに建物の高さ制限がある。この高さ制限をさらに強化しようとする動きが京都にあるらしい。都心部の建物の高さ制限を、現在の45mから、31mにしようというものだ。31mといえば、10階建てのビルの高さにすぎない、景観と伝統に誇りを持つ京都人の心意気を感じる。
 バスを降りた目の前に、100mを優に超える京都タワーがそびえていた。京都ほどの街でも醜い汚点はあるものだ。

 都会の景観を損ねる大きな要素に高層建築がある。大阪や神戸の高層建築にそれを見る。



投稿者 愉悠舎 日時 2006年5月16日 (火) 日本散歩 | 個別ページ

















朱雀門


 一年ぶりに奈良へ来た。昨年観た「なら燈花会」は奈良の中心部を歩いたが、今回はその西方に位置する平城宮、西大寺、薬師寺及び唐招提寺を廻った。

 暑い夏の時期、京都よりも草いきれのもえたつ奈良の方が、私の感性にフィットする。夜になっても蒸し暑さが躰を包む。
 夕食後、ステイ先から歩いて20分ほどのところにある朱雀門を目指した。

 ここ朱雀門は平城宮跡の朱雀大路に向いて建つ平城宮の正門で、1991年から1997年にかけて復元されたものである。
 資料もなにも残ってないものを、平城宮跡からの発掘調査等を手がかりに再現したらしいが相当無理があるのではないか。
 朱雀門完成後の1998年に平城宮跡は、ユネスコの世界遺産に登録されている。

 また、平城京遷都1300年祭が2010年に行われるそうで、それに合せ平城宮跡の一角に、大極殿なるばかでかい建物を建設中である。
頓挫した「箱もの行政」の残党を見る思いで、不愉快になる。

 平城宮跡が世界遺産に指定されている内容は埋蔵文化財であり、地下に眠るいにしえの財が対象かもしれないが、その上に現代の人たちが築いた構造物があるのは、いかがなものであろうか。

投稿者 愉悠舎 日時 2006年8月29日 (火) 日本散歩 | 個別ページ


曽爾高原


 曽爾(そに)高原のススキはまだ少し早い。
 高原がススキで黄金色に染まるには、あとひと月かかるだろう。

 三連休最後の10月9日、奈良県と三重県に広がる曽爾高原を訪ねた。高原へ向かう道に車の長い列が続き、渋滞の最後尾についてから一時間ほどかかって目的地に着いた。

 高原を埋め尽くしたススキが秋の微風に揺れていた。
 青い空に浮きでた稜線を人々の列がゆっくりと動いている。
 今この時間、草原は銀づいたススキが秋色を演出している。
 夕刻、夕日を浴びて色づくススキには、今しばらくの時間が必要だ。
 夜、遊歩道に明かりが灯り、ライトアップされたススキが人々の目を楽しませる。

 たなびくススキを背に、午後4時前曽爾高原をあとにした。

投稿者 愉悠舎 日時 2006年10月10日 (火) 日本散歩 | 個別ページ


坂のある風景


 11月3日、昨年他界した友人の墓参りに、長崎を訪ねた。
 総勢9名の道行きである。
 この時期にしては強い陽射しが日没まで道行く私たちの躰を包んでいた。
 お連れ合いの案内で、長崎の市街を見下ろす山の中腹にある墓前に花を添えた。
 それぞれは、それぞれの想いで故人との再会に涙した。
 少し坂を下ったところにお連れ合いの実家がある。
 墓参の帰り立ち寄った。
 海に向かって収束する長崎の街が一望できる特等席の邸宅で連れ合いのご弟妹の歓待を受けた。
 坂に生きる濃い人たちの機微に触れて心が洗われた。


投稿者 愉悠舎 日時 2006年11月 6日 (月) 日本散歩 | 個別ページ