ふし穴談義

・過去ブログ「ふし穴談義」を転載

耐震データ偽造事件(性善説?)

 最近、神戸の中心街はマンションの建設に沸いている。 雨後のタケノコのように乱立するマンションに致命的な欠陥があるとしたら?
 東京を中心に心ない業者によって建設されたマンションやビジネスホテルが、耐震強度不足に揺れている。
 この不正に関わったマンションの開発会社であるヒューザーをはじめ関係業者の悪事が、少しずつ明らかになって来ている。その全貌が国民の前につまびらかにされることを期待する。
 事件が発覚して二週間以上経った。この間いろいろな人が好き勝手なコメントを発し、さまざまな波紋を広げている。その中で一つのことに限って言及しておきたい。それは建築業界の人がメディアで語っていた次のような言葉である「今まで、性善説にのっとってやってきたのでデータのねつ造なんて思いも及ばない、発見するのは無理だ」と、言い換えれば構造計算書や設計図面はノーチェックで現場へ出て行っている、と言っている。これが本当だとすると耐震強度の問題だけにとどまらなくなる。
 人間に間違いはつきものだ、地震や風の力を見誤ることだってある、使用する材料を間違えることもある・・・。力量不足や勘違いによるさまざまな見落としが表面化せず、ことが進んでしまっていたとすれば、・・・。建築業界が扱った構造物のどれかが致命的な欠陥を温存したまゝ日本のどこかに平然と建っているかもしれない。
 上記性善説はほんの一部建築業界の話であると信じたい。
 近年、建築業界に限らずものづくりの現場はチェック機能の減退が著しい。ものづくりが正常に営まれていた頃、上流工程から下流工程まで、これでもか、これでもかとチェック機関が幾重にも目を光らせていた。リストラによる人減らしによりチェック機関が空洞化してしまい、その上金儲けだけにきゅうきゅうとしてきた企業は技術の伝承がなされていない。他人が引いた設計図をチェックできる人間は育っていない。ならばどのような人間を企業は育て上げてきたのか、金儲けを唯一無二の命題とする企業の意のまゝになる「イエスマン」にしか企業で「生き延びる」道を与えていない。
 ものづくりにおけるチェックとは技術的なことをはじめ、全ての事象に「これはおかしい」と敏感に反応し、もの申すことである。これができなければいいものは造れない。

投稿者 愉悠舎 日時 2005年12月 3日 (土) ふし穴談義 | 個別ページ


陽のあたらない場所で(耐震データ偽造事件その2)

 20日朝、総合経営研究所、木村建設、イーホームズ、ヒューザー、姉歯氏自宅等100箇所以上に一斉捜査が入った。
 司直は本気になったか?、闇は深いぞ!

 今日は姉歯氏の心情に添ったはなしを少ししよう。
国会の証人喚問で姉歯氏の証言は信用に値するものと考えてよいのではなかろうか、弁護人を伴わず一人で現れた氏に事実を隠そうとする意図は見られなかった。何を聞かれてもありのまま話そうとする覚悟が一人で国会に向かわせたのであろう。
 氏に悪事を強要したものどもは、彼一人に責任を負わせ闇のかなたに逃げ込もうとしたが、なぜか構造的悪事にまで発展してしまった。彼は「私一人でやりました」とは言わなかった、「私一人ではできません」と言ってしまった。

 ここからは小説なる。

 東北の片田舎に育ったAは、高校で建築学を学び建築会社で実経験を積み、設計会社を経て独立、33歳にして一級建築士の資格を取得する。
 一級建築士が掃いて捨てるほどいるこの業界で、思うような仕事になかなかありつけない。拾い仕事で食い扶持を稼いでいるうちに、K建設の仕事を恒常的に請けるようになった。K社の営業担当S氏とも懇意になった。K社への請求書を水増しし、水増しした分をSにキックバックックするようなことまでして、仕事の安定化に努めた。
 ある日Sは鉄筋を減らせ、梁を小さくしろと具体的な数字を示してAに迫った。持ち帰り計算を試みたが建築基準法を満たす数値にはならなかった。「無理です」とAは何回かSに抵抗した。Sは言った「事務所はほかにもあるよ」、この言葉にAはうろたえた。病気の妻と子供の顔が浮かんだ、断われば家族が路頭に迷う。しかし、数字をコンピュータに入力する計算請負屋に成り下がったとはいえ、一級建築士としてのプライドがある。進むべきか、退くべきか、迷いに迷った挙句Aはついにルビコン川を渡った。
 あとは野となれ山となれ、事務的に数字を入れ替える作業を繰り返した。それでも一級建築士の良心がうずく、この7月関東地方に震度5の揺れが発生した。Aは自分が計算したビルの前に立って舐めるような視線を壁に送った。
 偽造が発覚した夜、久しぶりにぐっすりと眠れた。

 陽のあたらぬ場所に生きた男にはじめてスポットライトが当たった。

 いま、姉歯氏のなすべきことは、事実をありのまゝに話し、病んだ社会の闇に光を当てることである。

投稿者 愉悠舎 日時 2005年12月21日 (水) ふし穴談義 | 個別ページ


砂上の楼閣

 まだ暗い海岸線を見ていると、もう働いている人がいる。凪いだ海に船をだして漁にいそしむ人、国道を北へ南へ走るヘッドランプ、テールランプの鈍い光のなかに身をおく人、家の近くで車のエンジンが止まったのは新聞配達だろうか?
 日本の経済活動を支えているのは、こうした額に汗している市井の人間である。

 東京の一角に六本木ヒルズという名の、人も羨むまばゆいビルがあるらしい、そこに棲むライブドアという会社が東京地検の強制捜査を受けた。容疑は証券取引法違反、嘘の情報を流し関連会社の株をつりあげた、いわゆる風説の流布や粉飾決算、偽計取引の嫌疑がかけられた。
 国家権力による突然の乱入には胡散臭いものを感じるが、株式市場におけるライブドアの乱行に業を煮やしたのであろう。
 株式に何の興味もないので、ライブドアが株式市場でどのようなルール違反を行ったのか、その内容を詮索する気など毛頭ないが、私の知っているライブドアは、インターネットのポータルサイト(入口)を運営する会社ではないのか?それがなぜ証券市場を右に左に動き廻っているのか、ここにも小泉首相の規制緩和を推し進める構造改革が見え隠れする。

 マスメディアが企業を評価する指針として時価総額という言葉をよく使う、時価総額とは「発行株式数×株価」のことらしいが、ライブドアグループの時価総額は、捜索が入る前の1兆円あまりから20日には約5千億円と、4日間で半分に減少している。
 ライブドアグループの5千億円、1兆円といっても、この企業にそれだけの価値があるという実感は沸いてこない。それは経済活動の基礎をなす生産現場からかけ離れた、いわば消費活動に近い企業のせいかもしれない。最近こういう実体の希薄な企業が目立ちすぎる、人の成果をかすめとるような会社が・・・。それはなんでもありの薄汚れた時代の風潮に合っているのかもしれないが、なんともさもしい世の中になったものだ。

投稿者 愉悠舎 日時 2006年1月22日 (日) ふし穴談義 | 個別ページ


危ないビジネスホテル

 神戸にビジネスホテル「東横イン」があったとは知らなかった。ついたちの日、映画を観た帰り、野次馬根性を発揮してそのホテルに立ち寄った。写真は神戸1号ホテルのほうだが、生田川沿いの国道2号線に近い位置に建っていた。まだ新しく開業してそう日が経っていないようだ。
 そこから歩いて10分ほどの所に、各鉄道が集まる三宮のターミナルがある。その近くに2号ホテルはあった。2日開業の看板をそのまゝに、作業員が数人忙しく立ち働いていた。
 ビジネスホテル「東横イン」は偽装工事を行ったことで世間の批判を浴びているが、ここ「神戸三ノ宮(Ⅱ)」もご多分に漏れず身体障害者用の客室がなく、1階の障害者用トイレも基準以下のものであった。にもかかわらず一昨日開業した。理由は予約者が一杯で客に迷惑をかける、ということらしい。このような経営者に客云々を口にする資格などないが、さきの大震災で「人へのおもいやり、やさしさ」を学んだこの地域で、もっとも配慮しなければならない体の不自由な人を切り捨てて「金儲け」をするような経営者は、一刻も早くこの街から出て行ってほしい。
 障害者にやさしくないホテルは健常者にやさしい筈がない。こんなホテルに泊まると、枕を高くして寝ることもできない。

 「東横イン」の偽装工事事件が、当ホテルの「宣伝」に役立ったと思わせることのないように、我々はしっかりと対応していかなければならない。

投稿者 愉悠舎 日時 2006年2月 4日 (土) ふし穴談義 | 個別ページ


イチローのいた日
 今、イチローを再評価するマスメディアが目立つ。

 巷ではイチロー論がかまびすしい。
 1994年暑さの残る秋はじめ、イチローが日本プロ野球史上初のシリーズ200本安打を、振り子打法で打ち放つ瞬間に立ち会う幸運に恵まれた。
 その日私は仕事をしながら、イチローの200本安打を予感した。定時のサイレンを待たず、会社を飛び出し球場へ向かう地下鉄に乗った。
 たしかまだ3本のヒットが残っていた。1、2、3打席と連続してヒットを打ち、すんなりと200本安打を達成した。2塁ベース上で花束を手にし、野球少年のような顔を見せてイチローは、観衆の声援に手を上げて応えた。

 その時からイチローのいる球場へ度々通った。彼の一挙手一投足が絵になった。バッティング、守備そして走塁において卓越した才能を魅せてくれた。その立ち居振る舞いの美しさは、アスリートと言うよりも、美を全身で表現するアーティストに思えた。特に私を魅了したのは、塁間を駆け巡るランニングに見せる、背筋を張ったフォームである。国際大会(WBC)で見たイチローは風の抵抗を避けるためか、前かがみ加減に変わっていた。年月を経て形よりも実を取るようになったのか、少し寂しい気がする。寂しいといえばバッティングフォームも変わった。動きながら軸足を左足から右足に移す振り子打法はもう見られない。

 1995年神戸が震災に遭った年、リーグ優勝にマジック1と迫ったロッテ3連戦に、連敗したあとの最終戦を観た。イチローが1回裏デッドボールを受け、先行きに影を落とした。案の定オリックスは負け、優勝を西武球場に持ち越した。負けても荒れることなく整然と選手に拍手を送り続けたファンに、イチローは感謝とここでプレーできる幸せを述べた。二十歳過ぎの青年に言える言葉でない。

 アメリカへ行く前の年の2000年、日本で最後のプレーとなった年の夏、ライトスタンドでイチローを観た。右中間深く打たれたボールを目で追うことなく疾走した。フェンスの前でくるっと180度回転したイチローはグラブを頭上に差し出した。測ったようにボールがグラブに吸い込まれた。
 その年を最後にイチローは海を渡った。

 イチローのいた日、私は母の作ったグラブでスポンジボールを追った少年の日に還った。

投稿者 愉悠舎 日時 2006年3月23日 (木) ふし穴談義 | 個別ページ


働く場の喪失

 まもなく小泉内閣は終を迎える。小泉内閣の5年間で日本の経済は「いざなぎ景気を超えるか?」と、原稿を棒読みするテレビのニュースキャスターに反感を覚える。

 私は新聞を購読していないのでテレビしか知らないが、マスメディアの小泉内閣への迎合は目に余る。
 「好景気」を謳う裏には、諸経済指標の数値が5年前に比べて良好な結果を示しているのだろう。しかし、我々国民の多くはそのおこぼれにあずかっているという実感はない。私が無職の身であるからかもしれないが、そうとも言えないさし迫った日本の状況がある。

 小泉内閣が歴代内閣から引き継いでそれをさらに強力に推し進めた「構造改革」、「規制緩和」は富の格差をより大きくし、巨大企業を筆頭に一部のものは、より多くの富の蓄積をはかり、他方(国民)に貧困の増大を招いたのではなかろうか。
多くの国民に弊害をもたらした小泉内閣の5年間は、小泉首相自身が自らの「改革」を、とくとくとして語って見せるようなものでは決してない。

 私は永年にわたり勤め人の生活に憂き身をやつしてきた。労働市場の変遷も身をもって体験してきた。それゆえに、小泉内閣の悪しき政治の中で、特に働く環境の悪化に無関心でいられない。

 90年代に入り労働市場の流動化が顕著になり、その中で目をひくのが派遣労働者の増大である。労働者派遣の大幅な「自由化」をはじめとする働く者・働く場の法制度の「規制緩和」によって、正規雇用者が駆逐され、非正規雇用者が大幅に増大した。そして、非正規雇用者の群れの周りに、より劣悪な労働条件に甘んじる、失業者予備軍が形成されるに至った。
 総務省の「労働力調査」によると、95年から06年の間に正規雇用労働者は3805万人から3340万人に減少し、非正規雇用労働者は971万人から1663万人に増えている。

 大量の無権利労働者の形成が労働者全体の賃金を押し下げ、その中から「ワーキング・プア」(貧困勤労者)と呼ばれる人々を生み出している。

 7月23日(日)午後9時からNHK総合テレビで放映された「ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない 」は見るものに衝撃を与えた。「ワーキング・プア」は一生懸命働いても生活保護水準以下の暮らししかできない人たちを指して言う。
 私がショックだったのはそういう人たちが高齢者層の貧困家庭ではなく、若い働き盛りの層に目立っていることだ。
 住所不定ゆえに日雇いを余儀なくされている都会の若者、地方では収入が少なく税金を払えない人たちが急増している。価格競争に敗れて農業を捨てる人等々、「ワーキング・プア」の実態を見ていると切なさが胸に迫る。

 厚生労働省が8月29日に発表した「一般職業紹介状況」によれば、7月の有効求人倍率(季節調整値)は1.09倍と8ヶ月連続で1を上回ったとし、誰もが場所や業種を選ばなければ職にありつけるとしている。その中で都道府県別の有効求人倍率の最も高いのが愛知県の1.94倍で、愛知県の「好況」ぶりが喧伝されている。しかしながら、その中身を正確に報道するメディアは少ない。
 ここにはトヨタを中心とする産業が君臨しており失業率が低く有効求人率は全国トップ であるが、求人の実態は派遣パートが中心である。

 トヨタ系の会社がひしめくこの地方に全国から職を求めて人々がやってくる。かつて期間工と呼ばれ家族を故郷に残し、単身で期限を限って働きに来ていた人たちに代わって、今ここは子連れや夫婦あるいはカップルで、その日の糧を求めて流れ歩く若い人たちが増えている。
 彼らの中には低賃金ゆえに国民健康保険や年金にも加入できない人が多くいる。
 新しい形の貧困層が確実に増えている。

 小泉首相はよく「自己責任」を口にした。また、「格差」を肯定した。民主主義社会の政治をつかさどる者が間違ってもそういう発想に立ってはいけない、いやいけなかった。それは自らの政治能力を否定し、経済的弱者を闇の彼方に葬り去るものでしかない。

 ポスト小泉の本命である安倍氏は憲法の改変を政権構想の核に持ってきた。安倍氏にはナショナリズム、もっとどぎつい言い方をすれば国粋主義者のにおいが漂っている。アメリカの対日支配政策によって、A級戦犯容疑から解放された戦争犯罪人である岸元首相の係累である安倍氏に、首相になる資格があるとは考え難い。
 彼が小泉首相の跡を固めると思うとゾッとする。

投稿者 愉悠舎 日時 2006年9月17日 (日) ふし穴談義 | 個別ページ


1.17に想う

 小雨が地面をぬらす朝である。阪神・淡路地方に13回目の朝がやってきた。
 震災から12年、神戸の街から震災の傷痕は消えたかに見えるが、その分見えにくくなってきた震災後遺症の影は深く大きい。

 震災によって疲弊した経済の足取りはいまだに重い。
 2005年度の被災地のGDPは震災前の水準に回復していない。
 特に淡路地方は深刻だ。「1993年度を100とした数値で・・・被災12市では99.5と、震災前の水準に届かない。・・・尼崎83.5、洲本83.8と、製造品出荷額の激減と人口流出が重なった地域は落ち込みが激しい。県内で最も額が大きい神戸も99.2にとどまっている。南あわじ、淡路と合わせ計5市で震災前の水準に達していない」(神戸新聞 2007年1月16日付)

 それと、昨年11月、兵庫労働局が発表した兵庫県の有効求人倍率は0.96倍で全国平均1.06倍を下回っている。

 このように落ち込んだまゝの経済活動の中で、被災地に暮らす人々の生活は楽でない、加えて政府の「格差」政策が追い打ちをかけている。

 また、被災者の高齢化が進み県営復興住宅の高齢化率は45.5%で、県営一般住宅の2.3倍と高く、一人暮らしの高齢者の割合も40.6%になっている

 高齢化、孤立化の進む被災地に行政は冷たい。兵庫県内の災害復興公営住宅での孤独死は昨年1年間で66人(男性41人)に上り、その平均年齢は71.2歳で8割が60歳以上であった。66人という数字は「検視の統計がある00年以降の孤独死は、00年56人▽01年55人▽02年77人▽03年69人▽04年70人▽05年69人。総数は462人になった」(毎日新聞 2007年1月12日付)と、あるように一向に減る傾向にない。

 他方、震災で受けたストレスから立ち直れない人、壊れた家の住宅ローンを払い続けている人、震災孤児たちの苦闘、等々・・・。

 12年を経て、なお震災を引きずって生きている人たちに国の政治は届いていない。国民の健康と暮らしを護るべき政府の目は国民に向いていない。その典型を阪神・淡路大震災の被災地に見る。

投稿者 愉悠舎 日時 2007年1月17日 (水) ふし穴談義 | 個別ページ


アウン・サン・スーチーの国で

 1945年6月19日、ビルマ(ミャンマー)の首都ラングーン(ヤンゴン)に生まれたアウン・サン・スーチーはこの6月で63歳になる。理知的な顔立ちに微笑みをたたえた美貌は、世界の人びとを魅了する。
 ビルマ民主化運動希望の星、軍事政権によって今なお自宅軟禁状態を余儀なくされているスーチー女史の国が大きな災禍に見舞われた。

 軍事政権は1991年にビルマをミャンマーにラングーンをヤンゴン変え、その後首都も移転してしまった。
 4日夜、サイクロンがミャンマーの最大都市ヤンゴンなどを直撃した。サイクロンによる被害はその実態が徐々に明らかになるにつれ、未曾有の災害の様相を帯びてきた。
 国連人道問題調整事務所(OCHA)は11日、サイクロンによる被害者は死者数が約10万2000人に達し、行方不明者数は約22万人にのぼるとの推計を明らかにした。
 深刻な被害を受けた人の数は150万人から200万人とも言われている。
世界中から集まった救援物資は軍事政権下にあって、空腹にあえぐ被災者には充分届かず、被災者に飢えや衰弱、下痢などの症状が広がっている。

 この惨状のなかスーチー女史の安否が気になる。
 昨年、女史の誕生日に私は船旅の途中シンガポールにいた。スーチー女史の誕生日を祝って船側が掲げた「Happy Birthday Aung San Suu Kyi」の横断幕の下で、一人静かにスーチー女史の誕生日を祝った。
 時を同じくして、船上で紛争予防国際会議(GPPAC)が行なわれていた。そこに参加していたオマルという若い女性は自国ミャンマーの民主化運動に命を賭していた。ミャンマーに足を踏み入れることを禁じられている彼女は国外から望郷の念を断ち切ってミャンマーの民主化に奔走していた。

 今二人の女性は祖国の惨状に、ミャンマーの内と外から何を想うや、民主化のその日を元気で迎えられるよう願ってやまない。

投稿者 愉悠舎 日時 2008年5月12日 (月) ふし穴談義 | 個別ページ


里山資本主義

 今年も残すところ、あと一日になった。
 2013年は阿部内閣の「アベノミクス」で始まり、いまなお衰える様子もなく新しい年を迎えそうだ。
 経済政策ばかりか、外交、内政における阿部内閣のツンノメリが気がかりだ。

 「一将功成りて万骨枯る」に、ならぬよう祈るばかりだ。

 「金儲け主義」に走る中央の動きに対して、静かに裾野を拡げているイズムがある。
 「アベノミクス」に代表される「マネー資本主義」とは別の「里山資本主義」なるイズムがそれだ。

 「里山資本主義」はNHK広島放送局がつくった言葉で、2011年秋から里山を掘り下げたドキュメンタリーのシリーズを一年半にわたって制作し、この夏、NHK広島取材班とエコノミストの藻谷浩介氏が「里山資本主義」を出版した。

 本書の中身を吟味している分けではないが、端的に言うと、「里山資本主義」とは山林資源を生かした地域再生の取り組みであり、リーマンショックで破綻した「マネー資本主義」に変わる経済システムを構築しようとするものである。

 本書関係者に言わせれば、里山には先祖代々築いてきた自然との共生システムがあり、これを踏襲していけば水、食料、燃料、それに幾ばくかの金を得ることが出来る。
 そして、新鮮な魚介類や野菜を前に自然エネルギーの灯の下で、薪ストーブや囲炉裏を囲み「縦のムラ社会」でない、地域の「横コミュニティー」を構成する。
 都会であくせく働く人たちよりも、里山で暮らす人間の方が、金はないけど、豊かさを享受しているのではないか、と言う。

 里山には人間生活の根幹を成す資本があり、里山の資源を行かして行くことを、「里山資本主義」として、世に喧伝している。

 現在、私が身を寄せている淡路島は「里山資本主義」を標榜するに相応しい地域だと思うが、この地域は閉鎖性が強く、拓かれたコミュニティーへの道は前途遼遠だ。だけど、此処には第一次産業を営むに足る豊富な資源がある。
 淡路島は食料に関し、食料自給率(カロリーベース)が百パーセントを超えているので自給自足は容易だ。加えて多種多様な天の恵みがある。

 豊穣な海と肥沃な土地に恵まれた淡路島は古くから御食国(みけつくに)と呼ばれ、朝廷に食料を貢いできた栄えある歴史がある。淡路島は日本で自立し得る数少ない地方だ。

 「淡路島の自立」を勧める人に出会った。
 先日、師匠夫妻のお供をして近くの「おのころパーク」へ「クリスマスディナー」に出かけた折、挨拶されたのが兼高かおるさんだった。女史は1959年(昭和34年)から31年間、テレビ番組『兼高かおる世界の旅』を担当したジャーナリストで、世界を旅した足跡の一部が「淡路ワールドパークONKORO」内に「兼高かおる旅の資料館」として展示されている。その関係で挨拶をされたのだが世界をくまなく歩いた豊富な体験と、女史の知性に裏打ちされた話は私の懊悩に焼きついた。
 淡路島をこよなく愛する女史は、「・・・以前、淡路の海の見える場所に住まいを探したことがあったが、ある事情で実現しなかった、また探すかも知れない・・・」と、そして最後に「豊かな淡路は〇〇すればいい」と、淡路島民にエールをおくった。
 1928年生まれの女史の意気軒昂な姿に力をもらった。


投稿者 愉悠舎 日時 2013年12月30日 (月) ふし穴談義 | 個別ページ