和歌山へ
朝な夕な、対岸の山腹に聳える「休暇村紀州加太」を見て過ごしていた。
そこから我が「愉悠舎」を見たくて出かけた。
直線距離で15キロほどだが、ぐるっと陸路で150キロ。
残念ながら梅雨前線の影響で夕陽も愉悠舎も視界のそと。
同じ友ヶ島でも見る方向・角度によって随分かたち・姿が違う。
客室から見る友ヶ島↓

客室から見る加太港↓

宿での食事を少し気張った。


宿に着く前、ワイフの父母たちが眠る墓所へ。
墓は和歌山城近くの西要寺。
徳川御三家の一つ紀伊藩から百石の禄を受け、名の通り「西の要塞」としての役割を担った寺。
山門の屋根、軒瓦の上の瓦に葵の紋が入っている。
親に私たちの無事と健康を報告。



翌日、JR和歌山駅より和歌山鉄道貴志川線に乗る。

和歌山から貴志川までの全線を往復する。
途中、下車をしながら田舎の風景を楽しむ。
この路線はネコの駅長・タマが働いている。
「タマ」は本日休暇。
でも「ネコ電車」やタマの画像などに接して満足。
久しぶりに童心に還った。
下↓、画像の駅舎は駅長・タマの職場(貴志川駅)


↑本日のシメに、ワイフの奨めで「和歌山ラーメン」を食する。
とんこつ出汁の醤油味だが、アッサリしている。
ワイフはむかし食べた、そのものの味だと。
投稿者 愉悠舎 日時 2016年7月14日 (木) 日本散歩 | 個別ページ
2016年・9月大和路(大和三山 1/6)
25日、奈良県の御所市と大阪の境目に位置する葛城山(959.2m)へロープウェイで上った。
山頂近くの展望台から大和三山を撮った。(下の画像)
大和三山とは香具山(かぐやま:152m)・畝傍山(うねびやま:199m)・耳成山(みみなしやま:140m)を言い、奈良盆地の南部に聳えている。
万葉集で中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が詠んだ歌をはじめ、多くの歌が詠まれてきた。
中大兄皇子の歌は香具山と耳成山が畝傍山を愛し争った神話をもとにした歌であるが、弟・大海人皇子と額田王をめぐり争った三角関係を大和三山に例えたとも言われている。
香具山かぐやまは 畝火うねびを愛をしと 耳梨みみなしと 相あひあらそひき
神代かみよより かくにあるらし 古昔いにしへも 然しかにあれこそ
うつせみも 嬬つまをあらそふらしき
(万葉集 中大兄皇子)
撮った大和三山のうち香具山の姿が他の山々と重なり、明確な輪郭を捉えることが出来なかった。
下山して「千体石仏」で知られる九品寺へ行ったおり、そこから椀状の大和三山を視界におさめることが出来た。
・↓頂上近くの展望台から

・↓九品寺から観た大和三山(それぞれの山は三角形の交点にある)

・↓ロープウェイで下山途中観た大和三山

投稿者 愉悠舎 日時 2016年9月26日 (月) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ
2016年・9月大和路(九品寺 2/6)

葛城山ロープウェイ近くに九品寺(くほんじ)がある。
やま懐にひっそりと佇む寺である。
あまり広くない寺一帯に1600体を超える石仏が参道、境内、本堂の裏山にと、いたるところに置かれている。
中でも本堂裏山の蛇行した細い道を上り詰めた斜面に置かれている石仏は、斜光の影になり神秘性を宿していた。
西陽が邪魔をして謎めいた石仏たちの表情を捉えることが出来なかったが、数の多さに圧倒された。
・↓千体石仏(千体地蔵尊)

山門を出て寺の横道を少し歩いた。
道の先に大和三山が望めた。
目を横に向けると、彼岸花の群生。
夕陽を受けた稲穂とのコントラストが鮮やかだ。
撮影のスポットか?カメラを構える人が目立つ。
・↓映える彼岸花

投稿者 愉悠舎 日時 2016年9月27日 (火) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ
2016年・9月大和路(金魚と城のまち・大和郡山 3/6)
疎水に金魚が泳ぐ大和郡山を歩いた。
・↓大和郡山城の裾を走る近鉄の電車


↓街角で拾った二景。


この日投宿した橿原ロイヤルホテルからの近鉄橿原神宮前駅。
左の大きな駅舎が「橿原神宮前駅中央口」、手前の駅舎が「近鉄橿原線東改札口」、正面の駅舎は「近鉄南大阪線西改札口」

投稿者 愉悠舎 日時 2016年9月28日 (水) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ
2016年・9月大和路(慈光院 4/6)

24日の夕方、大和郡山にある慈光院を訪れた。
奈良盆地を望む書院でお茶をいただきながら見事な庭園に浸る。
なんと贅沢なことよ!
慈光院;
慈光院(じこういん)は奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は円通山。本尊は釈迦如来。石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が創建した。(
Wikipedia 最終更新日 2016.03.20)
慈光院の建物;
・書院(重要文化財)
農家風の外観をもつ慈光院の中心的な建物。入母屋造茅葺屋根に桟瓦の庇をめぐらし、十三畳の上の間と、中の間、下の間からなる。上の間には床・付書院を備えているものの、長押は省かれ、簡素で軽やかな意匠である。また全体に天井や鴨居の高さを低くしており、座ったときに安らぎや落ち着きが出るよう熟慮されている。奈良盆地の眺望が素晴らしいことでも名高い。北側には三畳逆勝手の閑茶室がある。
・茨木門 徳川家康の発した一国一城令により取り壊された片桐石州の出生地でもある摂津茨木城の楼門をもらい受けたもので、屋根を書院と合わせて茅葺きに葺き替えて慈光院の山門とされた。
・庭園(名勝・史跡) 白砂の中にツツジなどの大刈込があり、その向こうには奈良盆地が広がる。( Wikipedia 最終更新日 2016.03.20)
・↓入母屋造茅葺屋根の書院

・↓書院から観る奈良盆地、山々に薄っすらと夕霧

・↓書院と庭園

・↓庭園、後ろに書院

・↓茨木門 表から(レンズに雨しずく)

↓茨木門 裏から

投稿者 愉悠舎 日時 2016年9月29日 (木) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ
2016年・9月大和路(水平社 5/6)

御所市の「水平社博物館」を訪ねた。
水平社は1922年3月3日、京都で創立大会が行れ、このとき採択された創立宣言は、日本最初の人権宣言といわれている。
「水平社」の「水平社創立宣言と関係資料」が今年の5月、アジア太平洋地域の記憶遺産になった。
日経新聞に依れば「・・・ユネスコ国内委員会によると、アジア太平洋地域版の記憶遺産は1998年の創設。ほかにもアフリカなど地域版の記憶遺産がある。ユネスコの国際諮問委員会(IAC)が世界レベルの価値を認め、選定する世界記憶遺産と直接関係はない。〔共同〕2016/5/25
」、とある。
水平社創立宣言の起草者・西光万吉の墓が博物館の向かい側、川を挟んだ西光寺の境内にある。
創立宣言の告文、「人の世に熱あれ 人間に光あれ」が彫られている。

投稿者 愉悠舎 日時 2016年9月30日 (金) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ
2016年・9月大和路(再び葛城山から 6/6)
大和路めぐりの終わりに、葛城山頂上からの眺めを角度を変えて再び掲載。
葛城山(959.2m)は金剛山に連なる金剛山地の一つでその主峰を成す。
冬の金剛山((1125m)の樹氷を見に、若い頃ふもとから登ったことがある。
頂上から南に金剛山が見え、西に眼を転じると大阪湾が拡がる。天気が良ければ大阪湾の向こうに六甲連山や淡路島が見渡せる。
・↓吉野、大台ケ原方面を望む

・↓大阪湾方面を望む、右下のタワーは「りんくうゲートタワービル」

投稿者 愉悠舎 日時 2016年10月 1日 (土) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ