ライトアップ in 東大寺
26日、この時期、夜の奈良は「ライトアップ プロムナード・なら」として、いにしえの奈良が演出されている。
ホテルのスタッフの案内で東大寺のライトアップを観た。
東大寺では、大仏殿と南大門がライトアップされている。
闇に照らし出された仏閣は荘厳にして、思わず頭(こうべ)をたれる。
・南大門から大仏殿を臨む

・南大門の向こうに大仏殿


投稿者 愉悠舎 日時 2015年9月28日 (月) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ
かつて繫栄した五條市
27日の昼前、五條の古い街並みを散策した。

・五条駅と新宮駅を結ぶ幻の五新線築堤跡

・新町通り

・新町通り入口



五條市の歴史
古代の宇智郡の地であり、宇智神社を始め、大和に移住させられた阿田隼人が祭った阿陀比売神社(旧・阿陀郷)などの延喜式内社が鎮座する。また栄山寺には奈良時代に藤原仲麻呂が創建した八角堂(国宝)も残る。
南北朝時代の1348年に南朝の本拠地である吉野が陥落した際に、後村上天皇が賀名生(現在の五條市西吉野町)に入り、一時期南朝が置かれた。 1600年に松倉重政が関ヶ原の戦いの論功で領土を与えられ、大和五条藩(現在の五條市二見)が成立、江戸時代に入り1616年に重政が島原藩に移封されるまで存続した。重政は五条藩では城下町である新町(現在の五條新町通り界隈)の振興に努めてその後の繁栄の基礎を作ったが、島原藩移封後は圧政を敷き島原の乱の原因を作った。その後、幕府の天領となり、1795年に五條代官所が設置された。多数の街道や吉野川(紀の川)の水運など交通の便に恵まれ、南大和統治の中心地として栄えた。旧紀州街道に当たる新町通りが街の中心で、現在も往時をしのばせる家屋が多数残っている。
1863年(文久3年)8月17日(旧暦)、天誅組が五條代官所を襲撃、代官鈴木源内を殺害し倒幕運動の烽火を上げたことでも知られる(天誅組の変)。天誅組の本陣は桜井寺(現在の五條市須恵、本陣交差点の近く)に置かれ、一時「五條仮政府」を名乗った。
明治初年の一時期五條県が置かれた。( Wikipedia 最終更新日 2015.09.08)
投稿者 愉悠舎 日時 2015年9月30日 (水) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ
壷阪寺
9月27日昼下がり、吉野山のふもと壷阪寺へ。
目の不自由な夫とその妻を描いた物語「壺坂霊験記」は浄瑠璃、歌舞伎、講談、浪曲等の演目として世の人々の涙を誘った。
新旧織り交ぜた仏閣は商業化の波に揉まれていた。
・左から八角堂、礼堂、三重塔、手前慈眼堂↓



・奈良盆地↓

投稿者 愉悠舎 日時 2015年10月 1日 (木) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ
大和路のホテイアオイ
9月27日夕刻前。
奈良の橿原市にある本薬師寺跡に、ホテイアオイが群生している。
帰路途中ホテイアオイ園に立ち寄った。

・池に咲く

・大和三山のひとつ畝傍山(うねびやま)を背に

・咲き乱れるホテイアオイ

投稿者 愉悠舎 日時 2015年10月 2日 (金) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ
帝釈峡
いちど訪れてみたかった帝釈峡。
「休暇村 帝釈峡」に連泊し周辺を楽しんだ。
初日は雨にたたられたがそれにもめげず、午前中「神石高原町」辺りをうろつき、昼からふもとの町なみを散策した。

二日目、雨はやんだが今にも落ちてきそうな曇天の中、神龍湖へ。
パーキングへ車をおき、遊歩道をハイキング。
「雄橋」を目指し、二時間歩いた。
「雄橋」のスケールに感動、日本で最も巨大な石橋。
「雄橋」から洞窟の入口が天然の橋として残っている「鬼の唐門」、鍾乳洞・「白雲洞」、の傍を通り、上帝釈の基点へ。
そこで昼食を摂り、来た道を引き返そうとしたが、地元の人に「雨模様の天候」を理由にタクシーを奨められた。
結局、2時間の道中を共にした大阪からやって来た人のアドバイスに従い、東城駅までバスで行き(一日に一、二本しかないバスに間に合った)、駅からタクシーで車の止めてある神龍湖) へ帰って来た。

・下の画像、「里居山森林公園」、「森林公園」を下りる途中、「神龍湖」、そして「雄橋」



・石灰石の天然橋 <雄橋 >

・夏、アユが激流に逆らって遡上の途上、飛び跳ねる姿が見られる「断魚渓」の流れ

投稿者 愉悠舎 日時 2015年11月20日 (金) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ
天理教本部のシダレ桜
娘一家が天理駅(近鉄・JR)の近くに引っ越したので出向いた。
孫たちの案内で天理教本部内のサクラ見物とシャレこんだ。
桜たちのなかに迫力満点の見事なシダレ桜が三本。(樹齢70年ほど)



投稿者 愉悠舎 日時 2016年4月 2日 (土) 日本散歩 | 個別ページ
2016年4月10日 (日)
旭川沿線サクラ巡り

待てど暮らせど来ぬひとを・・・と、竹久夢二の歌碑が河口に建つ岡山県の旭川。
旭川は岡山県の中央部を南に流れ、支流146を含めた総延長は822km、流域の人口34万。 吉井川、高梁川と並ぶ岡山県の誇る三大河川の一つである。
旭川の上流から南下するかたちでサクラ巡りを楽しんだ。
7日(木)雨の中、淡路島を出発。
神戸西ICを通り山陽自動車道に入り、播但連絡道路福崎ICで中国自動車道に乗り継ぐ。
中国自動車道の落合Jctを右にハンドルを切り、米子自動車道に入り湯原ICで高速を下る。
本日の宿は湯原温泉「花やしき」。
コジンマリした宿で、気さくな女将さんをはじめ従業員の行き届いたモテナシ、手の込んだ多種多様な会席料理に満ち足りたひと時を過ごさせてもらった。

宿の前、旭川の向こう岸にライトアップされた桜を撮った。
短い三脚しか持って来なかったので、対象の桜がファインダーにうまく収まらない。
三脚は重くても、長くて大きいのが必要だ。
それにリモートスイッチ、自動だが20秒間シャッターを開けて撮影した。
翌日、出発前に近くにある混浴露天風呂を覗いた。
砂を噴き上げながら湯が湧きあがってくる温泉で、砂吹き湯・「砂湯」と呼ばれている。
露天風呂にある木製の建物はダムの放流時、重機を使って避難するらしい。(建物が流されるより避難する方が安くすむ)
いざ出発!
最初に訪れたのは新庄村の「がいせん桜」。
新庄村は人口千人の小さな村で、明治5年の村政施行以来一度も合併していない。合併を繰り返し「共食い」、「切り売り」で先細っていく昨今の市町村にあって貴重な存在だ。
日露戦争の勝利を記念して植えた桜は、百年以上を生き相当くたばっている。
村民の懸命な「介護・治療」により今年も花を咲かせている。
次は少し国道を下がり美甘(みかも)へ。
出雲街道の宿場町美甘の川岸に咲き誇るソメイヨシノ。
旭川の支流新庄川の堤防沿い600mに50本の桜。
この日一番の満開。
美甘をあとに古い町並みが残る真庭へ、ワイフが見つけた十割蕎麦の店でソバを賞味。
昼食後、町並みの端にある駐車場に車を止める。
保存地区を散策する前に「桜の名所 城山森林公園」に上る。
途中斜面一杯に満開の桜。(上)
勝山の町並み散策はワイフのメインエベント。したがって私はワイフと離れて一人で横道・裏通り散歩。
横道にそれて見つけたのが旭川の土手に伸びる高瀬船場跡。
石積みの船着場は古代より大正年間まで、勝山と岡山を行き来する船荷の運搬に使われた。
桜巡りは未だ続く。
勝山から久世へ。
旭川堤防に1000m、久世のトンネル桜は「散り染め」。
桜吹雪の中を往復した。
河川敷で酒盛りをする人たちの笑顔に花びらがヒトヒラ、フタヒラ。
散り染めるサクラを背に私とワイフは岐路についた。
〔勝山・町並み保存地区〕
古くは出雲街道の要衝として繁栄。土蔵はもちろん、白壁や格子窓の古い町並みが残ることから、昭和60年に岡山県初となる「町並み保存地区」」に指定。昔ながらの酒蔵に、旧家、武家屋敷といったノスタルジックな建物に加え、古民家、蔵などを活用した工房、カフェ、ギャラリーなどが軒を連ね、歩くだけでも楽しい趣をかもし出しています。
古きよき伝統を残しながらも、今の時代の新しいセンスも巧く取り入れる地域づくりは全国でもモデルケースとして注目を集め、観光客だけでなく、視察として訪れるグループも多数。文化の香りを伝えるとともに、各軒先をかざる暖簾の風景がこの町の一体感、そして人の温もりをしっかりと表現してくれています。(岡山県真庭観光連盟HP)
・4/7日 午後8時51分 湯原温泉 宿の前から 満開

・4/8日 午前10時56分 新庄村 がいせん桜 5分咲き

・美甘のソメイヨシノ 4/8日11時34分 満開

・久世のトンネル桜 4/8日 午後3時11分 散り初め

・高瀬舟の船着場

投稿者 愉悠舎 日時 2016年4月10日 (日) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ
草花・滝・城

もうすぐ関西に梅雨がやって来る。
梅雨に入る前に兵庫県の西播磨・宍粟市(しそうし)を訪ねた。
其処でカメラを向けた中から以下の三つを掲載。
1.珍しい植物花・クリンソウ
2.落差88mの原不動滝とそうめん滝
3.天空の城・波賀城
1.クリンソウの群生(★1)
クリンソウ(九輪草)が宿泊先の近くの湿地帯に群生していた。
クリンソウの名は寺の屋根を飾る九輪に似ているのでその名がついた。
花は階層状に次々に咲く。(東山温泉メイプルプラザ内)

2.落差88mの原不動滝とそうめん滝(★2)
原浮動滝は「日本の滝百選」の一つ。
そうめん滝は国道29号線の傍にある。
3. 天空の城・波賀城(★3)
波賀城
波賀城は弘長年間(1261年 – 1263年)に芳賀七郎が築城し13世紀中頃から戦国時代末期まで播磨国の中村氏が城主として拡張した山城で、印旛街道と千種を結ぶ街道を眼下に望む独立峰の城山(標高458m)の山頂に位置する。

3当史跡公園は、宍粟郡波賀町が波賀城跡を1990年(平成2年)から開始した発掘調査と史跡公園としての整備事業により、誕生した。山麓から山頂の城郭に至る遊歩道が造られ、城郭内には二層櫓、冠木門などが復元された。(
Wikipedia 最終更新日 2016.03.07)
・クリンソウ


・ 原不動滝(上)、そうめん滝(下)


・波賀城(二重櫓)


投稿者 愉悠舎 日時 2016年5月29日 (日) フォト・グラフィティ, 日本散歩 | 個別ページ