魚の棚&赤穂浪士ゆかりの梅


相生へ牡蠣料理を食べに行く途中、明石へ寄って「魚ん棚」と月照寺へ。
久し振りの「魚ん棚」は観光地化している。
月照寺へは赤穂浪士ゆかりの寺で四十七士のひとりが植えた梅を愛でに。
投稿者 愉悠舎 日時 2015年3月 3日 (火) メール投稿, 日本散歩 | 個別ページ
播磨灘・二景


相生湾の入口近く、「HOTEL万葉の岬」と、そこから東へ15キロほど行った、御津(みつ)町にある「綾部山梅林」から見た播磨灘。 今日は冷えこんだ。
綾部山梅林の梅も見頃は未だまだ先だ。
投稿者 愉悠舎 日時 2015年3月 4日 (水) メール投稿, 日本散歩 | 個別ページ
播磨造船所の今!

冬枯れのせいか? 少し淋しくて侘びしい。
相生湾の付け根に横たわるIHI(旧名、石川島播磨重工)の事業所を対岸から眺めた。
この地から造船の灯が消えて久しい。 かつて重厚長大の屋台骨を支えた造船王国の面影はない。
動かぬジグクレーンやひっそり閑とした工場の佇まいに、憂いが募る。
3月4日 水曜日の昼まえ。
投稿者 愉悠舎 日時 2015年3月 5日 (木) メール投稿, 日本散歩 | 個別ページ
綾部山梅林


播州・綾部山梅林の梅を観る。
梅林の謳い文句、「ひと目二万本」には程遠い。
二分か三分というところか?
3月4日の此の日、春はそこまで来てるのにもどかしい。
梅林の開園期間は2/11日〜3/22日。
投稿者 愉悠舎 日時 2015年3月 6日 (金) メール投稿, 日本散歩 | 個別ページ
絶景なり!美味なり!

3日、播州の相生湾沿いの高台にある「HOTEL万葉岬」に牡蠣懐石料理を食べに行った。
食事もさることながら部屋から望む瀬戸内海の眺めは素晴らしい。
ホテルの宣伝文句に、「HOTEL万葉岬は、花と海にかこまれたやすらぎのリゾートホテルです。万葉集にも歌われる瀬戸内の景観は、悠久の時を越えてこころに染み渡ります」とある。
大げさなキャッチコピーが多いなか、「HOTEL万葉岬」は看板に偽りがなかった。
食事もしかり、瀬戸内の相生産の牡蠣を使った牡蠣づくしを堪能。
牡蠣は大ぶりで旨みがあり、内容も豊富で言うことなし。
ホテルの方に伺ったところ、当ホテルの前身は国民宿舎とのこと。
そのせいか?料金も一泊二食付でひとり1万円と安い。
また来たい、と思わせる宿である。





投稿者 愉悠舎 日時 2015年3月 7日 (土) 日本散歩 | 個別ページ
湖畔のソメイヨシノ

琵琶湖の北部、海津大崎の桜を愛でに来た。
花は見頃、満開のソメイヨシノが湖畔を埋める。
投稿者 愉悠舎 日時 2015年4月 9日 (木) メール投稿, 日本散歩 | 個別ページ
清水の桜

海津大崎桜の近くに樹齢300年以上のアヅマヒカン桜がある。
淡いピンク色した小ぶりの花ビラが、こぼれ落ちんばかりに溢れ咲く。
この清水(ショウズ)の桜は水上勉の小説「櫻守」にも描かれている。
投稿者 愉悠舎 日時 2015年4月10日 (金) メール投稿, 日本散歩 | 個別ページ
湖北の桜と彦根城
九日、十日の二日間、桜を訪ねて琵琶湖の北を巡った。
名神の大津ICでおり、湖西を走り、着いたところが琵琶湖の北端・高島市マキノ町の海津湾。
海津湾・東の岩礁地帯に連なる桜の並木、「海津大崎の桜」が4キロにわたり、湖に影を落としている。






海津大崎に来る途中、白鬚神社(しらひげじんじゃ)に立ち寄った。
全国にある白鬚神社の総本社で、神社前の琵琶湖畔に浮かぶ鳥居は、「近江の厳島」と言われている。

<清水(ショウズ)の桜 >

「海津大崎桜」の近くに樹齢300年を越す立派な緋寒桜が聳えている。
「海津の町はずれの墓地の中に一本大きくそびえ、樹齢300年以上といわれる巨桜『清水の桜』は、アズマヒガンザクラと呼ばれる種類の桜で、高さ16メートル、幹の周囲6.4メートルの滋賀県自然記念物にも指定されている県下最大級の桜です。
この桜がこの地に根付いたころ、桜の前には北国北陸からの物資を京や大阪に運ぶ「七里半越」と呼ばれる山越えの道が通っており、数多くの荷駄や人々が海津から追坂峠道を通って、敦賀津へ出るこの七里半越で目的地へ向かっていったと思われます。のちにこの桜が成長するにつれ海津の街も姿を変え、当時の隆盛を偲ぶ物も減っていきましたが、この桜は人々の暮らしと海津の街の変化を見守りながら、現在でも四月の上旬にはその美しい姿で私たちを楽しませてくれます。
この桜は水上勉の小説『櫻守』でその題材とされたことや、その昔加賀藩主前田侯が上洛の折、その美しさに見とれ何度も振り返り眺めたことから「見返りの桜」ともいわれており、春にはこの桜を目当てに多くの人々が訪れます。」(高島市HPより)
<宿・石田三成 >

この日の宿は木之本に在る「己高庵(ここうあん)」。
琵琶湖西の最奥部を回り込んだ湖北・北近江の地にひっそり佇む宿である。
露天風呂の傍に紅葉と桜の木が植わっており、湯船に浸かりながら桜を愛でる。
翌日、朝起きて近くを散歩、花冷えの静かな里山に桜の花びらがヒトヒラふたひら舞う。
チェックアウト後、石田三成が再起を期して逃げ込んだという法華寺跡を訪れた。
鬱蒼とした樹林の中にある寺跡に佇めば、三成の怨念に足がすくむ。
筑摩江(つくまえ)や 芦間(あしま)に灯(とも)す かがり火と
ともに消えゆく 我が身なりけり (三成辞世の句)

法華寺と石田三成
法華寺は七二六年に行基が薬師如来を本尊として創建した己高山鶏足寺の別院であり興福寺文書によれば僧坊百二宇の大寺院であった。
石田三成は石田村(現長浜市石田町)の土豪石田正継の二男として生を受け「佐吉」と呼んだ。佐吉九才(一五六九年)の時、古橋出身の母の縁で勉学のため法華寺に入り塔中三珠院に起居した。当時は織田信長、浅井長政の争い(一五七〇年姉川の合戦)から世情不安定な時代であり、一五七三年小谷城落城により信長から浅井の遺領をもらった秀吉は領内視察のため法華寺を訪れ三珠院において茶を所望した。応対に出た佐吉は秀吉が喉を乾かしているのであろうと察して大きめの茶碗にやゝぬるめのお茶をなみなみと差し出した。秀吉はこれを一気に飲み干し自分の望むとおりの量と湯加減であったことを喜ぶと共に小姓ながらの機転に感心し、次々と湯茶を求めたところ、その都度秀吉の期待する湯加減と量であったので秀吉を大いに喜ばせたという。これが有名な秀吉と三成出会いの「三献の茶」である。これが縁で秀吉の家来になった三成は次々才能を発揮し、一五九五年三十五歳の時に彦根佐和山城主となり、法華寺は祝儀として出丸(法華寺)一棟を寄進した。一六〇〇年主君秀吉の遺命を守り豊臣家再興のため徳川家康と関ケ原で戦った三成は敗れて法華寺へ逃れてきたが、寺の計らいで幼馴染み与次郎に匿われているところを(九月二十一日)捕らえられたのである。法華寺には、母の墓(現在己高庵に安置)を始め過去帳には一日の項に三成、佐和山城落城の十八日には父正継、兄正澄、その子右近等の戒名が生々しく書き連ねられている。
その他古橋には、三成が一時匿われたと言われるオトチの岩窟、与次郎屋敷跡など三成にまつわる史跡や伝説は少なくない。(法華寺と石田三成 「立て札」を転写)
<彦根城 >

石田三成を偲んだのち、彦根城へ。
雨にも関わらず駐車場には全国津々浦々から多くの人たちが、桜と城をに集まって来ているのが、車のナンバーから見てとれる。
私とワイフは隊列に紛れて城内の人となった。
彦根城は天守閣が残っている城(弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城)で、松本、犬山、彦根、姫路の4城の天守は国宝になっている。






今年の「お花見」はこの日で終わり。
来年も櫻たちに会えるよう頑張ろう!
投稿者 愉悠舎 日時 2015年4月12日 (日) 日本散歩 | 個別ページ
ささやま荘からの眺め

台風11号が岡山県を通過中のその東、兵庫県丹波篠山にある「ささやま荘」から観る。
嵐もこれ以上激しくならないだろう。
観光しながら帰路につきますか。
投稿者 愉悠舎 日時 2015年7月17日 (金) メール投稿, 日本散歩 | 個別ページ
武家屋敷の人たち

「日本遺産」なるものが文化庁によって発足した。
今年4月に認定された18件(申請83件)の中に篠山の「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」が選ばれた。
※日本遺産(Japan Heritage)は、日本国政府が提唱した文化財を群体(点から面への展開)として捉え、従来の保護一辺倒から積極的に活用することに目的を転換した新しい施策。(
Wikipedia 最終更新日 2015.07.03)
丹波篠山は篠山城跡、それを囲む堀の西に清楚な建物が並ぶ通りがある。
その一角に居を構えるF夫妻を訪問した。
神戸に住み、篠山を人生のステップアップの舞台とし、月に5日ほど武家屋敷通りにやって来る。
私の好きな「泡盛」まで用意して頂き昼前に始まった酒宴は日が落ちる(この日太陽は顔を出していなかった?)まで続いた。
ワイフの「もうそろそろ おいとましょうか」、に門の外に出た。並ぶ武家屋敷の土塀が遠い時代にいざなう。
ちょうど居合わせた隣の武家屋敷のご婦人(FWさん)をF夫妻に紹介されたので、少し話をさせてもらった。その最中、もう一つ隣の屋敷を公開(武家屋敷安間家史料館)しているご婦人も合流し、共に立ち話をした。そして、FWさん屋敷の庭も拝見させて頂いた。
FWさんも安間さんも楚々とした佇まいの中に気品を漂わせていた。
ご婦人たちと持ったほんの拾数分の触れ合いの余韻を抱きながら、篠山の古い町並みを抜け、チドリ足でねぐらへの坂を登った。


投稿者 愉悠舎 日時 2015年7月19日 (日) 日本散歩 | 個別ページ