カテゴリ「身辺雑記(無題)」の記事
2013年8月15日 (木)
電卓
なにげなくPCの電卓アプリを開いた。WindowsXPのそれよりも格段に充実しているWindows7のアプリケーションに驚いた。
WindowsXPにも「四則計算」と「関数計算」はあったが、Windows7はそれに加えて「プログラマ」と「統計」の2つのモードが加わり、機能も充実し、実際使ってないが、扱い易くなっているように思う。
私はPCのソフトでない「電卓」を一つ、大切にしてきた。
勤め人の生活に区切りをつけるとき、廃却を考えたが、何故か使わぬ「電卓」を今も持ち続けている。
相当くたびれているので、いつ駄目になるか分からない。そこで、動いているうちに記録に留めておこうと思いたった。
「カシオ製」のこの電卓を手にしてから、もう二十年ほど経っている。それ以上経っているかも知れない。
それ以前も同じような電卓を使っていたが、どのようなモノであったか覚えていない。
この電卓はプログラムを組めないが、この電卓を使い始めた頃、若い人たちはプログラムの組める電卓を駆使していた。
当時、既に設計図のコンピューター化が定着しておりCAD(computer aided design/コンピューター支援設計)にも付き合わされた。私の働いていた会社では航空機も製造していたので、ロッキード社が自社の航空機設計用に開発したCADAM(キャダム)というCADソフトを使用していた。
当時、キャダムは1台、300万円もした。
話は戻るが、カシオの電卓は当時の私にとって分身のようなものだった。
出張に行くときも、現場へ出るときも、雨の日も風の日も肌身離さず持ち歩いた。それゆえに愛着があり、捨てがたい。
話はズッとズッとさかのぼる。
今でこそ、どんなに難しい計算でも、コンピューターがいとも簡単にはじき出してくれる。
私の駆け出し時代は手計算である。
計算ツールといえば手動式のタイガー計算器と計算尺、先輩の中にはソロバンを使っている人もいた。
タイガー計算器は平方根の算出に多用した。
あの頃のモノ造りは個性の主張であり、モノに魂がこもっていた。
投稿者 愉悠舎 日時 2013年8月15日 (木) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2013年9月23日 (月)
同じ釜の飯
明石海峡を渡り、気の置けない連中がやって来た。
みな同じ企業で働いていた人たちで、いわば同じ釜の飯を食った仲間だ。もともとワイフの友人で、彼女らがたまたま同じ企業の人間と結婚し、各々の伴侶も仲間に入れてもらえるようになった。
やって来た人たちは8人で私たちを入れて10人だが、カップルはそのうち4組だ。リタイアーした人もいればまだ現役でがんばっている人たちもいる。
この集まりを企画したのはワイフとワイフの無二の親友だがその親友が逝って久しい。美人薄命を地で行ったような人だった。半年に一度開く集まりに、私たちの傍にいていつも叱咤激励してくれている。
この日は今年還暦を迎えるS女史の要望で撮影会。当初、正装して洲本の写真館を予定していたが、カメラ好きのK氏の顔を立て、彼にカメラを任せ、我が家で撮影会。
撮影会と前後してかねてTくんに頼んでいた樹木の伐採をやってもらった。クヌギが屋根までかぶり、風の強い日その枝先が屋根を叩き、屋根に損傷をきたすので伐採の運びとなった。さすが若い(若いと言っても50代)、危険を伴う作業をこともなげにやってくれた。
本日の宴のメニューは「ハモ鍋」、加古川の方から仕入れてきたハモを肴に、例によって言いたい放題の宴会。最近は齢には勝てないのか、お開きの時間がだんだん早くなる。この夜の閉会は0時。
投稿者 愉悠舎 日時 2013年9月23日 (月) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2013年10月20日 (日)
秋祭り
遠くから強く打ち叩くバチの音が聞こえてくると、人は落ち着きを失う。
新居浜で生まれ育った者にとって、太鼓台は大河の源泉であり、心の拠りどころの一つでもある。
四国山脈の山すそで繰り広げられる「男祭り」は、別子銅山の地の底からの雄たけびにも似て、壮絶で余情がない。
祭りが終わると「男」たちはめぐり来るこの日のために、次の一年を生きる。
「 ◆新居浜太鼓祭り
新居浜太鼓祭り四国三大祭りの一つに数えられる新居浜太鼓祭り。その起源は、古く平安時代あるいは鎌倉時代まで遡るとも言われています。神輿に供奉する山車の一種で、信仰を対象とした神輿渡御の際、その列に参加して厳かに供奉し、豊年の秋を感謝して氏神に奉納していたものです。幕末から明治時代初期の太鼓台は、現在の子供太鼓台くらいの大きさしかなく、飾り幕も薄めで天幕も現在のような膨らみを持ちませんでしたが、別子銅山により産業が起こり、地域経済が発展するにつれて、太鼓台を所有する地域同士の対抗意識の高まりもあり、明治中期以降から急速に大型化し、明治中期から昭和時代初期には現在と同じくらいの大きさになり、飾り幕は縫いの発達とともに豪華に、また天幕も膨らみを持ったものをつけるようになりました。
◆太鼓祭りのみどころ、"かきくらべ"
新居浜市内には現在総勢52台の太鼓台があります。1台重さ約3トン、高さ5.5m、長さ12mという巨大な山車である太鼓台の4本の棒(かき棒といいます。)には、最大150人余りの男衆(かき夫といいます)がつき、太鼓台から打ち鳴らされる腹に響く太鼓の音、かき棒にまたがり太鼓台の運行を仕切る4人の指揮者の笛、揃いの法被に身をつつんだ男衆達のかけ声によって市内を練り歩きます。太鼓祭り最大の見どころである「かきくらべ」では、複数の太鼓台が一箇所に集まり、練り歩く際に取り付けていたタイヤをはずし、かき夫の力だけで動かします。男衆を鼓舞するように太鼓が早打ちされ、太鼓に乗った指揮者の絶妙な指示で、太鼓台を肩にかつぎ上げ、さらに「差し上げ」と呼ばれる両手を伸ばして持ち上げる様を競い合う、まさしく男衆の力比べ、技比べです。
この男衆の祭りにかける情熱が観衆にも呼応し、人波に押され、祭りは正に最高潮に達します。「かきくらべ」は、祭り期間中、市内各所で繰り広げられています。(新居浜市観光サイト ホームページより)」
投稿者 愉悠舎 日時 2013年10月20日 (日) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2014年1月 3日 (金)
「ここで、一緒に」初雪編 テレビCM
義妹が全国テレビデビューを果たした。
と言ってもテレビ広告に妹の経営するスナックが選ばれ、ママである妹も目に留まった、それだけのことである。
大阪、神戸の店を何十件と探し歩き、十三(じゅうそう)の妹の店が選ばれたらしい。
昭和レトロの匂いが濃い店の雰囲気と、美人のママがプロの映像者たちの心を動かしたのではなかろうかと、身内の欲目は勝手なことを思う。
大和ハウスの宣伝をする気はないが、「ほっこり」とした、いいコマーシャルである。
ちなみに、それ相当の出演料は頂いている。
大和ハウスのHPによると、「初雪編」のバージョンを次のように語っている。
「今回は東京、大阪、神戸、そしてチェコのプラハにて初の海外ロケを行いました。
プラハでの撮影は歴史あるライブラリーや教会などとても趣きのあるロケーションでの撮影が実現しました。
国内でも各ロケ地近隣の皆様にはとても好意的にご協力を頂き、素晴らしいロケーションの中で撮影を行うことができました。
その他にも、深津さんのチェコ語、リリーさんのカラオケ熱唱等々...盛りだくさんの内容となっています。
お二人の息の合った温かいナレーションや、一緒にいるときの幸せそうな表情にも注目の上、ご覧ください!」(大和ハウスHPより)
投稿者 愉悠舎 日時 2014年1月 3日 (金) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2014年1月17日 (金)
それぞれの1.17
神戸の地が鳴動し、かの空を焦がした大震災から19年目の朝を迎えた。
震災の前も後も私の神戸を思う気持ちに変わりはない。
長く東西に伸びた神戸港を前に、背に六甲の山なみを抱き、この季節、六甲おろしと潮風がぶつかる旧居留地に、冴えた陽が冬枯れのケヤキ並木の蔭をプロムナードに落とす。
神戸の街と共に、この街の空気を吸って生きて来た人たちも私は好きだ。
他人(ひと)の家に土足で上がって来るようなことは決してしない、さりとて他人に対して冷たくもない。人とのほどよい距離を測りながら生きている人たちの街・コウベ。
そんな神戸も時の移ろいの中で、人が流れる。今日の報道によると、150余万の神戸市民の内、震災後に生まれた人や、転入して他からやって来た人が市民の42%を占めるという。
風化する震災の記憶と共に人も去ってゆく。
神戸をあとにした人もそれぞれの地で1月17日を迎えた。
その人たちの中に知友、久谷義昭・リエ夫妻がいる。夫妻は私よりワイフと懇意で今も月一回交流を持っている。 震災の悲惨な体験をモチーフに義昭氏は絵に、リエさんは詩に願いを込めている。
義昭氏の絵については既ブログ(兵庫県美術家同盟展)、(知友の絵を観に)に書いたが、本日付けの神戸新聞に「命のはかなさ描く」と題して夫妻に関する記事が掲載されている。(上、ボタンクリックで開く)
記事の中で義昭氏は絵筆に込めた思いを「震災では人や社会の根本が見えた。表面的なものが崩れ去った後に残ったものを表したかった」と語っている。
震災を杖として生きるものに、道行く足取りは重い。
氏の作品は明石市のギャラリー「旅絵」で常設展示されている。
投稿者 愉悠舎 日時 2014年1月17日 (金) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2014年7月 6日 (日)
バーチャル四国遍路
四国八十八ヶ所巡礼の旅が結願の運びとなった。
と言っても、手甲脚絆と白装束に身を固め、金剛杖を手に、弘法大師と「同行二人」の旅に出たわけではない。
私が使っているスマホのアプリに歩数計があり、スマホを携行して歩くと歩数が表示される。加えて「歩き旅」の楽しみが味わえる。
歩き旅のコースは「四国八十八ヶ所コース」と「東海道五十三次コース」があり、このたび八十八ヶ所巡りを468日かけて無事終えた。
この間、一日あたりの歩数は、1,893,634歩数÷468日=4046歩
実績の多くは卓球と神戸の街歩きで占めている。
一日一万歩、歩けと言われているが、半分もいっていない。せめて一日五千歩相当は歩きたい。
次は、「東海道五十三次」に挑戦しよう。
投稿者 愉悠舎 日時 2014年7月 6日 (日) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2014年7月27日 (日)
あつい日々
24日木曜日、
23日(水)の気温が全国最高を記録した四国の新居浜へ向かったのがその翌日の午後、午前中ワイフと二人だけの卓球で汗をかいた。ここ一にねん木曜日のメンバーがめっきり減り、常時卓球場に通うのは私とワイフだけになった。二人だけの日も多く、十二分に練習が楽しめる。
8月になると奈良からY夫妻がやって来る。ピン球を弾きあえる日を楽しみに頑張ろう。
午後一時、暑い四国に向かってGo!
弟の家の駐車場に車を停めドアを開けると熱気が車内に充満する。
車の外に出るとコンクリートの照り返しに思わず身をのけ反る。
夜、旧友たちとの会合に出る。皆さん暑い!暑い!を連発。この日、新居浜の最高気温は37度、全国最高は宮崎市の37.4度。
二次会に出席し、帰宅したのが十一時、エアコンのきいた部屋に寝かせてもらう。
部屋から一歩出ると蒸し風呂状態、えらい時に来たもんだ。
25日(金)、旧友二人と昼食を共にする。ふたりの大きな愛に抱かれ、生きる勇気と希望をもらう。
夜、花火大会見学。
弟宅近くの国領川の河川敷で8100発の打上花火。
車を停めにやって来た親類の人たちとしばし談笑後花火見物に出かける。
会場の周りは人、人・・・、河川敷を埋めつくした人の群れ。
間近に見る花火の迫力に圧倒される。
この夜の人出は8万8千人(主催者発表)。

26日(土)、徳島市の吉野川沿いにある阿波十郎兵衛屋敷に立ち寄り、人形浄瑠璃を観劇。演目は「傾城阿波の鳴門」。
少し阿波人形浄瑠璃の魅力に触れたような気になった。
「情感を込めて物語る太夫、五線譜には表せない多彩な音色で語りを支える義太夫三味線。そして世界に比類のない三人遣いで操られる人形。私たち日本人の感性が息づく芸能・・・」(徳島県立 阿波十郎兵衛屋敷 パンフレットより)
「熱くて」て濃い三日間だった。
投稿者 愉悠舎 日時 2014年7月27日 (日) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2014年11月25日 (火)
吉野川・河畔
11月22日、徳島自動車道を走行時、吉野川パーキングエリアに立ち寄った。
歩いてハイウェイオアシスへ行く途中、四国の秋を眺めた。
色鮮やかとは行かないが、それでも秋色の気配が河畔に訪れていた。



投稿者 愉悠舎 日時 2014年11月25日 (火) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2015年1月 1日 (木)
2015年の幕開け
謹賀新年
本年もよろしくお願いします。
投稿者 愉悠舎 日時 2015年1月 1日 (木) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2015年1月 9日 (金)
華麗なサーブ
ITTF(国際卓球連盟)主催のワールドツアー2014グランドファイナルが昨年の12月11~14日までタイ・バンコクで行われた。
女子シングルス決勝で石川佳純がソ・ヒョウォン(韓国・徐孝元)に勝ち、初優勝を果たした。
この試合をテレビで観ていたが、勝った石川よりも対戦相手のソ・ヒョウォンが気になった。
キュートな顔立ちとしなやかなラケットさばき。
何よりも私を魅了したのはそのサーブである。
バックハンドからピン球を真上に高く上げ、バックスイングを深くとり、舞うようにして打つサーブは繊細にして華麗だ。
彼女のようなサーブに一歩でも近づきたいと思う。
私が卓球をやり始めた頃、ラケットを握らせてくれた師・M女史が私のようなシュチエーション(卓球経験なし、シニア)に対し、サーブは一つ持っていれば十分とのアドバイスを貰った。
見よう見まねでいろいろなサーブを試みてきた。
どれもこれも私の理想とするサーブにはほど遠く、闇夜に光は射してこなかった。
ようやく光を見出したのがソ・ヒョウォンのバックからの投げ上げサーブである。
これで強いスピンをかけることが出来るかも知れない。
卓球を初めて5年、ようやく自らの鉱脈を一つ探り当てたような気がする。
今後、ソ・ヒョウォンのバックサーブのデッドコピーに精進しよう。
卓球をはじめて早いものでもう5年になる。
5年間の卓球を通じてひと言コメントを言わせてもらえば、
我々のようなシニアが趣味や健康維持のためにやる卓球は、それぞれが卓球そのものを楽しまなければならない。しかるに、勝ち負けにこだわる卓球はやるべきでない。
勝負に拘ると卓球が貧しくなる。それと、自己流でなく基本をシッカリと身につけること。
そして最も大切なことは卓球のルールとマナーを守ることである。
投稿者 愉悠舎 日時 2015年1月 9日 (金) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
