身辺雑記(無題)4/7

カテゴリ「身辺雑記(無題)」の記事

2011年11月23日 (水)
三台目

 先日、手持ちのカメラが起動しなくなった。オリンパスのデジタルカメラを使っていたが、電源を入れるとスティックしてレンズの開閉がうまくいかない。開閉機構にガタもあり、命運尽きた感がある。莫大な損失隠しの疑惑に問われているオリンパス㈱の余波かも知れない。

 先週、神戸でデジタルカメラを新規購入した。安価な物を探して買ったのがGE(General Electric)のカメラである。あのGEがデジタルカメラも造っているとは知らなかった。値段は税込みで4480円と安い。ブログ用にしか使わないのでこれで充分だ。価格競争の激化は年金生活者にとってありがたい。私にとってこのカメラの利点はパノラマ撮影にある。スリーシーンがその場で合成できる。それと、市販の単3電池が使える。前のカメラは特殊電池で1個5千円近かった。

 ブログをはじめて6年になるが、三台目のカメラである。オリンパス製の前の二台は、壊れて使い物にならなくなったので買い替えた。乱暴に扱った覚えはない。消耗品とは言え、少し粗雑な造りではないのか。

 昨日、試しに望楼からパノラマ写真を撮った。

投稿者 愉悠舎 日時 2011年11月23日 (水) 身辺雑記(無題) | 個別ページ


2011年12月11日 (日)
冷え空に欠ける月

 人は自然の営みの非日常に感動する。たかが月蝕に、人は何故酔いしれるのか?蝕まれ崩れゆく現代社会に、己が姿を写し出しているのか、いやそうではあるまい、暗闇によみがえる満月を、その先に視ての共感であって欲しい。

 昨夜の皆既月蝕は、11年ぶりに全国各地で観測できたようだ。午後9時45分から始まった月蝕は深夜に及んだ。

 欠け始めた月蝕をデッキに出て眺めた私は、寒さに耐えきれず、すぐ部屋に引っ込んで風呂に入った。温まった躰を再び夜風に晒す気になれなかった。

 



投稿者 愉悠舎 日時 2011年12月11日 (日) 身辺雑記(無題) | 個別ページ


2012年1月 3日 (火)
二人正月

 初日の出を撮ろうと試みたが、生憎の天候で駄目だった。

 今日は3日、ワイフと二人きりの三が日だった。結婚当初は友人とスキー場で新年を迎えた。子が生まれてからは家族と、淡路に仮寓を設けると、ワイフの妹とその友人が淡路にやって来た。
 今年は結婚以来はじめて二人きりで正月を過ごした。

 お節もインターネットで購入した。冷凍ものでなく生のまゝ送られてくるというので買った。年末に届いた。

 二人きりの静かな正月だった。

 一人、もの思いにふけっていると、今年のこし方が気になった。高杉晋作の遺した句が引っ掛かった。

 「おもしろき こともなき世を おもしろく・・・」

投稿者 愉悠舎 日時 2012年1月 3日 (火) 身辺雑記(無題) | 個別ページ


2012年1月25日 (水)
卓球の寒稽古

 昨日は寒かった。特に神戸の鈴蘭台は冷える。鈴蘭台に棲息していた頃、近所の住人で冬の鈴蘭台に耐え切れず逃げ出した御仁がいた。鈴蘭台に住み始めた頃、どの家もこの家も水道は北海道仕様にしていた。私は最近まで冬になると、車のタイヤをスタッドレスに履き替えていた。

 近年、水道も凍らなくなった。雪が積もる回数も減った。

 そんな鈴蘭台で朝を迎えたが冷えた。小雪がちらつく中、三木市に車を走らせた。渋滞を恐れ少し早く家を出た。幸いに渋滞に遭わず、目的の家に少し早く着いた。

 ウッチャンことマダム・Mとムッシュ・M夫妻にほんの少し手ほどきを受けた。マダム・Mのお弟子さん・N夫妻とも打たせて貰えた。
 生意気にも思う、いつの日かN夫妻と対等に打たせてもらえる日が来るように精進しよう。

 昼、ウッチャン宅で「反省会」を持つ、卓球も楽しいが「飲みにケーション」もまた楽し!

 夕刻、淡路に帰る。途中、露天風呂から明石海峡大橋と神戸・播磨地方の夜景が楽しめる「松帆の湯」に寄る。湯舟につかっていると中国の人?がドヤドヤと仰山入ってきた。どれもこれも局所を隠さず「フルチン」でやって来た。迫力があり、壮観である。

投稿者 愉悠舎 日時 2012年1月25日 (水) 身辺雑記(無題) | 個別ページ


2012年3月20日 (火)
奇跡の3月18日
 18日の日曜日、半世紀ぶりに中学校のクラス会(3年A組)が新居浜の母校近くで開かれた。
 乾杯の音頭を不肖・わたくしめにオハチが回ってきた。
 その時、「・・・奇跡の再会・・・」と言ったような気がする。(最近ボケてきて昔のことは覚えているが、直近のことを忘れている場合がよくある)
 私にとって半世紀ぶりのクラス会は奇跡以外の何ものでもない。

 中学校を卒業して間もないころ、同級生の親が経営する旅館でクラス会が行われた。未成年の私たちと恩師は酒を酌みあった。鷹揚な時代だった。
 クラスに一人の男がいた。彼は持ってきた一升瓶を恩師の前にドンと置き、不行を詫びた。そして私たちには、「俺が仕切るからクラス会を続けよう」と言った。
 それから間もなくして、彼はある事件で逝ってしまったと、私はそのことを風の便りに聞いた。主のいないクラスはそのときに消えた。

 一昨年秋、中学校を卒業してはじめて、同学年(A組~F組)の同窓会が新居浜であった。再会を喜び合ったA組の中から、クラス会の話が持ち上がり、そして18日を迎えた。

 いつかこの日の在ることを夢に見ていた私だが、現実にこの日が来ようとは予想だにしていなかった。今はただ涙しかない。
 3年A組には豊かで深い物語が、ギッシリと詰まっている。

投稿者 愉悠舎 日時 2012年3月20日 (火) 身辺雑記(無題) | 個別ページ


2012年3月29日 (木)
卓球場に新兵器

 卓球場の得点表示板が新しくなった。
 同好のMOさんが造ってくれた。従来の表示板は点数を書いた紙片を審判が手に持って、手元でめくっていくものだった。これだとプレイヤーは得点を見るのに苦労した。いちいち覗き込まなければならず、神経の少なからぬ部分をそちらにさいていた。それがスタンド付きになったので随分助かる。
 MOさんは手先の器用な人で卓球のプレイにもそれが現れている。
 彼の作品の一つが私の家に飾っている。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を画いた絵が、額縁に収まっている。

 先日、世界卓球選手権を観ていたら、ある試合中に電光得点表示装置が故障した。すかさず、手でめくる得点表示板を持ってきて事なきを得ていた。
 

 それにつけ思うのは原発事故である。ブラックアウト(全電源喪失)に備え、なぜ手動の給水装置を用意しておかなかったのか?
 永年日本の産業界に君臨してきた電力会社のおごりとしか言いようがない。

投稿者 愉悠舎 日時 2012年3月29日 (木) 身辺雑記(無題) | 個別ページ

 

 

 


2012年4月16日 (月)
噂のうどん屋

 13日、新居浜に帰るついでに噂のうどん店に寄った。
 高松自動車道・高松中央ICの西、檀紙ICを降りて、30分ほど山の方へ走ると、田舎には似合わない賑やかな一角が突然出現した。
 駐車場に車を停めようとすると番人に満員だと声をかけられた。別の駐車場を求めて、店のまわりを一周し、再び番人の居る駐車場まで来ると、番人から一台空いたからはいれと指示され、車を停めることができた。

 平日にもかかわらず、店の前には行列が出来ていた。
 店の中に入ると行列の五、六人ほどの注文を一度に聞かれる。
 「かまたま」と言うと、一分ほどで注文の品がやって来る。列が直角に折れるとそこから直線コース、出汁やトッピングが並んでおり、考える間もなく、適当に出汁をいれ、庭に押し出される。
 そこでベンチや椅子に腰をかけうどんをいただく。
 行列に停滞する間を与えない客さばきは見事だ。まるでベルトコンベヤーに乗せられているようにスムーズにことが運ぶ。

 「讃岐人」のどこに、こんな合理性がひそんでいたのか?

 私が列の先の人たちにつられて注文したのが「釜玉」、あらかじめ丼に玉子を割って入れておき、 釜から直接取った麺と絡めたうどんであるが、私は醤油をぶっ掛けて食べた。
 後から聞いた話によると、まず醤油をかけてある程度食べ、その後熱い出汁をたっぷりかけて食べると旨いらしい。まずは失敗の巻!

 ここには噂を聞いて遠くから訪れる人が絶えないのか、この日私が目にした最も遠い車のナンバープレートは秋田ナンバーだった。

投稿者 愉悠舎 日時 2012年4月16日 (月) 身辺雑記(無題) | 個別ページ


2012年4月18日 (水)
母の遺せし和服着て

  3月14日土曜日、姪の結婚式にワイフと出席した。
 結婚式は新居浜市の中心部に在る一宮(いっく)神社でおごそかに執り行われた。
 その結婚式に私の母が置いて逝った和服に、はじめてワイフが袖を通した。

 ちりめんに丸帯を締め神殿に進み入った。

 30年近く一緒に暮らした「嫁」と「姑」は、一度もイサカイがなかった。
 孫たちの晴れ姿を一度も見ることなく逝った母、その母が愛用していた服を着たワイフに、母も満足しているだろう。
 
投稿者 愉悠舎 日時 2012年4月18日 (水) 身辺雑記(無題) | 個別ページ


2012年5月21日 (月)
チラッと日食

 日本の少なからぬ人々が、ある日ある時間ある一点を共に見つめ合い、天体の織り成す芸術に酔いしれた。
 金環日食の朝、雲の合間に見え隠れする太陽が月をスッポリと包み込む瞬間を、裸眼で見るなとマスコミに洗脳された私だったが、その時刻に裸眼でチラッと太陽を見た。
 それでもイメージしていた黄金の輪は胸中深く喰い込んだ。

 「金環食」の言葉に接すると、私は映画「金環蝕」を思い出す。闘匠・山本薩夫監督が石川達三の同名小説を1975年(昭和50年)に映画化した作品で、、光り輝き威光を放つ周縁の中身は黒く腐っていると、国策会社電源開発の水力発電ダム建設に絡む政・財・官の汚職を、利権と覇権争いの中に告発した物語である。

 安ものカメラと下手な腕で捉えた画像は、金環食とは似ても似つかぬ、ただの白い輪に変貌した。

投稿者 愉悠舎 日時 2012年5月21日 (月) 身辺雑記(無題) | 個別ページ


2012年8月14日 (火)
伏見の苔涼庭(たいりょうてい)

i かつて、ワイフが働いていた職場の上司・大橋亮一氏から一枚のハガキが送られて来た。テレビ放映の案内状である。内容は「・・・番組名は『桃源紀行・七つの幸せ』でミス着物の 荻野まどか さんが『お酒と水』をテーマに京都・伏見を案内するという内容で私共の庭園と水琴窟も取り上げられています。
 放映時間はNHK・BSプレミアム 8月13日(月) 午後7時30分~・・・」

 氏の庭は幾度かTVで放映され、その都度拝見しているが、実際この目で確かめたことはない。過去に邸宅を訪ねているワイフは。「今度、見せたる」と、約束してくれた。

 氏は私たちが淡路島に居を構えた時、ヒヤカシに来てくれた。あれからもう十年近く経つだろうか?

 私とワイフは満を持してその時間を待った。
 荻野まどかさんに水琴窟を説明する氏の相好を崩している姿に、私は京都人の奥深さを垣間見た。

 苔涼庭は二つある水琴窟が有名で、大橋氏の人柄と相まって、人々を惹きつけてやまない。

 苔涼庭の在る大橋邸は伏見稲荷の近くにあり、京都市の名勝に登録されており、一般公開されている。ただし、予約が必要である。

水琴窟の説明

「水琴窟(すいきんくつ)は日本庭園の装飾の一つで、手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕掛けで、手水鉢の排水を処理する機能をもつ。(Wikipedia 更新日 2012年7月18日)」

投稿者 愉悠舎 日時 2012年8月14日 (火) 身辺雑記(無題) | 個別ページ