カテゴリ「身辺雑記(無題)」の記事
2011年3月 2日 (水)
納税の義務を果たすのも楽じゃない
国税の確定申告を昨年から電子納税にした。昨年買ったICカードリーダライタにカードを差し込み、うろ覚えのパスワードをいくつか入れてみたが認識しない。そのうちにロックされてしまった。ロックの解除とパスワードの確認のため、役所に駆け込む。ここでは出来ないから本庁に言ってくれ、と言うので車で5分ほどのところに在る新庁舎に向かう、小さな町で幾つもの支庁と本庁に分かれているのは、五つの町が合併した名残だろうが、支庁で用が足せないのは何かおかしい?本庁に行ったら行ったで、いろいろ言われ、自宅と本庁を再往復させられた。フト、気がついたがこの町の役所にお世話になって以来、事務的な事柄で対応してもらったのは全て女性だ。この町の役所の男は、「逃げて」いるような気がして仕方ない。財政の危機が囁かれている市だろう、夕張市の二の舞にならなければいいが・・・。
近年、国税庁は「e-Tax」なる電子納税方式を採り入れ、納税率の向上を図っている。それはそれでいいと思うが、右上の国税庁が作ったロゴに、「さらに便利に使いやすく・・・」とあるが、「e-Tax」はなかなか厄介な代物だ。従来の申告書フォームと何ら変わらず、使っている用語も旧来のまゝだ。便利に使いやすくなったのは国税庁で、我々のような「元勤め人」はうっかりすると、払わなくてもいい税金まで払わせられるはめになる、「対話方式」にでもしてもらいたい。
ややこしさの精でもないが、年金だけしか収入がない夫婦二人の税金は今年度も、もっとよこせ!だって。
投稿者 愉悠舎 日時 2011年3月 2日 (水) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2011年3月30日 (水)
中東情勢はどなんなってんやろ
その後、中東は元気で頑張ってるかな?
気になる中東を懐かしみ、映画を見る。映画といっても映画館に行くわけでない。棚に立ててあるDVDを取り出す。箱に「望郷」の概説がある、「ペンシズムの巨匠、デヴィヴィエ作品の中でも随一(?)の男のメロドラマ。舞台はアルジェリアのカスバ。パリ生まれのギャング、ペペ・ル・モコ(ジャン・ギャバン)は潜伏するカスバでパリの香りを漂わせるギャビー(ミレーユ・バラン)を一目見て虜になってしまう。彼女がパリに帰る日、危険を承知で波止場に現れた彼は警察に捕まる。マルセイユに向かう汽船の甲板に立つ彼女に向かって、『ギャビー』と叫ぶ彼の声は船の汽笛にかき消されてしまう。ナイフを自身に突き刺す彼、ギャバンの声がいつまでも耳に残り余情あふれる名場面となった。」
DVDをパソコンで見る。1937年の作品、94分。
迷宮の街カスバ、そこは人種の「るつぼ」であり、様々な生業(なりわい)の人がその日を凌ぐ「るつぼ」である。我欲むき出しの人々が織り成す触れ合いは濃密にして淡白だ。
見終わったあと、思い出した。この映画と映画・「外人部隊」をイメージしたような歌があった。「カスバの女」、カスバに流れ着いた酒場の女とフランス軍の傭兵との間にかよう切ない想いを歌っている。
投稿者 愉悠舎 日時 2011年3月30日 (水) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2011年4月 9日 (土)
桜の樹の下で
当団地、恒例の「お花見」が咲き誇る桜を愛(め)でながら、開催された。
昨日、一昨日と強い風が桜並木を吹き抜けたが、桜花は全く動じない。昨夜来の雨に打たれて、なおその色彩をます。
桜花の撓(しな)やかで、散り際の潔さを日本人は好む。
この時期、マスコミスズメは忙しい、「花見」自粛の意見もある。
呑んで、食べて、ダベって、・・・。
ところで、花を愛でている御仁はイタッケ?
投稿者 愉悠舎 日時 2011年4月 9日 (土) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2011年4月23日 (土)
ピンポン
ピンポン~note
これはドアチャイムの音でない。卓球である。
私がピンポンのドアを押したのは一年半ほど前である。
卓球をこよなく愛する、ワイフの友人夫妻が「海平」に来てくれた時、大きなバッグに山ほどのピンポン玉を携えてやってきた。ワイフに卓球の手ほどきをするために。
ワイフとその人、「ウッチャン」は会社の卓球部で知り合った。ワイフは学生時代卓球をかじっていたので、入社後先輩に誘われ卓球部に入った。実業団の全国大会に「補欠」としてワイフも参加した。補欠と言っても準レギュラーでなく、先輩に気にいられていたので「補欠」に登録され大会の開催地、新潟に連れて行ってもらっただけである。ワイフはその時の話をよくする。試合に負けても会社に帰らず物見遊山、費用は会社持ち、当然のことながら特別休暇。
思えばあの頃の企業は大らかだった。
ウッチャンはそのとき、レギュラーとして活躍していた。
彼女はその後も卓球を続け、子供を中国に派遣さすまでに育てあげ、現在も現役にコーチにと八面六臂の働きをしている。
一年半前、彼女らのカバン持ち(何も持たせて貰えなかった)として見学がてら、団地内にある卓球場へお供した。
見に行っただけであるが、ラケットを持たされピンポン玉を打たされた。そのときウッチャンにおだてられたのが運の尽き。それ以来、週に一二度卓球場へ通うようになった。
今日もまもなく卓球場へ、雨はやんだかな?
投稿者 愉悠舎 日時 2011年4月23日 (土) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2011年6月 5日 (日)
再開発に消える町並み
六甲の山なみを切り裂くように走る私鉄がある。神戸電鉄は湊川駅を基点として一路鈴蘭台駅に向かう、鈴蘭台で三田(さんだ)方面と三木方面に分かれる。
鈴蘭台駅はもと小部(おぶ)駅と呼ばれ、神戸電鉄の草創期から存在した沿線の老舗である。このあたりを「小部の里」と言い、その昔のどかな風景に包まれていた。
高度成長の時代、「神戸の軽井沢」のキャッチフレーズに惹かれ、棲みついた。
神有電車(神戸電鉄を我々の世代は、神戸と有馬温泉を結ぶ電車、「神有」と呼ぶ)を利用し始めた頃、電車の中は木の床や天井から扇風機がぶら下がっている車両も多くあった。
その時代から駅前の開発を「株式会社神戸市」と神戸電鉄は叫び続けたがま々ならなかった。
この街を担った人々は高齢化し、若い人は都心回帰へ向かう今、有名タレントを出した女子大学の態度がでかい。疲弊した街中(なか)にやたら増えた街灯の明りが怖い。
コープこうべやダイエーの店内にあったベンチが消えた。「コープよお前えもか賀川豊彦がなくぞ!」、コミュニティのツールがドンドン奪われて行く。その上、駅前に「綺麗なビル」が建てば「金を落とせない」我々はどこへ行けばいいのか。
撮影の途中、裏通りに軒を連ねる店の人に声をかけた、「ここも立ち退きになるんやねぇ?」、「そうらしいねぇ」、他人事のようにつぶやいたその一言が胸に刺さった。
投稿者 愉悠舎 日時 2011年6月 5日 (日) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2011年7月 4日 (月)
「芋の子を洗う」ような卓球場
先日、ラケットのラバーを張り変えるため、メトロ神戸にある卓球用具専門店に行った。高速新開地駅から地下に入り、高速神戸駅へと続く通路の途中に有料の「メトロ卓球場」がある。卓球場の先の専門店を目指したが、卓球場まで来ると、囲みの中から漏れ出る熱気と女性たちの嬌声(失礼)に思わず足が止まった。「こんな中で練習したら腕もあがるやろなぁ」と、あらぬ思いに駆られながら、しばらく眺めていた。
この卓球場に台が13面あり、この日は全部詰まっており、一つの台に十人ほど群がっていた。「メトロ神戸」のホームページによると、土日は卓球台をめぐって順番待ちができるほどの大人気なのだそうだ。ちなみに、使用料は一人1時間800円。
近年、老若男女を問わず気軽にできるスポーツとして卓球人口が増えてるらしいが、都会では練習台を確保するのに四苦八苦の状況にあるらしい。一方、わが「郷」はどうか、我々が使う木曜日の午前中と土曜日午後の夫々1時間半以外誰も使っていない。
何の苦労もせず卓球台に向かえる身に感謝・・・。
投稿者 愉悠舎 日時 2011年7月 4日 (月) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2011年8月16日 (火)
去年の今頃
デジカメで撮った写真を整理していたら、昨年の今頃奈良の「平城遷都1300年祭」に行った写真が見つかった。風景写真の多くはパソコンから「ゴミ箱」に捨てられる運命にある。1300年祭の一つ、「大極殿院をろうそくの灯りで飾る」イベントを撮った写真を手に、捨てようか残そうか迷った挙句、ブログに残そうと思い立った。・・・思い立つほど大袈裟なものではないが、昨年の今頃は当ブログを休止していたので一年遅れのアップになる。
去年も暑かった。熱中症に注意して下さい!と呼びかける主催者側の声が暑さを増す日中、三番目の孫に平城京内を「あっちへ行け、こっちに来い、あ~せぇ、こうせぇ~」と、「市中引き廻し」にあった一日だった。
投稿者 愉悠舎 日時 2011年8月16日 (火) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2011年9月 5日 (月)
台風の最中
長い間、居座った台風12号から解放された今朝の淡路、久しぶりに雲の合間に青空がのぞいた。
記録的な雨に悩まされた日本列島、淡路地方に近い、紀伊半島の一部は年間平均降雨量の3分の2も降った。奈良県の上北山村では国内観測史上最大の1652.5ミリ(72時間雨量)と半端でない。過去30年の年間降雨量の全国平均が1,600ミリほどであり、その凄さがわかる。
台風のさなかの土曜日、日曜日、アメカゼをものともせず、明石海峡大橋を渡りやって来た気のおけない連中10人で、暴風暴雨にもめげず、賑やかなひと時を持った。
投稿者 愉悠舎 日時 2011年9月 5日 (月) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2011年9月17日 (土)
男の夕暮れ
歯が一本抜け落ちた。一本また一本と、欠けゆく歯に「男の黄昏(たそがれ)」を想う。
三十年来お世話になっている歯医者に行くために神戸へ出かけた。神戸駅前の医院で治療を終え、淡路に帰るためハーバーランドの駐車場に向かう。
途中、喫煙所に設けられた椅子に腰を掛けている男と目があった。なにか話かけたそうにしていたので男の横に座る。「電車賃も100円になってもぅた、50円だったのに、月6000円かかる」、男の唐突な語りの意味を長年神戸で暮らした者には理解できる。神戸市は70歳以上の人に市バス、市営地下鉄の無料パスを配っていた。それが50円の負担になり今では100円の負担になっている。6000円と言うことは、毎日電車に乗っていることになる。
彼は地下鉄和田岬駅近くに住んでいる。以前、灘のマンションに奥さんと二人で住んでいた。5年前息子さんが家を買うので一緒に住もうと言ってくれた。そこでマンションを売り払った。住んでいたマンションは震災でダメージを受け、800万円かけて改修した。その愛着のあるマンションを捨て、子供たちとの暮らしを選んだ。家を買うに当り、1000万円も頭金を出した。一緒に住んではみたものの、息子夫婦とうまく折り合えない。特に息子の嫁の言動は許せないと、ひときわ語気を荒くする。ひと時も家に居たくないと、彼は言う。
齢(よわい)八十を間もなく迎える彼一人の厚生年金が26万円あるらしい、年金に関しては最も恵まれた世代だ。一緒に住んで分かったのは、この年金が目的の同居だったこと。年金の中から生活費は取られていたが、それとは別に毎月10万円を貯金していた。それもあてにされだしたのでそれを止めた、止めて使い切るんだと意気込む。彼は心配する、「最近、百何十歳の人が生きてたらしいや、年金不正受給のために、俺が死んだら死亡届出すやろか?」、「多い年金」も困ったもんだ。
「女房と二人で気楽に暮らしてた頃が一番良かった」・・・、・・・終わりのない彼の話はまだまだ続く、外の雨が強くなった。私は彼に「ガンバリや」と、握手をしてわかれた。
昼過ぎに家を出て電車に乗り神戸市内をブラブラする。夜になると帰りたくない家に帰る。それが彼のルーティンワーク。
「女三界に家なし」は遠い昔の話か、今は「男三界に家なし」か?
投稿者 愉悠舎 日時 2011年9月17日 (土) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
2011年10月17日 (月)
祭りへ
淡路島の仮寓のデッキの椅子に座り海を見つめていると、太鼓の音がまだ耳に残る。
一昨日、秋祭りの太鼓見物に新居浜へ行ってきた。新居浜を離れて祭りを観ることもなく過ごしてきたが、無職の身になって今回で三度目の参加だ。
観光化してしまった祭りはイベントの様相を帯び、見るたびにショウアップしている。反面、問題も多く抱え込んでいるらしい。
秋祭りに繰り出される山車(だし)を新居浜では「たいこ」と呼ぶ。太鼓は新居浜の華である。「日本三大喧嘩祭り」「四国三大祭り」とも呼ばれることを誇りとする新居浜地方の少なからぬ人たちは、この日のために残りの一年を労働に励む。
祭りは新居浜地方の各地区で今日も行われているが、その一つのイベントを見せてもらった。
イベント終了後叔母の家に寄り、集まった従兄弟たちと一緒に、祭りには必ず出る「ちらし寿司」をご馳走になった。
「新居浜太鼓祭りは、秋の豊作などを祝い、新居浜市内各地で執り行われる秋祭り(祭礼)である。また、市内最大のイベントという性格も持ち、開催期間中は県内外から多くの観光客が訪れる。なお、当祭りは男祭りであり、主に男性のみが祭りに参加する。
祭りのメインは、太鼓台と呼ばれる神輿に供奉する巨大な山車の練り歩きである。瀬戸内海沿岸では新居浜太鼓祭りに似た山車が多く見受けられるが、その中でも新居浜のものは巨大で絢爛豪華である。高さ約5.4メートル、長さ約11メートル、重さ約2.5トンにもなる太鼓台を、総勢150人ほどの「かき夫」と呼ばれる担ぎ手たちが担ぎ上げる。
新居浜市内で運行される太鼓台は51台ある。これらは、川西、川東西部、川東、上部、大生院の5地区いずれかに属し、それぞれ統一した運営のもと祭りが執り行われる。各太鼓台は地元自治会や、青年団などによって維持管理される。(Wikipedia
更新日 2011年10月15日)」
投稿者 愉悠舎 日時 2011年10月17日 (月) 身辺雑記(無題) | 個別ページ
