6. 世界一周(地球一周船旅【後日録】4/4)

 

2009年7月28日 (火)
熱砂に建つ・大ピラミッド
 

 先日、NHKテレビで古代エジプト文明の三つの謎のひとつ、「大ピラミッドはいかに造られたか?」の新説を紹介していた。ギザの三大ピラミッドの最も大きいピラミッドは高さ147m、底辺の長さが230mあり、一個の石の重さが2.5トン、300万個の石が使われている。新説を唱えるフランスの建築家ピエール・ウーダン氏は石の積み上げに関し、石を運ぶには傾斜4度が限界とし、ピラミッド外部に4度以下の仮設を設けるのは地理的、天候的に無理とした上で、ピラミッド内部に存在するトンネルを使って造り上げたとの説を展開している。ピラミッドに馳せる夢がまたひとつ増えた。

  2年前の夏ギザのピラミッドを訪ねた、カイロ市街から10kmほど行くとギザの3大ピラミッドに出会う。

 クフ王やカフラー王のピラミッドをはじめて間近に捉えたとき、「やっと、会えた」の思いに一瞬、熱さも吹っ飛んだ。が、それも長く続かない。ここはアフリカの砂漠地帯、40度を優に超す気温に加えて、日陰がない。灼熱の太陽に炙(あぶ)られた熱砂を浴びながら、ピラミッドたちの傍を通り抜ける。4500年の時を経て、わずかの風化を残すがその立ち姿、姿勢に揺るぎはない。この巨大ピラミッドを下から支えているのは強固な地盤、ピラミッドがそびえる「ギザの丘」は岩盤の台地だ。ピラミッドを観に訪れる観光バスの駐車場が台地の端にあり、そこから眼下にカイロ市街が見渡せ、そこに立つと巨大な岩盤を実感する。この岩盤を選んだ、いや選ばざるを得なかったのかも知れない古代人は、自然との共生に生きる術(すべ)を見出していたのだろう。自然破壊に走ってしまった現代人に、古代人を超える叡智と勇気は持ち合わせていない。

 遠景のピラミッド群は自然に同化し、自然に寄り添っている。帰りに立ち寄ったスフィンクスに鳥たちが群がっていた。


投稿者 愉悠舎 日時 2009年7月28日 (火) 世界散歩 | 個別ページ


2009年8月16日 (日)
運河に映す街並み・アムステルダム

 13世紀、アムステル川の河口にダムを造り、アムステルダムが始まった。網の目のように張り巡らされた運河の傍らをそぞろ歩くと、人の営みの素晴らしさと哀しみが川面を滑る。

  アムステルダムの出発点となったのがダム広場である。アムステル川のこの場所に堰堤(えんてい)を造り、左右前後に運河を掘り、運河を縫うように建物が並ぶ。

 人の生活を育んできた運河は様々な顔を見せる。低地のオランダにあって水の制御に欠かせない運河、人の移動や物流の往来の他に、観光船も浮かぶ。花市場が川面に並び、ハウスボートに人が棲む。開いたハネ橋のたもとで閉じるのを静かに待つ人の行列、大きな橋の上をトラムが横切る。雨に濡れた石だたみが運河の流れに幅を持たし、教会の尖塔が水と戯れる。

 この川を見やり、アンネ・フランクは何を想ったのか、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは誰に祈りを捧げたのであろうか、川のそばのカフェテラスで若者の声がはじけた。

 

 

 

 


投稿者 愉悠舎 日時 2009年8月16日 (日) 世界散歩 | 個別ページ

 


2011年5月 5日 (木)
バスク人の心の都ビルバオ(スペイン)

  ビルバオ港を眺めていると、大航海時代から近代にかけて栄華を欲しいまゝにしたバスク地方の意地を彷彿させる。

 ビルバオはスペインの北東部、ビスケー湾に近く、ネルビオン川に面し、ピレネー山脈の向こうフランスにまたがる地域に暮らすバスク人の「心の都」である。都と言ったのは私の勝手な思い込みで、この街のあちこちに足を留め、仰ぎ見る街の佇まいに目を凝らすと、かつて権勢を誇ったバスク人の見果てぬ夢に出会う。

 スペインやフランスとは違う独自の言語、文化を持つバスク自治政府はスペイン内戦の時代フランコに抗し破れ、国と言葉を奪われた。現在、バスクはスペインの自治州だが独立を求める運動は今も続いている。

 ビルバオには時代を写す多種の建築物が多々あるが、世界遺産になっているビスカイヤ橋もその一つである。バスの車窓からしか垣間見れなかったが、ネルビオン川に架かるビスカヤ橋は、ゴンドラによって人や物資を運ぶ世界で最も古い運搬橋である。

 1893年に架けられたこの橋は2006年ユネスコの世界遺産に指定された。

  ビルバオには超近代的な グッゲンハイム美術館もある。アルミや他の金属で覆われた外観は我々日本人の度肝を抜く。

 ビルバオの底を知る人はマドリッドよりも美しいと言う。ビルバオの通りすがり人にその良さを知るすべもないが、この地方独特のこだわりを市街の各所に観ることができる。


投稿者 愉悠舎 日時 2011年5月 5日 (木) 世界散歩 | 個別ページ


2011年11月20日 (日)
瀑布(ソグネ・フィヨルド)

 

 ノルウェーのソグネ・フィヨルドを一日かけて往復した。陽の射さない北欧の夏は冷える。小粒の雨がクルーズ船の甲板に落ち、冷気が足元に忍び寄る。
 2007年の7月28日、フィヨルドの瀑布を船上から眺めた。

 途中、展開する幾条ものフォール、白煙を舞い上げ飛び散るしぶき、瀑布の大きいのは落差200メートル近くもある。

 雄大な自然の山懐に佇む家並みに、自然の恵みと共に生きる人々の、「豊かな」暮らしを視る。

ソグネフィヨルド;
 ソグネ・フィヨルド(ノルウェー語: Sognefjorden)は、ノルウェー西部にあるフィヨルドである。ノルウェー最大のフィヨルドであり、グリーンランドのスコルズビ湾に次ぐ世界で2番目に大きいフィヨルドである。入口はベルゲンから約72km北のソグン・オ・フィヨーラネ県にあり、内陸に203km離れた Skjolden の町辺りまで伸びている。

 フィヨルド内の最も深い場所は内陸部にあり、その水深は1,308mに達する。逆に入口付近はそこが土台のように盛り上がっており水深は100m程度である。フィヨルドの幅は平均5kmほどであり、両岸は1000mを越える崖に囲まれている。(Wikipedia 更新日 2011年11月11日)

投稿者 愉悠舎 日時 2011年11月20日 (日) 世界散歩 | 個別ページ


2012年1月15日 (日)
プエルトケツァル港

 

 この国の港の風景を忘れ得ない。
 大型船が出入り出来る数ある港の中にあって、異彩を放っている。
 港の名をプエルトケツァル(Puerto Quetzal)と言い、自然の匂いが充満する港である。
 船のタラップを降り、長い橋を渡るとターミナルの施設が待っている。自然素材で造られた施設は背景の山々と溶け合って妙だ。この山々であの「グアテマラコーヒー」が採取されるのだろう。
 山のこちら側に広がる森林はどこまでも緑だ。海の蒼と空の青、どこまでも広がる濃い緑の森林、聳える二つの独立峰。

 私が目にした港は夢の世界だった。

投稿者 愉悠舎 日時 2012年1月15日 (日) 世界散歩 | 個別ページ


2012年5月25日 (金)
ダナンに咲く火焔樹の花

 

 南北ベトナムが統一される前のベトナム戦争時、ダナンは南ベトナム最大の米軍基地として重要な役割を担った。第一次インドシナ戦争の戦後処理が行われた1954年、ジュネーブ協定によって軍事境界線を北緯17度線とし、ベトナムは北と南に分断された。
 ダナンの緯度は北緯16度、ここを前線基地としたアメリカは北への攻撃をエスカレートさせていったが叶わなかった。
 鉄条網を張り巡らした米軍基地跡には格納庫が今も残る。
 基地跡をはずれたダナン市街は、古き良きベトナムの姿をとどめ、落ち着いた風景の中、活気に溢れていた。

 ダナンは南北に長いベトナムの中ほどに位置し、世界遺産の「ホイアンの古い町並み」や「ミーソン聖域」そして「フエ建造物群」が近くにある。

 ダナンの6月は火焔樹(ホア・フォン)の紅い花に包まれる。
 ベトナムの人たちは紅い花に夏の到来を感じる。
 私が目にした火焔樹たちは高さが10mほどのもので、樹木の緑の葉を覆い隠し、青い空を焦がす紅い花たちの舞いは、千年に渡って虐げられてきた越南(ベトナム)の反撃の炎に見えた。


投稿者 愉悠舎 日時 2012年5月25日 (金) 世界散歩 | 個別ページ


2012年7月11日 (水)
フバード氷河 in Alaska


 アラスカはアメリカの飛び地である。飛び地というにはあまりにも広すぎる。それもあいだに大きなカナダを挟んでいる。
 
 カナダのバンクーバーを発って5日目、アラスカで最も長い氷河海岸であるフバード氷河を目指す。

北米大陸の太平洋岸を北上し、アラスカ湾に入ると湾沿いに氷河海岸が点在し、いくつもの氷河が海に流れ込んでいる。

 アラスカのフバード氷河からハーバード氷河を経て、スワードまでのクルージングは忘れ得ぬ記憶の一つとして、折に触れ思い起こす。
氷河海岸の一角を右舷に折れて、フバード氷河に向かう。ヤクタット湾に入りフバード氷河の最深部まで往復8時間のクルーズを堪能した。
 道中、氷を抱いた4000m~5000m級の山々が海岸に迫り、高さ50mは有ろうかと思われる氷山が海面から顔をのぞかせ、細長い氷の柱が延々と続く。時おり海に崩れ落ちる氷山の轟音が胸をえぐる。クリスタルの輝きを見せて飛び散った破片が海面に漂う。
 氷河海岸であるフバード氷河(Hubbard Glacier)は10キロに及び、刻々と変化する山と河と海の織り成す自然の光景に、ただウットリ。
 海に迫る屏風は氷に覆われた五千メートル級の山々からなり、その谷間を氷河が大海原に落ちる。落ちたあたりに、高さ50mはあろうかと思われる氷柱のような氷塊が点在する。
 時おり、氷河の崩れ落ちる轟音が水面を叩く。
 神秘で荘厳な幻想の世界を目のあたりに、人は恐れおののく。

 この日の氷河クルージングはスワードで終わった。スワードはアラスカ鉄道の南の終着駅で、鉄路はアンカレッジを通りフェアバンクスへと続く。 9月のスワードは冷える。

 あの日から、もう7年が経った。

<途中、クルーズ船・セレブリティ・サミットとランデブー遊覧> ↓

↓フバード氷河の幅は10kmにも及び、氷壁の高さは50mに達するのもある。

 長い時間をかけて積もり積もった氷が加圧圧縮され空気を内包しなくなる。
 空気を含まない氷は青だけを反射し、他の色を吸収する。
 ↓これを「アラスカのグレイシャーブルー」と呼ぶ。「Glacier blue」

投稿者 愉悠舎 日時 2014年9月26日 (金) 世界散歩 | 個別ページ


2013年6月14日 (金)
花のある街角・ダブリン

 アイルランドにも間もなく夏がやって来る。

 夏になるとダブリン(Dublin)の街は華やいだ色を見せる。
 一年のうちで最も凌ぎやすい北欧の夏に、アイリッシュが弾ける。
 花に包まれたダブリンの街角に、時おり陽(ひ)がこぼれる。

 ヨーロッパの都会に彩りを添えるのは、街角にさんざめく花たちであるが、ここダブリンの街角にこぼれる花たちは、人の心をも浮き立たせる。

 降り注ぐ花たちに、長年にわたりイギリスに翻弄されながらも護り続けているアイリッシュの意地と誇りをみる。

 ダブリンの夏の日の午後を切り撮った。

投稿者 愉悠舎 日時 2013年6月14日 (金) 世界散歩 | 個別ページ


2015年2月 1日 (日)
ある・フリーランサーを悼む
 早朝、残念なニュースが飛び込んできた。
 「イスラム国」に捉われていたジャーナリスト、後藤健二さんに異変があった。
 ヒューマンな後藤さんを惜しむ声が世界を駆け巡っている。
 弱い人々の立場に立って現状を伝え続けた後藤さんに、同じ日本人として敬意を表すと共に、後藤さんを誇りに思う。

 安倍首相の次の言葉を危惧する、「テロリストたちを決して許さない。その罪を償わさせるために国際社会と連携する」。
 テロリストの更なる増長を呼ぶかも知れない。

 交渉の舞台となったアンマンを訪れた時の市街地の写真と、後藤さんが愛したイスラムの人たちの写真を掲載し、哀悼の意を表します。(合掌)

アンマン郊外のスーフキャンプに生きる人々(2007.7.6 撮影↑

アンマン市街(2007.7.6 撮影)↑

投稿者 愉悠舎 日時 2015年2月 1日 (日) 一言半句, 世界散歩 | 個別ページ