鑑賞 3
都・散策&はるみ

台風19号が関西を襲った翌日の14日、京都を訪れた。
宇治の平等院見学が主なる目的であったが翌日の夜、神戸で都はるみ・八代亜紀のジョイントコンサートを観ることにしていたのでコンサートのある15日、時間待ちに京都の街を少し歩いた。
60年ぶりの大改修工事を終えた平等院の鳳凰堂の全貌を、池を隔てた正面から観た。
曇天の空に時おり陽が射し、朱色の鳳凰堂が輝く。天気が良ければ手前の池に鳳凰堂が映る。
いつまで見ていても飽きの来ない鳳凰堂を前に、過ぎ去りし人たちと対話する。
10円玉の表面に鳳凰堂が描かれている、粗末に扱ってきた10円硬貨をもっと大切にしたいと思わすほど、かたち姿が美しい。
近年あつかいがメッキリ減った壱万円札の裏面にも鳳凰堂の屋根の上に乗っている鳳凰像が画かれている。



鳳凰堂見学のあと、宇治川のほとりを歩く。
宇治橋を渡り対岸に「花やしき」を臨みながら、その方向に歩く。発電所から流れる水が宇治川に合流する辺りでアユを釣っている人たちがいる。産卵のため川を下る落ちアユを狙っての釣りだ。しばらくアユ釣りを眺め、世界遺産の宇治上神社へ。
宇治上神社は「古都京都の文化財」の一つで、ユネスコの世界遺産(文化遺産)である。
静寂漂う境内に佇むと、古(いにしえ)の世界に引き込まれる。
神社を出て山本宣治が眠る善法寺墓地へ、人に尋ねながら住宅地の間をぬって、小高い山の上にある墓所に辿りついた。山本宣治は戦前の政治家、生物学者で労働者・農民のために闘い右翼のテロに倒れた。病弱だった彼の養育のために親が建てた宇治川畔の別荘「花やしき」は今も健在である。
「・・・山宣独り孤塁を守る!・・・」墓碑銘が木漏れ日に揺れていた。
その日、京都烏丸三条の「三井ガーデンホテル」に泊まる。ホテルに外国人の泊り客が多くヨーロッパのホテルに居るようだ。
翌日、ホテル近くを散策し六角堂、本能寺を巡る。
六角堂は隣接のビルの何階か忘れたがエレベーターで上がり、六角形の本堂の姿を捉えた。


六角堂から本能寺へ歩く。
「敵は本能寺にあり」、織田信長の「無念」に浸った。
映画好きのワイフが「映画やテレビによく出てくる信長最期の場面や」と、本堂にいたく感心していた。
本能寺の本堂↓

駐車場に引き返し東山の山上の「将軍塚青龍殿」へ。
此処から京都の街が望める。
鴨川や京都御所が古都に栄華を運ぶ。



夜、神戸で「都はるみ・八代亜紀」のジョイントコンサートを観る。
二人の歌声はわれ等の傍らにいつもあった。
同時代の伴走者でもあった。
もう一度花を咲かそう、と絶唱する二人の歌声に、胸の奥が熱くなる。
二人が組んだコンサートは神戸を皮切りに京都へ、そして来年へと続く。
投稿者 愉悠舎 日時 2014年10月16日 (木) 日本散歩, 鑑賞 | 個別ページ
女の一生(文学座公演)

「誰が選んでくれたものでもない。自分で選んだ道ですもの・・・」。
文学座公演の「女の一生」を観た。
故・杉村春子の代表作で上演回数947回を超える作品は、杉村春子の意向で平淑恵が受け継いだ。平淑恵の演じる「女の一生」は今回で277回(筆者計算)となる。
「・・・明治の末より第二次世界大戦終了時までの『時代を生き抜く≪女性≫の生き方』を描く普遍的なテーマが人々の共感を呼ぶ本作。来年は『女の一生』初演からちょうど70年。終戦からの日本の歴史とクロスオーバーする今回の上演は見逃せません。」(文学座HPより)
1905年(明治38年)、ロシアと戦争。旅順攻略に酔う提灯行列の最中、布引けいは堤家に迷い込んで来る。
布引けい16歳のときである。
堤家の主人シズに見込まれたケイは堤家の長男・伸太郎と結婚する。ケイは次男・栄二に惹かれていたが、その想いを断ち切り堤家のため、身を粉にして働く。
世は移り大正の初め、ケイの周りも大きく変る。シズは死に、栄二は大陸へ。
堤家はケイの働きにより大きな商社へ発展。
そして昭和、会社の発展とは裏腹にケイと伸太郎の間は冷えて行き、ケイの方針についてゆけない伸太郎は家を出る。
二人の娘・知栄はケイに隠れて伸太郎の家に足しげく通う。
そんな折、突然栄二が現われる。ケイは栄二を冷たくあしらい、左翼運動の咎(とが)で栄二を追って来た官憲の手に栄二を渡す。
知栄はそんな母をとがめ父のもとに。
戦争が激しくなり、ケイも堤家の会社も時代の波に翻弄される。
突然ケイを尋ねてきた伸太郎は、夫を戦争に取られた知栄とその子供をケイに託し、安心したのかその場で倒れ、ケイに看取られながら息を引き取る。
終戦、焦土と化した東京の堤家の焼け跡で、ケイは刑務所を出て堤の家を尋ねてきた栄二に再開する。
廃墟の中に立つ二人は、新しい日本への希望と再生を次代の人たちに託す。
明治・大正・昭和の激動を生き抜いた日本女性の典型を杉村春子の演技を受け継ぐ平淑恵が「布引けい」を見事に演じきっている。

(於いて 神戸文化ホール・中 10/24日)
記) 「女の一生」の布引けいは1889年(明治22年)の生れで、筆者の祖母も同年の生れである。ケイは先の終戦を生きて迎えたが、祖母は終戦を待たずに逝った。二人は同時代を重ねるように生きた。明治生れの女の典型として、拙ブログ・「亭々の朝鮮半島」に本ブログを転載する。
投稿者 愉悠舎 日時 2014年10月25日 (土) 鑑賞 | 個別ページ
定期演奏会 in 「かがり火」
神戸職場人合唱団 「かがり火」 の第37回 定期演奏会が神戸文化ホールで行われた。
1975年(昭和50年)の創団なので、来年40周年を迎えることになる。創設当時から関わって来た我が朋友夫妻だが、今年彼の方が引退した。
長い間、ご苦労さんでした。
私にとって少し淋しい舞台となったが、新しい人も増えて来ているので、相変わらずの活気は消えていない。


投稿者 愉悠舎 日時 2014年11月 4日 (火) 鑑賞 | 個別ページ
久坂葉子がいた神戸

神戸文学館で久坂葉子の足跡を観た。
1931年(昭和6年)3月 久坂葉子、本名川崎澄子。川崎造船所(現・川崎重工)の創始者川崎正蔵を曾祖父に神戸で生れる。
1943年(昭和18年)(12歳)4月 神戸山手高女入学。
1948年(昭和23年)(17歳)3月 山手高女卒業。
1949年(昭和24年)(18歳)8月 「VIKING」同人となる。
1950年(昭和25年)(19歳)8月 「ドミノのお告げ」が第23回芥川賞候補。
1952年(昭和27年)(21歳)12月31日 阪急六甲駅で三宮発の特急電車に飛び込み、自死。
久坂葉子、幻の美貌作家は戦中戦後の神戸を舞台に奔放でのびやかな短い生涯を跳ねた。
曽野綾子と並び称され、井上靖をして「光芒をひいて飛び去った一個の流星」と言わしめた久坂葉子は、有り余る才能を持て余し、その生をコントロールできなかった。
久坂葉子のペンネームは幕末の志士・久坂玄瑞と戦前のプロレタリア作家・葉山嘉樹から取ったと館内に展示している資料に記してあった。

投稿者 愉悠舎 日時 2014年11月 6日 (木) 鑑賞 | 個別ページ
OH ! マイ ママ(劇団NLT)
1980年代のフランスを舞台に、保守から革新に政権が交代した時代、保身に揺れる保守議員とその家族の日常を劇団NLTが演じている。
性同一障害の問題を臆することなく扱っている。
シリアスなコメディ劇である。
劇団NLTとは
1963年(昭和38年)12月に文学座を退座した青野平義、三島由紀夫、賀原夏子、中村伸郎、丹阿弥谷津子、矢代静一らにより1964年(昭和39年)1月10日に「グループNLT」として結成された。NLTはラテン語で「Neo
Litterature Theatre」(日本語では新文学座)の頭文字をとったもので、名付け親は岩田豊雄(獅子文六)。
1968年(昭和43年)、賀原らとの路線対立から、三島、中村、南らが「グループNLT」を脱退したことにより、現在の「劇団NLT」に名称が変更された。脱退した三島らは同年の4月17日に「浪漫劇場」を正式結成した。
賀原を中心として、主にブールヴァール(フランス喜劇)を上演。賀原の死後も、この路線は踏襲されている。また、黒柳徹子が客演として多くの舞台に出演している。
また、NLT文芸演出部には、翻訳家の黒田絵美子や脚本家の池田政之がいる。
俳優教室を開校していた時期もあり、そこで受講した者や同劇団出身者には、藤岡弘、や佐々木剛など、のちに特撮作品で主演をつとめた俳優も多い。( Wikipedia 最終更新日 2014.10.29)

上、「神戸演劇鑑賞会」パンフレットより
於て:2014年12月19日 神戸文化ホール(中)
投稿者 愉悠舎 日時 2014年12月21日 (日) 鑑賞 | 個別ページ
パルレ(-洗濯-~ミュージカル~) ピュアーマリー公演
「ピュアーマリー」による韓国ミュージカル「パルレ」を楽しんだ。
「ピュアーマリー」は国内外のミュージカル、演劇、ショーの企画制作を行なっており「若年層、新しい観客を増やすため、認知度かつ実力のある俳優によるプロデュース公演を、全国に向けて発信することにより、広く演劇文化を普及することを目的としています。・・・〔ミュージカル〕については、俳優はもとより、〔クリエイター〕と〔観客〕を育てることを最大の課題とし、その質を高めるためにも、海外の優れた作品を、日本語で、高水準を保ち、日本全国で上演し、・・・」(設立趣意書より)、とし、「生の舞台をとおして豊かな人間性を育む社会へ」を、そのコンセプトにしている。
物語は江原道(カンウォンド)から出てきてソウルの下町に暮らす若い女性ナヨン(石川えりな)とモンゴルから来た青年・ソロンゴ(山口賢貴)を軸に、肩を寄せ合って生きる下町の人たちの日常と心の触れ合いを、今に映している。
タイトルの「パルレ」とは「洗濯」の意味。
♪さあ、昨日の垢を 洗い流して 今日の垢やシミを叩いて シワくちゃな明日に きれいにアイロンかけて 今日を生きよう♪
高汐 巴の存在感、三波豊和の重厚な演技、川島なお美の「華」が印象に残った。

(於いて 神戸文化ホール〔中ホール〕 2015.02.17 マチネ)
投稿者 愉悠舎 日時 2015年2月20日 (金) 鑑賞 | 個別ページ
画展二題

短いサクラの季節がやって来た。
うららかな日の昼前、淡路島の東浦に在る、「淡路サンシャインホール・ギャラリー」へ、知友・久谷義昭氏の画を鑑賞にワイフと出かけた。
今、淡路島で「淡路花博2015花みどりフェア」なるものが開催されており、それへの協賛として「兵庫県美術家同盟2015会員巡回展」が行われている。
氏も最近は売れっ子で、いろいろなところから画の展示要請があるみたいで、喜ばしいことだ。
画の展示会の話題をもう一つ。
広島で活躍している知友・吉川順子女史の展示会が今日から広島県立美術館で開催されている。
遠いので観に行くことはできないが、「人物を徹底的に描きたい」と制作意欲に燃える女史の活躍を期待している。




投稿者 愉悠舎 日時 2015年3月31日 (火) 鑑賞 | 個別ページ
親の顔が見たい(劇団昴公演)
カトリック系女子中学校で起きた自殺を巡り、加害者の親たちが繰り広げる醜態と自己保全を、劇団「昴」が演じ、いじめの奥に潜む社会の病理をあぶりだしている。
思うに、子供社会の「いじめ」は大人社会のパワハラ、セクハラ等の増大と共に陰湿化し、親から子へ、さらにその子へと、連なっていく。
この「負の連鎖」を断ち切るには大人社会に目を向ける必要があろう。
あらすじ
「都内カトリック系私立女子中学校会議室。そこに集まる保護者達。彼らは、いじめを受けて自殺した生徒の遺書に名指しされた加害者の親達である。それぞれ、年齢も、生活環境も、職業も違う親達は我が子を庇護することに終始する。怒号飛び交う会議室。子供達のいじめを通して、それぞれの親達の「顔」が浮き彫りになる…。(神戸演劇鑑賞会HPより)」
昴
1963年、福田恆存が文学座を脱退した芥川比呂志らと結成した、財団法人・現代演劇協会附属の「劇団雲」と、同じく現代演劇協会附属の「劇団欅」が前身。1975年に「雲」から「演劇集団
円」が独立し、翌1976年、「雲」及び「欅」を併合・発展解消する形で、福田、小池朝雄らが中心となり、「劇団昴」が結成された。 2007年には現代演劇協会の傘下から離れ、「劇団昴有限責任中間法人」となった。公益法人制度改革に伴い、2009年に一般社団法人に名称を変更した。(
Wikipedia 最終更新日 2015.02.21)

(於 神戸文化ホール〔中〕 4/5日 マチネ)
投稿者 愉悠舎 日時 2015年4月 6日 (月) 鑑賞 | 個別ページ
バカのカベ ~フランス風~ (加藤健一事務所公演)

ウイットのきいた会話で観客を引き込むフランス風のおしゃべり劇。
風刺風の喜劇であるが、シリアスな側面が前面に押し出されて妙。
芸達者な出演者たちの演技としゃべくりに魅了された。


(於いて 神戸文化ホール〈中〉 6/28)
投稿者 愉悠舎 日時 2015年7月 1日 (水) 鑑賞 | 個別ページ
父と暮せば(こまつ座公演)
ヒロシマから70年、「いつか来た道」へ、キナ臭い昨今。
井上ひさしの「父と暮せば」を、井上ひさしの専門劇団「こまつ座」が、戦争の不条理と惨さを世に問う。
井上ひさしの同名作品は故・黒木和雄監督の手で映画化された。
映画では原田芳雄と宮沢りえが父と娘を演じた。
今年の12月、井上ひさしの遺志を受け継いで、山田洋次監督が「母と暮せば」をクランクアップする。
演じるのは吉永小百合と二宮和也。
「父と暮せば」
『父と暮せば』(ちちとくらせば)は、井上ひさしによる舞台作品。原爆投下後の広島を舞台にした二人芝居。 こまつ座第三十四回公演として1994年9月に初演(鵜山仁演出)。第2回読売演劇大賞の優秀作品賞、優秀演出家賞(鵜山仁)、優秀女優賞(梅沢昌代)を受賞。以後、各地で繰り返し上演され、モスクワや香港など海外公演も行われた。2004年に映画化(黒木和雄監督)
。また、2006年に日独対訳版の「Die Tage mit Vater」が出版されている。( Wikipedia 最終更新日 2015.06.18)
「母と暮せば」
『母と暮せば』(ははとくらせば)は2015年12月12日に公開予定の日本映画。監督は山田洋次。 井上ひさしが晩年に構想していた、「ヒロシマ」・「ナガサキ」・「沖縄」をテーマにした「戦後命の三部作」の意思を山田が引き継ぎ、「ナガサキ」をテーマに制作された。「ヒロシマ」が舞台である井上の戯曲『父と暮せば』と対になる形となっている。(
Wikipedia 最終更新日 2015.07.13)

(於いて 神戸文化ホール〈中〉 7/28日 マチネ)
投稿者 愉悠舎 日時 2015年7月29日 (水) 鑑賞 | 個別ページ