鑑賞 2
文学座公演・「くにこ」

リタイアーしてからワイフのお世話になる回数が多くなった。
この日曜日、ワイフのあとについて、ノコノコと神戸に出かけた。
文学座公演の舞台「くにこ」を観た。
1981年(昭和56年)、台湾で飛行機事故のため51歳の若さで亡くなった向田邦子の、生まれてから作家になるまでの軌跡を、彼女の数々の作品のエッセンスとエピソードを散りばめ、向田邦子の視点で綴っている。
さほど大きくない舞台でも演じられるようにか?こじんまりとした舞台ながら、出演者の演技力に支えられた舞台劇、さすが文学座ならではだ。
家族や世の中全てを受け入れ、楽天的に常に希望を持って生きた向田邦子と、その周辺の人々の生活を、出演者全員の力により今に蘇らせていた。
庶民のデティルをえがき続けた向田邦子が逝って三十年が経つ、彼女の折々の記は今も私の中に生きている。
(於 神戸文化ホール)
<スタッフ>
作:中島淳彦
演出:鵜山仁
装置:石井強司
照明:金英彦
音楽:川崎絵都夫
衣裳:原まさみ
舞台監督:三上博
制作:矢部修治
<出演>
塩田朋子/山本郁子/栗田桃子/太田志津香
/鬼頭典子/上田桃子/角野卓造/関輝雄/亀田佳明
投稿者 愉悠舎 日時 2012年12月26日 (水) 鑑賞 | 個別ページ
夢千代日記(前進座公演)

9月30日、前進座公演の「夢千代日記」を観た。
日本海を遠くに臨む湯の里で置き屋を営む夢千代は不治の病の診察のため半年に一回神戸に通う。
帰り、列車が余部(あまるべ)の鉄橋に差しかかると、生きてまた神戸に通えるだろうかと・・、夢千代は不安の中にもわずかな希望を灯す。そして、みんなが待つ山あいの町に帰って行く。
「 山あいの温泉町・・・
置屋の女将、夢千代と 心を寄せ合って
生きる女たちが織りなす -- 人間模様 --

山陰の山あい、余部鉄橋を越えたあたりの忘れられたような町・湯の里温泉。〈はる家〉はその町の小さな置屋。そこには、哀しい過去や心に傷を負った女たちが肩を寄せ合うように暮らしていた。亡き母の跡を継いだ〈はる家〉の女将・夢千代(今村文美)は、いつも自分のことより周りのことを気遣いながら生きていたのだが、その身体は病に蝕まれていた。」(神戸演劇鑑賞会ホームページより)

早坂暁がNHKの「ドラマ人間模様」に書き下ろした物語で吉永小百合が夢千代を演じている。その後、映画化され同じく吉永小百合が夢千代を演じ、また舞台化もされ、数々の女優が夢千代を演じている。
前進座公演の夢千代は同劇団の看板女優・今村文美(あやみ)が演じ、台本・演出は前進座・座友の志村智雄が受け持った。
今村文美が演じる夢千代は翳(かげ)りがない。
「夢千代日記」に抱く陰や悲しみを後方に押しやり、けなげに明るく生きる女性たちを前面に押し出している。
前進座は歌舞伎劇団であり和服が似合う。芸者たちが三味線を使って民謡「貝殻節」を歌って踊る場面(冒頭の画像)など、前進座ならではの、地に足がついた力強さと艶がある。

投稿者 愉悠舎 日時 2013年10月 4日 (金) 鑑賞 | 個別ページ
かがり火・2013

今年も「かがり火」の定期演奏会がやって来た
この日を迎えると、なんとなく周りのあわただしさを受け入れもするが、毎日が日曜日の我が身に、まもなくやって来る師走の足音は聞こえて来ない。

恒例の「かがり火」定期演奏会を聴きに行った。
いつものことであるが、団員のK夫妻のために、ワイフが花束を用意した。8人分の思いを込めた花束を持って、会場に行った。
8人の一人がいつも一番良い席を予め確保してくれている。
私たちは開演まぎわに会場に入る。

毎年趣向を変えての演奏にこの楽団の音楽に対する一途さを見る。と同時に、歌を奏でる団員も楽しみ、聴きに来る観客にも喜んで貰おう。そんな余裕も出てきたような演奏ぶりだった。
投稿者 愉悠舎 日時 2013年11月18日 (月) 鑑賞 | 個別ページ
殿様と私(文学座公演)

明治の中ごろ、帝国憲法が発布される少し前の日本。
武士階級は滅び、義理人情の世はすたれ、欧米文化がドット押し寄せてくる東京。
目まぐるしく変わる時代の波に翻弄される人々のいとなみを、劇団「文学座」が演じる。
「明治19年、東京・麻布の白河子爵邸。当主の白河義晃は急速に西洋化する日本になじめず、酒浸りの日々を送っていた。ある日、外務卿・井上馨の書生と白河家の家令・雛田源右衛門の間に一悶着が起きた。雛田は時代遅れのちょん髷をからかわれたばかりか、因循姑息な白河子爵は華族の資格なしと罵倒されたのである。それを聞いた義晃は怒り心頭に発し、これまた時代遅れの討ち入りを決意。しかし、「白河家を守るには鹿鳴館に乗り込み、見事なダンスを披露して和魂洋才の手本を示すこと」という息子・義知の提言に、お家のためならやむを得ずと渋々承知の義晃。米国人のアンナ・カートライト夫人を指南役に、義晃のダンス修行が始まった。
・・・」(神戸演劇鑑賞会 <あじさい> パンフレットより)
時代に合わせることもせず、時流に取り残された、もと殿様と、新しい息吹を世界に求めて飛び立とうとするその娘を軸に、大きく変わる明治の世を、少し物悲しい舞台風景に閉じ込めながら、見えない遠景の風景を手元に引き寄せている。
私が観た「明治」の文学座は、いつもうすびの背後に「翳(かげ)」が寄り添っている。

(於いて 神戸文化ホール 中ホール 12/20)
投稿者 愉悠舎 日時 2013年12月21日 (土) 鑑賞 | 個別ページ
レクイエム・「月光の冬」

中学の同窓生・K氏がコンサートでベートーベンの「月光」を弾くという。
19日の朝、淡路を発ってコンサート会場の砥部文化会館へ車を走らせた。途中、同窓のN女史を拾い松山へ向かった。
彼は十代の頃からベートーベンの「月光」に魅せられ、上手く弾けたらという思いをずっと抱きながら、大学で細胞の研究に忙殺されて来た。大学を退職したのを機に、再び鍵盤の前に立つようになった。
若い頃、楽曲・「月光」に惹かれた彼は後年、小説・「月光の夏」に魂を揺さぶられる。
「月光の夏」とは、毛利恒之の実話に基づいた小説で、映画監督・神山征二郎によって映画化もされた、或る特攻隊員の物語である。
戦後45年を経た佐賀県の鳥栖小学校で、古いグランドピアノが捨てられようとしていた。その昔ここで教師をしていた吉岡公子は、ピアノに秘めた思いを語り、ピアノの存続を願う。
第二次世界大戦末期の夏、二人の特攻隊員が小学校にやって来た。その一人がベートーヴェンのピアノ・ソナタ「月光」を弾き、そのまゝ静かに去って行き、知覧を飛び立ち沖縄の空へ散った・・・。
「月光の夏」に導かれK氏は知覧や鳥栖を訪ね歩いた。
今年弾く「月光」にもうひとつ、彼の背中を押したものがある。
故・Y氏へ捧げる曲としての「月光」である。
同窓のY氏が昨年癌に倒れた。
K氏はその最期をサポートをした。生前K氏はY氏に「俺の好きな曲だ、聴いてくれ」と「月光」のレコードを渡された。
死の少し前、私とN女史それに中学時代の恩師・A先生でY氏を見舞った。働きながら高校、大学を卒業した彼は「治ったら大学院へ行きたい」、「自宅の近くの川でホタルの再生をやっている、ようやく孵化した、ホタルが群れ飛ぶ蛍川にしたい」、と夢を語ってくれた。
私たちの時代は中学を卒業すると半数の人たちは社会へ出ていた。Y氏はA先生に推され住友化学の養成工となった。新居浜は住友が君臨する企業城下町である。少年たちにとって住友に入ることは就職の意味を超え、この街で生きて行く大きなステータスを獲得したことになる。住友に推してくれたA先生を生涯の糧として生き、己が人生を住友に捧げたY氏は、住友病院のベッドでその生涯を閉じた。
ホタルの孵化は夢半ばで、大学院は夢に終わった。
K氏の奏でる「月光・第一楽章」が静かに会場をを包んだ。あたら若い命を散らした特攻隊員や志半ばで逝ったY氏の無念が五感に深く静かに滲みわたる。
「月光・第二楽章」、逝った者の屍を超えよと、我が背なを打つ。
会場を出てK氏の指定したカフェへ向かう。ナビ操作の手違いで少し手間取ったが、とにかく行き着く。そこでK氏の奥さんや彼の教え子を交え、暫し談笑をする。
カフェの駐車場から東方に雪を抱いた石鎚の山が聳えていた。松山側から雪に覆われた石鎚連峰を望むのは始めてである。新居浜から見る石鎚は峻厳だが、ここからの石鎚は気のせいか優しい。
私にとって石鎚は人生の里程標であった。その一里塚を未だに通過できない私がもどかしい。
K宅へ寄り、再び彼の弾く「月光」に、それぞれは思いに浸る。
私は過ぎ去り日の憂いの中に、残り火を放り込む。
K宅を後に、K氏、N女史そして私は大街道近くの小料理屋で食事を共にした。途中、私とN女史はホテルでチェックインを済ませた。
三人で呑む酒は切ないが楽しい。
口はばったい言い方だが、私はふるさとに背を向けて生きてきた。空白の半世紀を埋めてくれたのはN女史である。数年前、中学の学年同窓会がはじめて新居浜で行われた。往時、六クラス三百有余名が明日に向かい、油引きの木の廊下を右往左往していた。
彼女と私、クラスは違っていたが彼女はY氏と共に我がクラスの消息と人集めに奔走してくれた。その後、同級生の消息は彼女によって知ることとなった。
同窓生の道のりに沿って彼女も生きてきた。その半生は波乱だった。波乱に生きた立ち姿は凛として揺るぎない。月並みな言い方だが今もって素敵でチャーミングな女性である。
二人を前にすると私は小さい。小さい私にも見えてくるものがある。私には還らなければならぬ場所がある。お遍路さんが鈴を鳴らして歩いたあの石鎚の山懐へ。
投稿者 愉悠舎 日時 2014年1月22日 (水) 鑑賞 | 個別ページ
ハムレット(劇団東演)

戯曲・ 「ハムレット」は、様々な劇団・役者によって演じられて来たが、劇団東演による今回のハムレットは少々趣を異にしている。
ロシアの劇場と俳優座からの外部出演やロシア人の手により演出が成され、音響と衣装もロシア人に依っている。
舞台場景と衣装はモノトーンを基調に、剣や防具の小道具は使わず、役者の演技と音響により迫力のある舞台を造りだしている。
16世紀の「ハムレット」の時代状況を、音響に乗せて写し出す群集劇は見ごたえがあった。
「ハムレット」は観る者のその時々のあり様により、いかほどにも受け取ることの出来る奥行きの深い戯曲である。それと共に、「ハムレット」は現代をえがき切っている。
以下に「神戸演劇鑑賞会」パンフレットより、「キャスト・スタッフ」、「あらすじ」、「『ハムレット』のせりふで辿るシェイクスピアの生涯」及び「劇団東演の紹介」を転載する。
(於いて 神戸文化ホール <中 > 2014.02.23 <日 >)
投稿者 愉悠舎 日時 2014年2月24日 (月) 鑑賞 | 個別ページ
八月の鯨(劇団民藝)&第55回兵庫県美術家同盟展
今朝の空は澄んでいる。梅田のビル群の右に「世界貿易センタービル」(WTC、256m)と、そのずっと右に「あべのハルカス」(300m)が、ブログを書いている私の部屋から望める。
午前6時前、未だ陽は登りきっていない。
昨日、「神戸まつり」が始まった神戸へ向かった。
目的は演劇と知友の絵画鑑賞。
車を湊川の市営駐車場に置き、ワイフと最初の行き先である王子動物園近くの「原田の森ギャラリー」まで一時間余りを歩く。歩数にして1万2千歩。
ギャラリー内のイタリア料理店で昼食を摂る。この店はスローフードの先駆けをになった人の店として名が通っているそうだ。
私はAランチ(ピザ、スープ、サラダ、コーヒー)とビールを、ワイフはBランチ(コーンとハムのクリームソーススパゲティー、サラダ、コーヒー)とビールをいただいた。

昼食後、第55回兵庫県美術家同盟展へ。

久谷氏の絵については拙ブログで何度か触れたが、彼の絵ごころを衝くモチーフに阪神・淡路大震災がある。マイブログ(それぞれの1.17)にもあるが、想いの先に見えてくる人や社会の恥部、瓦礫のあいだに見え隠れする真実、それらを「風化」として表現を試みている。
午後一時半の劇団「民藝」公演に間に合うよう、ギャラリーを後に、JR灘駅へ、橋上化されている駅舎にビックリ。原田の森に来るときは、車か阪急電車を使うのでJR灘駅の変貌をはじめて知った。
八月の鯨(劇団民藝)
大倉山の文化ホールにて観劇。

華やかなりし頃の輝きに身を委ねながら、老いゆく身に不安を隠せない。そんな老姉妹と、ロシア革命で国を追われ、世界を「漂流」しながら老姉妹の別荘にやって来た元・ロシア貴族らが織り成す日常を、奈良岡朋子等が、含蓄のある台詞と共に静かに演じている。
ひと時の興亡を生きた人たちの矜持を甦らせている。
明日を見つめて生きてゆく…
黄昏を迎えた姉妹の、いまが人生のとき
1954年の8月、アメリカ。リビーとサラの姉妹は毎年メイン州沿岸の島にある別荘で、ひと夏を過ごすことにしている。
鯨の訪れを心待ちにする姉妹だがもう昔のように鯨がやってくることはない。目が不自由になった姉のリビーは、他人に依存しなければ生きてゆけない自分に腹を立てていた。ますます気難しくなった彼女には、面倒見のいい妹のサラも手を焼く始末。そんな頃、幼なじみのティシャがサラにある提案をする。リビーを施設に預けて自分と暮さないか、と言うのだ。迷うサラ。さらにロシアの亡命貴族マラノフに心をときめかすサラに、リビーは嫌味を言う…。
老いにただ身をまかせるのではなく、どう生きるか…
民藝の二大女優が初の姉妹役を演じる舞台
(神戸演劇鑑賞会HPより)
スタッフ
作=デイヴィッド・ベリー 訳・演出=丹野郁弓
装置: 勝野英雄
照明: 前田照夫
衣裳: 宮本宣子
効果: 岩田直行
舞台監督: 中島裕一郎
キャスト
サラ: 日色ともゑ
リビー: 奈良岡朋子
ジョシュア: 稲垣隆史
ティシャ: 船坂博子
マラノフ: 篠田三郎(客演)
投稿者 愉悠舎 日時 2014年5月18日 (日) 鑑賞 | 個別ページ
剣戟はる駒座・ほか

大衆演劇を観に「南淡路ロイヤルホテル」へ行った。
新装なったホテルのロビーは、白を基調に、簡素な造りで、空間に安らぎを覚える。
到着後、ランチバイキングを一階のレストランで食する。
一時間ほどかけて食事をしたあと、地下の大広間で観劇。
食事のお供に飲んだビールの値段が、中びん一本800円、チト高い。

この日の公演は津川鶇汀「剣戟はる駒座」。
人情芝居と歌謡ショーの二部仕立てだが、若い劇団員が多いせいか、現代的な新しい要素をも取り入れ、客層の幅を広げよとしているのが見て取れる。
コントや古典舞踊なども織り交ぜ、客を飽きさせぬ演出に拍手。
劇団は大阪の天王寺を拠点に、1997年(平成9年)に創設された比較的新しい劇団である。
大衆劇団は全国に130ほど有るらしいが、地域によってその芸風に特徴があるらしい。
関東、関西そして九州の芸風を比較すると、それぞれの特色が見えてくると、大衆演劇の公式サイトは述べている。
「関東は小気味の良い台詞と洒脱な気風の良さを売り物にしているが、舞台全体が大味で活気に乏しい。どんな役柄でも無難にこなし、はんなりした“艶物”を得意とするのが関西だが、小器用すぎてダイナミックさに欠ける。大衆演劇のメッカといわれている九州は、壮烈な立回りの剣劇と、覇気に溢れる熱演型だが、それがかえって災いし、見ていて疲れをおぼえるのが欠点だ。
関係者の評価を総合すると、芸達者のランクは、九州、関西、関東の順になる。しかし九州の一座が、関東で大当たりするとは限らない。土地の水にあうかは、また別物なのだ。(大衆演劇「公式」総合サイト より)」

観劇の後、ホテル内の「渦の湯」に浸かる。大浴場の隣にある露天風呂は、湯底のタイル模様が渦のように湯面に浮かびあがって来る。
ランチバイキングが入浴料込みの1600円、芝居が1500円、一日楽しめて3000円チョット。
投稿者 愉悠舎 日時 2014年6月26日 (木) 鑑賞 | 個別ページ
イノセントピープル(劇団昴)
アメリカ ニューメキシコ州ロスアラモス。原子爆弾開発に従事した科学者ブライアン・ウッド。ヒロシマ・ナガサキに落とされた2発の原爆を作り上げた5人の若者たち。
これは、彼らが歩んだアメリカの「第二次世界大戦後」の物語である。アメリカは、その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争と、戦地へ若者を送り続けた。戦後も原爆・水爆製造に携わるブライアン。
1945年のあの日から65年、彼らはどう生きてきたのか?日本人の視点でアメリカの戦後をとらえる異色の戦後史。(神戸演劇鑑賞会HP)
原爆を投下した側の頭脳を担った人たちの戦後が、星条旗の下にむなしく響く。
強者・アメリカの論理が空を打つ。
戦争に勝者はいない。
本劇を演じた「劇団昴」の祖は1963年(昭和38年)、芥川比呂志らが文学座を脱退し、
現代演劇協会を創立したのに始まるらしい。
言われてみれば、「劇団昴」の舞台は文学座の影を引いているように感じた。
(於いて 神戸文化ホール 7月5日 マチネ)

投稿者 愉悠舎 日時 2014年7月 9日 (水) 鑑賞 | 個別ページ
2014年9月 8日 (月)
牡丹燈籠・(人形劇団プーク)

人形劇団プークが演じる「怪談 牡丹燈籠」を観た。
人形使いがセリフと共に人形に「命」を与え、まるで人形が「ひとり歩き」しているように見える。
「命」を吹き込まれた人形は、動作や身のこなしに使い手の感性が宿り、セリフを受けて顔の表情が変わる。
使い手と人形が一体と化した演技は見事だ!
一ヶ月ほど前に見た「阿波人形浄瑠璃」などの古典芸能にないリアリティと迫力がある。
人形劇団プーク
人形劇団プーク(にんぎょうげきだんプーク)は日本の人形劇団。日本において長い伝統をもつ現代人形劇団の一つ。常設ホールや学校において人形劇の公演の他、テレビ、映画などの出演もしている。
劇団の礎となった「人形クラブ」の名を、エスペラント語で「LA PUPA KLUBO」(英訳=THE PUPPET CLUB)を正式名称として、人形を意味するPUPAのPUとクラブを意味するKLUBOのKをとってPUKと略称としていたが、それを通称として劇団名とした。
現在、人形劇団プークは、人形劇団プーク(舞台活動・法人名は劇団プーク)・プーク人形劇場(プーク人形劇場の管理・運営)・スタジオ・ノーヴァ(映像部門)の3法人で活動している。(
Wikipedia 最終更新日 2014.06.28)
牡丹灯籠
牡丹灯籠(ぼたん どうろう)は、中国明代の小説集『剪灯新話』に収録された小説『牡丹燈記』に着想を得て、三遊亭圓朝によって落語の演目として創作された怪談噺である。『牡丹燈記』は、若い女の幽霊が男と逢瀬を重ねたものの、幽霊であることがばれ、幽霊封じをした男を恨んで殺すという話で、圓朝はこの幽霊話に、仇討や殺人、母子再会など、多くの事件と登場人物を加え、それらが複雑に絡み合う一大ドラマに仕立て上げた。圓朝没後は、四代目橘家圓喬・五代目三遊亭圓生・六代目三遊亭圓生・五代目古今亭志ん生・初代林家彦六など歴代の大真打が得意とした。
明治25年(1892年)7月には、三代目河竹新七により『怪異談牡丹灯籠』(かいだん ぼたん どうろう)として歌舞伎化され、五代目尾上菊五郎主演で歌舞伎座で上演されて大盛況だった。
以後、演劇や映画にも広く脚色され、特に二葉亭四迷は圓朝の速記本から言文一致体を編み出すなど、その後の芸能・文学面に多大な影響を与えた。( Wikipedia 最終更新日 2014.07.11)
(於いて 神戸文化ホール・中 09/05日)

投稿者 愉悠舎 日時 2014年9月 8日 (月) 鑑賞 | 個別ページ