丸太小屋の四季 その4
日本丸・銀河丸

梅雨あけの津名港沖に、停泊中の日本丸、銀河丸が夏の日差しの中に浮かぶ。
おとといに続いてきのう、今一度望楼からシャッターを切ったあと、津名港へ向かう。
関空へ高速船が行き来していた桟橋は閉鎖されていて立ち入り禁止(釣りをさせないためか?)。
仕方なく桟橋の近くにある防波堤(こちらの方が危ない)に立ち入り、日本丸・銀河丸の写真を撮った。
日本丸が帆を揚げている姿を人は「太平洋の白鳥と呼ぶ。
航海訓練所所有の日本丸、銀河丸の仕様(青記は日本丸、朱記は銀河丸);
船 籍 : 東京/東京
船 種 : 帆船/汽船
竣 工 : 1984年9月14日/2004年 6月15日
総トン数 : 2,570/6,185
全長(m) : 110.09/116,40
全幅(m) : 13.80/18,00
機 関 : ディーゼル2基/ディーゼル1基
出 力 : 1500馬力×2基で2,200 kW/6,600 kW
最大速力: 14.3 ノット /20.5 ノット
投稿者 愉悠舎 日時 2011年7月 9日 (土) 丸太小屋の四季 | 個別ページ
洲本の花火

7日の日曜日、淡路島最大のイベント?である「洲本の花火大会」を、我が丸太小屋から見せてもらった。
花火大会を見るために呼んだワイフの知友、ウッちゃん夫妻と、彼らの卓球仲間N夫妻とともにBBQを楽しんだ後、夜空を焦がし海上に映える天体ショー?を楽しんだ。

花火大会の前、多くの参加者を得て、ウッちゃん夫妻に卓球の手ほどきを受けた。その翌日、8日も行われた。
「ウッちゃん」の由来はこうである。その昔、ワイフと「ウッちゃん」は会社の卓球部で知り合った。各々のを名前の姓の頭文字をとって「ウッちゃん」、ワイフは「ツーさん」と呼ばれた。四十年経った今でも、そう呼び合っている。
望楼の観覧席から花火の会場(大浜海岸)まで直線距離にして6.6kmも(Google Earthにて測定)あり、絶好の花火見学桟敷とは言えないが、満足のいく観覧席である。
お隣のS邸のデッキは花火見物を兼ね、近隣近在からパーティに集まった多くの人たちの歓声と熱気に包まれた。
投稿者 愉悠舎 日時 2011年8月 9日 (火) 丸太小屋の四季 | 個別ページ
可憐な花・ヘクソカズラ

丸太小屋の敷地内を席巻し始めた蔓(つる)性の植物が、 回廊の手すりまで攻め込んできた。その名をヘクソカズラ(屁糞葛)と言う。なんともドギツイ名前を頂戴したものだ。
実の臭いがきついらしいが花の段階の今も臭いが鼻をつく。しかし、世間は良くしたものだ。この花はサオトメバナ(早乙女花)とも言われる。花の形が田植えをする早乙女に似てるところから付けられたらしい。確かに可憐な花だ。また、ヤイト(灸)バナとも呼ばれる。
敷地内の樹木に絡みつき、地面を縫うように這い、徐々に勢力を増してきたクソカズラに、ワレも負けてはおれぬ。
菎莢(ざふけふ)に 延(は)ひおほとれる 屎葛(くそかづら)
絶ゆることなく 宮仕へせむ
万葉集 巻16-3855 高宮王
菎莢(ざうけふ); (かわらふぢ)とも訓まれる
投稿者 愉悠舎 日時 2011年8月23日 (火) 丸太小屋の四季 | 個別ページ
月見会

9月12日、いつもより少し早い中秋の名月がやってきた。
中秋の名月が満月に当たるのは2005年以来6年ぶりらしい。
「海平の郷」恒例の月見会がハルボン邸にて開催された。私とワイフは料理一品と愛飲の「のどごし生」4缶を持参し、そそくさとハルボン邸に駆け参じ、大勢の輪の中に紛れた。
老若男女入り混じっての大宴会である。
野分の季節にほど遠い、蒸し暑さの残る夜もなんのその、老いも若きも笑い興じる。さすがに此処まで、世間の風は吹いてこない。薄れ行く人の世に、ここにはまだ人がいる。
「名月や 呑んで騒いで 夜が更ける」
投稿者 愉悠舎 日時 2011年9月13日 (火) 丸太小屋の四季 | 個別ページ
雨に弱い淡路島

淡路島は雨が少ないと言われていた。そのためか、ため池が多く点在する。しかし、時には大雨を降らすこともある。
紀州の南を通過し日本列島を縦断中の台風15号の影響で、淡路島に強い雨が降った。ここ淡路市でも一部の河川が氾濫した。
午後、所用で市の中心部志筑川沿いを走ったが、床下・床上浸水被害は深刻だ。被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。
神戸海洋気象台によれば、20日夜までの24時間降雨量は郡家(淡路市)で356.5mmと統計開始以来最高を記録したそうな。我が郷に近い洲本でも300mm(24時間)を記録している。
そこで思い出すのが2004年(平成16年)の台風23号、淡路島の東側を通り抜けた台風はこの地に大きな被害をもたらした。その時の洲本の降水量を洲本市のホームページで調べてみると、2004年10月20日の一日の降水量が309.0
mm とある。
私の棲むこの場所に、今回降った雨は2004年相当と考えられる。

2004年の台風23号で我が家も大きな被害を被った。回廊の先が土砂崩れに遭った。今話題になっている深層崩壊でなく表層崩壊である。45度の斜面が約300坪に渡り崩れた。幸か不幸か台風23号は「激甚災害」に指定され、そこで我が家もその恩恵に浴した。崩壊部改良工事について、淡路市の職員と話し合った結果、崩壊部の上1/3を法枠(のりわく)工、中2/3を厚層基材吹付工、下3/3を無施工とした。崩壊部のうち我が家の敷地は法枠工の半分、50坪程度と全体に占める割合は少なかった(残りは団地の開発会社)が、激甚災害の被害申請者は私個人となり、設計段階から関与することができた。
回廊の基礎を護り、再度の崩壊を防ぐには基礎の周りを固めるだけで十分だ。費用もかさむだけであるので、崩落部分の1/3の基礎周辺だけを地盤改良することにした。と言っても、崩落の原因が回廊の基礎部にあった訳ではない。
この山は地表から2mの深さに土が消えて岩が構えているらしい。口径25mm、長さ2.5mのロックボルトを66本、口径13mm、長さ0.5mの補助アンカーを176本、岩質の地盤に打説した。工事の施工は新潟の温泉を発掘している会社が担当した。長大なボーリングマシンを持ってきたのには驚いた。主任技術者が冗談で、「温泉を掘りませんか、1200m掘れば温泉が出ますよ」。

費用は私も負担したが、この地の特殊性を考慮して、自然災害保険に加入していたので一銭の持ち出しもせずに済んだ。それと法枠の所有は淡路市にあり、もし何かあれば淡路市に面倒を見させれば良い。
今ここは草木が繁り何事もなかったような顔を見せてくれているが、いつ何どき自然のしっぺ返しを受けるかもしれない。
投稿者 愉悠舎 日時 2011年9月21日 (水) 丸太小屋の四季 | 個別ページ
夏から秋へ

夏を思わせる暑さの残る一日だった。
夕方、陽が西に沈む頃、ようやく秋の気配が漂ってきた。
ポツリ、ポツリと雨が降ってきた。
雨が冷えを呼んだのか、冷えが雨を降らせたのか、山里に秋が忍び込んできた。
海からやって来た霧が里山に流れた。
流れる霧が里山を切り裂いた。
午後6時、望楼から暮れゆく夕景を切り撮った。
投稿者 愉悠舎 日時 2011年9月28日 (水) 丸太小屋の四季 | 個別ページ
石積みに残る面影

小屋のあるこの辺り、団地になる前は果樹園だった。私の子供が中学生のとき使っていた地図を今も私が愛用している。それによると地図が発行された1988年(昭和63年)頃まで、この果樹園は淡路島の中でも有数の果樹園だったと、右の図から想像できる。
果樹園の持ち主がどのような事情で果樹園を手放したのか私の知るところでないが、果樹園を買ったマリコンは、当初大阪湾沿岸の埋め立て用に此の地を取得したらしい。それが種々の法規制により土砂の掘り起こしを諦め、自然を残したリゾート地に変貌した。

開発から20年、雑木林の中に座る団地は年月を経て少し落ち着きが出てきた。私も此の団地が見せてくれる四季折々の微妙な変化に気づき始めている。
ミカンの実が熟れる頃になると果樹園時代の面影が少し顔を出す。団地内の所々に柑橘類の一種である「淡路島文旦?」が目に止まる。家の前の林の中のそれも、そろそろ色づきはじめている。
何を思ったか最近散歩をはじめた。15分ほどで終わるので、散歩にはほど遠い。近くの階段・80段を昇り降りするのが目的で、そのついでに少し足を伸ばしているにすぎない。歩き出して今まで気が付かなかった情景に出会うことがある。
その一つが谷積みの擁壁と段々畑跡に残る石垣の残骸だ。いづれも家のすぐ近くにある。
「鉄とコンクリートの時代」に石を使った手造りの構造物が身近にあると気持ちが和む。
投稿者 愉悠舎 日時 2011年10月25日 (火) 丸太小屋の四季 | 個別ページ
たなびく雲

なかなか目にしない光景である。
淡路富士と呼ばれる先山(せんざん)にかかる雲の帯を捉えた。高さ448メートルの山頂を見せながら、漂うでもなく流れるでもない、低く垂れ込めた雲に、恵み豊かな豊穣の地、淡路島の薫りを想う。
なお、先山は瀬戸内海国立公園の一部になっている。
投稿者 愉悠舎 日時 2011年11月13日 (日) 丸太小屋の四季 | 個別ページ
朝がたの和歌山、昼の神戸

早いもので1月もあと一日。
朝がた和歌山方面を臨んだ。
曇天の間から陽が射し込んできた。薄日が映る海面の向こうは和歌山市、その右が海南市になる。そのこちらら側に、友が島が浮かび、オレンジ色の空の下に紀淡海峡が構えている。

昼過ぎ、神戸方面を視る。
高層ビル群の背後に聳える六甲の山なみは、いつも同じ姿勢で佇む。
この地が割れた17年前の今頃、倒壊したビルの合い間を私はちょこまか、チョコマカと這いずりまわっていた。
投稿者 愉悠舎 日時 2012年1月30日 (月) 丸太小屋の四季 | 個別ページ
手抜きの月

満月を観たい海面に出来る月の道を見たい、と言って私たち夫婦の卓球の師匠・M夫妻とその弟子N夫妻が淡路にやって来たのはこの月・火曜日。今月の十五夜は水曜日で、やって来た日は十三夜、生憎の天候で観月とシャレ込めなかった。
昼から、卓球に興じた。
夜、彼女たちが夕食に創ってくれたのがニンニクでなくニラを使った餃子。クセがなく私の口にあった。うまい!
満月そっくりのタコ焼きも食べさせてくれた。
月見会とはいかなかったが、。シャベクリながらの「餃子&タコ焼きパーティ」に「月」のことなど口にするものは誰もいない。
食事の後はカラオケ大会、「おひらき」となったのが深夜の一時半。
翌日の水曜日せっかくだから記念にと、十五夜の満月を撮ろうとしたが、この日もあまり天候が思わしくない。
昨夜、十六夜の月は冴えた。部屋の外で撮るのが寒いので、家の中からパチリ。手抜きの十六夜を撮った。
深夜、目が覚めた。デッキ一面が白く映えていた。雪かと思いよくよく見ると、月の光にデッキが照らし出されていた。雪ではなかった。
投稿者 愉悠舎 日時 2012年2月10日 (金) 丸太小屋の四季 | 個別ページ