丸太小屋の四季 その03

丸太小屋の四季 その3

孫の遊具



 昨年、孫の誕生日祝いに買った遊具を取り付けた。過日、来島した孫たちはこれらの遊び道具で一日の多くを過ごした。

①ブランコ(IKEA製品)

・ デザイナー:Jon Eliason 
・商品の大きさ:シートの幅; 41 cm、最大荷重; 100 kg ロープ長;3m
・木製パーツ: アカシア無垢材、 合板、 オイル
・ロープ: ポリプロピレンプラスチック
・フック/ リング: アセタール樹脂

 


②ハンドリング(IKEA製品)

・ デザイナー:Jon Eliason 
・商品の大きさ:直径; 2.5 cm、最大荷重; 100 kg ロープ長;2.25m
・木製パーツ: アカシア無垢材、 合板、 オイル
・ロープ: ポリプロピレンプラスチック
・フック/ リング: アセタール樹脂

③縄ばしご(IKEA製品)
・ デザイナー:Jon Eliason 
・商品の大きさ:最大荷重; 100 kg ロープ長;3.5m
・素材:アカシア無垢材、オイル
・ロープ:ポリプロピレンプラスチック
・フック/リング:アセタール樹脂

投稿者 愉悠舎 日時 2009年1月14日 (水) 丸太小屋の四季 | 個別ページ

日々是・・・
 淡路島に仮寓を求めて11年が過ぎた。社会人になりたての頃、友人に誘れて御嶽山に登った。山行の出発点となったのが麓の開田高原であった。 その頃、この一帯は「日本のチベット」と呼ばれていた。まだ開発の手が入る前の高原と民家の佇まいに魅かれた。天と地のせめぎ合うこの地に何度も通った。いつか、ここに棲みたいと思うようになりつつも、日常に忙殺され、その夢もかき消えていった。勤め人の生活も終盤を迎える頃、いつか見た青い空が記憶の底から蘇ってきた。もうその頃は開田高原に棲みたいと思えなくなっていた。ご多聞に漏れずここも高度経済成長の「おかげ」で、チベットの面影は無くなっていた。それと永年暮らした神戸の鈴蘭台は冬冷える、寒さを凌ぐのが年々辛くなって来ていた。寒冷地に暮らすには年を重ねすぎた。好きな神戸を離れたくない。私とワイフが選んだのは神戸を臨む高台だった。

 小鳥のさえずりに目が覚めて、潮の遠鳴り聴きながら、身の来し方を恥じらいつつ目刺でも肴に、少々の酒で一日が終われば、それを幸せに思う。




投稿者 愉悠舎 日時 2011年1月27日 (木) 丸太小屋の四季 | 個別ページ


朝と夕


 一昨日あたりから少し寒さも和らいできたが、その前は近年にない冷え込みが続いた。そんな日の朝と夕を撮った。


 大阪湾の向こうに連なる山なみに顔を出す直前の朝景は神秘的だ。日の出前、山の背後が黄金色に輝くのを「かげろい」というならばそれに近い。もう少し黄みを帯びていたら、もう少し立ち上る陽炎のようならば「かげろい」にもっと近い。この日は冷え込んだので、もう少し早く撮れば赤みが消えていたかも知れない。

 いつか、「かげろい」と言えるものを撮って見たい。


 日が少し昇ってくると海面に道ができる。この道の輝きは幻想的だ。この道はいつも私と太陽を結んでいる。この道を歩けばどこにたどり着くのだろう。この道を歩めば誰に出会うのだろう。この道の先に誰が待ってくれているのだろうか。

 太陽がつくる道は海にこぼれて、静かにはじける。海に浮かぶ海苔棚がかすむ。

 この道を「道なき道」と呼べばいい。




 日は西に傾きうっすらと紀淡海峡を染める頃、「けあらし」現象が出現した。もやっているのは雲ではない。海面の水蒸気が陸からの冷えた空気と交じり合って起こる霧の一種である。

 夕日を受けてもやる「けあらし」は紀淡海峡から紀州沖へと続く。

 


 投稿者 愉悠舎 日時 2011年2月 5日 (土) 丸太小屋の四季 | 個別ページ


雪降るさと

 雪の降らない島に雪が舞い降りた。

 宅配便を届けてくれたおばさんが何十年ぶりかの「大雪」だと言ってそそくさと帰っていった。

 ワイフの部屋から窓のガラス越しに、屋根にうっすらと積もった雪景色を撮った。初めて見る屋根屋根に雪を抱く風景にうっとりする。

 降る雪も海から吹き上げる風に雪が飛び散り、屋根に留まることは今までなかったように思う。

 雪のない島に降る雪は、暗い空とは対照的に明るい。惰性の生活にメリハリがつく。毎冬、雪と闘っている北国の人には申し訳ないが、この地に降る雪は私にとってしばしの慰めになる。

投稿者 愉悠舎 日時 2011年2月11日 (金) 丸太小屋の四季 | 個別ページ

淡路の島にまた雪が


 淡路島にこれほどの雪は珍しいのではなかろうか。

 この地に厄介になって11年来た当初団地内の環境整備に来ていた初老のおじさんが言っていた、「ここは殆んど雪が降らない、全く降らない年もある」、先日の雪でさえ、「何十年ぶりだ」と言っていた人がいた。雪質は水分の多いベタ雪だが、それでもメルヘンチックだ。メルヘンチックと言えば「かまくら」で有名な秋田の横手で体験した銀世界はメルヘンの世界そのものだった。

 雪に馴染みのうすい島民は大変だ。生活に支障を来たさなければいいが、特に移動手段を自分で運転する車に頼っている人が多いだけに、車の事故が心配だ。雪に縁遠かっただけに雪対策は全くと言っていいほど出来ていないと思う。今日一日の無事を祈る。

 「南の島に雪が降る」そのものだ。

 さすが「南の島」だ、夜がくらみ始めると溶け出した。

 明日はどのような景色に変貌しているのだろう。

 

 

 

 

 


投稿者 愉悠舎 日時 2011年2月14日 (月) 丸太小屋の四季 | 個別ページ

 

薪割り機

 先日、近くの造園会社の人がユニック車で薪割り機を運んできた。その翌日、軽トラ3台で輪切りにした大きな木を運んできた。木を下ろした軽トラは引き返し、二たび木を積んでやって来た。軽トラ6台分の木を拙宅とお隣に置いていった。

 今日木割り作業をしていると造園会社のO氏が来たので木の出所を聞いた。「海平の郷」のふもとにある集落の人たち総がかりで共同墓地の整備をした、その名残らしい。

 薪ストーブ用に持ってきてくれたが、小さく砕いてしまうのも忍びないので、その半分ほどを家の前に並べて、保存しておこう。

 この木を拙宅まで届けてくれた多くの方々に感謝します。ありがとう!

 木の年輪を数えると大体60ほどあり、戦後復興の一環として植えたのであろう。戦後復興を見守ってきた樹木たちは、今の日本の現状に何を思うや?

 木たちの半分は薪割り機によって切り刻まれる。しばらくの間、私にとって化け物のような薪割り機のお世話になる。


 薪割り機はコマツゼノア製のログスプリッター(LS080)で破砕力131KN、と言うことは13トンの力を加えることが出来る。木の長さ1050mmまで割ることができ、薪割り機の重さは240kgもある。


投稿者 愉悠舎 日時 2011年4月12日 (火) 丸太小屋の四季 | 個別ページ


散り染めの山桜


 我が郷の染井吉野は今を盛りと咲き誇っている。一方で、山桜が郷を散り染めている。我が家のデッキにもどこからか山桜の花びらが飛んでくる。

 山桜は葉も同時に付けるので、遠くから見ると染井吉野より全体が淡い。

 山桜は春の訪れを山里に告げてくれる。デッキから毎日桜を眺めていると、一週間前はあちらの集団、今日はこちらと、開花時期にずれがあり、長きに渡り私の目を楽しませてくれる。

 夕方、本日の見納めに写真を撮った。

 明日はどんな顔を見せてくれるだろう。

「もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人 もなし」(大僧正行尊 小倉百人一首)

 

 


投稿者 愉悠舎 日時 2011年4月13日 (水) 丸太小屋の四季 | 個別ページ

 

 


材料搬入・建築記録

 丸太小屋の建築記録を断片的に記しておこう。

 1999年6月、当地に骨格材が運ばれてきた。カナダから輸入した材木を、三重県の鳥羽でログビルダーの手によって加工されトラックで淡路島にやって来た。

 丸太小屋の設計に当り、まず考えたのは梁の長さを11mにすることができるかということであった。11mとは普通、大型トラックに積載可能な長さであり、たとえトラックに積めたとしても山の麓から此処まで通行できなければならない。山の取っ付きからここ山の最奥部までは当地を開発したマリコンによって道路の整備がなされていた。建築会社に調査してもらった結果、運搬上の問題はなかった。

 最も長い梁は12.6mになった。

 当時(今でもそうだが)ここは道路の行き止まり部で、この地にしては比較的広い平坦部を有し、お隣もまだ建築前であったので、大量の加工木材を積み上げることなく並べることができた。お隣の敷地、駐車場や車の転回部を使用して材料を横に置くことにより、員数チェックや組み立ての順番に苦労することなく、合理的な骨組みの組み上げが行われた。

 家も建て込んできた現在なら、試行錯誤、四苦八苦の連続になるだろう。

 

 


投稿者 愉悠舎 日時 2011年4月29日 (金) 丸太小屋の四季 | 個別ページ

 

 


霧が流れる
 昨夜来の雨が止んだ朝、深い霧に覆われた我が郷の周辺、海の上に発生した霧が海岸線を這って里山に流れ込んできた。
 低い温度の海面を、湿り気を含んだ温かい風が撫でて起こる海霧。
 海霧の流れをこの時期この場所でよく見る。
 時には荒れ狂う自然の営みであるが穏やかな営みも自然だ。
 夕刻、郷は再び深い霧に覆われた。


投稿者 愉悠舎 日時 2011年5月11日 (水) 丸太小屋の四季 | 個別ページ

津名港沖に仮泊する日本丸・銀河丸


 航海訓練所(独立行政法人)の船が津名港沖にちょくちょく停泊している。
 我が家の望楼から神戸方面に目をやると時々それとわかる船がとまっている。

 昨日、雨の合間をぬって望楼に立つと、いつもの練習汽船に加えて練習帆船が停泊している。写真では近くに見えるが、望楼から船まで5キロほどの距離がある。

 現在、航海訓練所の練習船は帆船の日本丸、海王丸と汽船の大成丸、銀河丸、青雲丸の5隻だが、この船名の判別はつかない。船の姿から大成丸でないことは判る。

 インターネットで現在、津名港沖に停泊している練習船を調べた。帆船は日本丸、汽船は銀河丸が津名に錨を下ろしている。

 所用で出かけるワイフを下まで送りついでに、船に接近しパチリ。それでも撮影場所から1キロあまり?もっとあるかもしれない。

投稿者 愉悠舎 日時 2011年7月 7日 (木) 丸太小屋の四季 | 個別ページ