カテゴリ「シネマの窓」の記事
2006年6月20日 (火)
戦場のアリア

第一次世界大戦下の1914年12月、フランス・スコットランド軍とドイツ軍がフランス北部のデルソーにおいて激しい戦闘を繰り返していた。
クリスマス・イブ、それぞれの軍隊はそれぞれのイブを過ごしていた。
ドイツ軍は贈られたクリスマス・ツリーを塹壕の外に並べた。ドイツ軍の中にいたテノール歌手ニコラウス(ベンノ・フユルマン)はツリーを持って歌い始める。スコットランド軍は民族楽器バグパイプを奏でて応えた。フランスの兵士はシャンペンで祝った。
これをきっかけとして短い休戦に入る。フランス、スコットランドそしてドイツ軍は塹壕を出て、ノーマンズ・ランド(両軍が向い合う最前線の間の緩衝地帯)に歩み寄った。兵士たちは束の間の交流を持った。
ドイツから来ていたニコラウスの妻・アナ(ダイアン・クルーガー)のソプラノが戦場に響きわたる。
「芸術家は何の役にも立たない」と言われる場面がある。しかし、しばしの休戦をもたらしたのは「役に立たない歌手」が歌うクリスマスキャロルであった。音楽は憎しみを超えて人々の心を結び付ける。
戦争はそれによって権益を得ようとする支配層の身勝手な行動である。その命令に服さなければならない多くの兵士たちの願いは、家族や恋人と過ごす慎ましい暮らしである、決して人間同士が殺しあう戦争などではない。
この映画はかつてドイツの占領下だったフランス北部の町に、農家の息子として生まれたクリスチャン・カリオン監督が当時の兵士たちへのオマージュとして、史実をもとに映像化した。
一世紀近くを経た今もヨーロッパ各地の人々の間で、この日のことが語り継がれている。
(於いて:109シネマズHAT神戸 No.1 6/19日)
監督・脚本:クリスチャン・カリオン
アナの歌声:ナタリー・デッセー
ニコラウスの歌声:ロランド・ヴィラゾン
音楽:フィリップ・ロンビ
出演:ダイアン・クルーガー、ベンノ・フユルマン、
ギョーム・カネ、ダニー・ブーン、
ダニエル・ブリュール
公開:2006/04/29
2005年/フランス・ドイツ・イギリス/117分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年6月20日 (火) シネマの窓 | 個別ページ
2006年7月 4日 (火)
バルトの楽園

第一次世界大戦中、中国の青島(チンタオ)で日本の俘虜となったドイツ人たちと、収容所内外の日本人たちの物心両面にわたる交流を、四国徳島の、のどかな板東の風景の中に映しだしている。
当時日本は戦争のルールを取り決めた「ハーグ条約」を批准しており、俘虜の取り扱いも紳士的にならざるを得なかったが、敵国兵士に対して憎悪の念を持ち合わせていた人たちも少なからずいた。
そんな中、収容所所長の松江(松平健)はドイツ人俘虜たちの人権と生活権の擁護に心を配った。
収容所内は自由闊達な「楽園」に育っていった。所内にはパン工房、印刷所、居酒屋、音楽堂などが作られ、俘虜たちはそれぞれの生活を遠い異国の地で過ごした。
1918年ドイツは敗れ、俘虜生活を解かれる日がやってくる。ドイツ人たちはベートーベンの「交響曲第九番、歓喜の歌」を演奏すべくその準備にいそしむ。
戦時下にあってもヒューマンな心を失わず、分け隔てなく俘虜たちに接した男、明治維新に際し大義を貫き、薩長政府からさいはての地に追いやられた会津藩士の子としてのプライドを守った松江所長と、とらわれの身にもめげず、祖国への想いと民族の誇りを胸に前向きに生きたドイツ人捕虜たちの姿は、争いごとの絶えない現代社会に、誇りを捨てずに生きて行こうと、「歓喜の歌」にのせて我々を鼓舞している。
(於いて:三宮東映劇場 7/03日)
監督: 出目昌伸
出演: 松平健 ブルーノ・ガンツ 高島礼子 阿部寛
國村隼 三船史郎 オリバー・ブーツ 坂東英二
大杉漣 泉谷しげる 勝野洋 平田満 市原悦子
製作:「バルトの楽園」製作委員会 東映etc
脚本:古田 求
音楽:池辺 晋一郎
公開:2006/06/17
2006年/日本/134分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年7月 4日 (火) シネマの窓 | 個別ページ
2006年7月13日 (木)
ダ・ヴィンチ・コード

評判がいいのか?、宣伝が上手なのか?、人々が「ダ・ヴィンチ・コード」、「ダ・ヴィンチ・コード」と騒ぐので、朝からハーバーランドにある映画館へいそいそと出かけた。
フランス・パリにあるルーヴル美術館の館長がなぞの死を遂げたのを機に、当日館長に会うことになっていた宗教象徴学者ロバート・ラングドン(トム・ハンクス)と、館長の孫娘であり暗号解読官のソフィー・スヴー(オドレイ・トトゥ)が館長の残したダイイング・メッセージの正体に迫って行く。
行く先の果てはキリストに隠された謎・・・。
館長が残した暗号にラングトンの名前があり、彼は容疑者として警察に追われながら、ソフィーと二人して謎解きの旅を続ける。
レオナルド・ダ・ヴィンチが残した「最後の晩餐」に画かれた謎のメッセージなどを解きながら、アイザック・ニュートンの重力説などもを駆使し権威を追い詰めて行く。
定説となっている歴史観や宗教観念は時の権威により、史実を彼らの都合のいいように捻じ曲げたり、歪曲したりされながら今日に伝えられている場合が多い。そのスタンスに立って「ダ・ヴィンチ・コード」を観るとヨーロッパの歴史やキリスト教の教義に対する異説・異聞がリアリティをもって迫ってくる。
観るものを飽きさせない、テンポの速い展開と、軽快な運びが見ていて楽しい。
キリスト教文化を識るにはいいアメリカ映画だ。
余談になるが、ラストにも出てきたルーヴル美術館の玄関にあるガラスのピラミッドは、中世と現代建築のミスマッチではなかろうか。
(於いて:ハーバーランド シネモザイク シネ4 7/12日)
監督: ロン・ハワード
原作: ダン・ブラウン
出演: トム・ハンクス、オドレイ・トトゥ、ジャン・レノ、ポール・ベタニー
配給: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
公開:2006/05/20
2006年/アメリカ/150分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年7月13日 (木) シネマの窓 | 個別ページ
2006年7月25日 (火)
SAYURI

昨年の暮れに公開された作品だが、半年余り経って新開地の映画館にやってきた。
かつて、栄華を誇った新開地の映画館群も、現在3館に減ってしまい、封切館は一つもない。
「SAYURI」(The Memoirs of Geisha)は第二次世界大戦前後を生きた日本女性の物語である。
貧しい家に生まれ、幼くして置屋に売られた千代(大後寿々花)は置屋を仕切る、おかあさん(桃井かおり)に厳しい下積みを強いられる。そこで同じ境遇を生きるおカボ(工藤夕貴)や売れっ子芸者の初桃(コン・リー)と葛藤や心を通い合わせながら成長して行く。そんな折り、失意の渦中で知り合った会長(渡辺謙)に想いを寄せながら、芸者への夢を育てて行く。そして、芸者豆葉(ミシェル・ヨー)によって、千代は芸者「さゆり」(チャン・ツィイー)となって花街に君臨する。
外国人が日本を画けばこのようになるのかと想わせる、幽玄かつダイナミックな映像である。
ラスト近くのシーンを除いて、暗い夜の場景を多用している。暗闇にそこだけ華やかに照らしだされた花街の狂乱と、暗いトーンで綴られる鬱屈した人々の暮らしに、暗い時代の空気がひしひしと伝わってくる。
時代の映し方や、都(京都)の画き方に日本人として少し違和感を覚えた。
さゆりの少女時代の役、大後寿々花(オオゴスズカ、1993年8月生) の演技が光った。
(於いて:新開地 パルシネマしんこうえん 7/24日)
監督:ロブ・マーシャル
製作:スティーヴン・スピルバーグ、
ルーシー・フィッシャー 、ダグラス・ウィック
原作:アーサー・ゴールデン 『さゆり』(文春文庫刊)
脚本:ロビン・スウィコード 、ダグ・ライト
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:チャン・ツィイー(中国) 、渡辺謙、
ミシェル・ヨー(マレーシア)、
役所広司 、桃井かおり、工藤夕貴、大後寿々花、
コン・リー(中国)、
2005年/アメリカ/146分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年7月25日 (火) シネマの窓 | 個別ページ
2006年7月26日 (水)
至福のとき

公開されて4年近く経つが、時の流れを感じさせない現在性を持ったいい作品だと思う。
美しい街並みの中国、大連を舞台に失業中の中年男チャオ(チャオ・ベンシャン)と目の不自由な少女ウー・イン(ドン・ジエ)との切なくも心温まる交流をユーモアを交えながら画いている。
何度見合いをしてもうまく行かないチャオだが、やっと巡り会えた結婚のチャンスも、大金を用意しなければ結婚してもらえず、困り果てたチャオは仲間のフー(フー・ピアオ)に相談する。
その結果、空地に放置しているバスを改装しラブホテルを「経営」することになる。
見合い相手には旅館の社長だと嘘をつく羽目になり、相手には前夫の連れ子ウー・インがいる。彼女はウー・インを邪魔者扱いし、厄介払いのために少女を旅館で雇って欲しいとチャオに頼む。仕方なくウー・インをバスのところに連れて行くが、バスは撤去されてしまう。やむなくウー・インを家に連れて帰るが、そこに彼女の住む部屋はなかった。 いつの間にやら見合い相手の息子の部屋になっていた。
チャオは少女を自分のアパートに連れて行った。
少女は按摩が得意だと知ったチャオは仲間と相談して、使っていない工場に按摩室を作り、仲間たちは順に按摩をしてもらいに、少女の按摩台に上がる。終わるとチャオから預かった紙幣を少女に心づけとして渡す。
少女の夢は金を貯めて父親を探し、目を治すことである。しかし、按摩ごっこは破綻し、届いた父からの手紙も少女のことは書かれておらず、それを読むチャオに自分の箇所を読んでくれと少女は頼む。チャオは身の置き場に困る。
少女と別れたチャオは父親の手紙の続きをしたためる。その直後交通事故に会う。懐には続きの手紙をしっかりと抱いている。
その頃少女は仲間たちが与えてくれた素晴らしい「嘘」を胸に、一人仲間のもとを去る。
悲しい結末である。一生懸命生きても、頑張って働いても報われない市井の人々をシンプルに画いている。ハッピィエンドで終われないところに現代中国の影の部分の深刻さを見る。
単純な筋立てであるが、その分人間が持ち合わせているやさしさとか、悲しみが何のフィルターも通さず、ストレートに画面にあふれ出て観るものの共感を誘う、少女ウー・インは今どこでどんな暮らしをしているのだろうか、チャオは今も天国で結婚相手を探しているのだろうか、そんな想いを抱かせる作品である。
(於いて:新開地 パルシネマしんこうえん 7/24日)
監督:チャン・イーモウ
脚本:グイ・ズ
原作:モー・イエン
出演:チャオ・ベンシャン、ドン・ジエ、フー・ピアオ
公開日 2002年11月2日
2002年/中国/97分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年7月26日 (水) シネマの窓 | 個別ページ
2006年8月 2日 (水)
胡同のひまわり

胡同(フートン)とは、北京にある昔ながらの細い路地で、胡同に向けて門をつくり、その奥に家を建て、数家族が暮らしている。
その胡同も北京オリンピックを前に次々と取り壊されている。
胡同に暮らすシャンヤン(「向陽」太陽に向かうという意味で、胡同の中庭にちょうどヒマワリが咲いていたので名づけられた)が父・ガンニャン(スン・ハイイン)との「いがみあい」の日々を経て、画家として成長して行く過程を、三つの時代に分けて画いている。
1967年、文化大革命がはじまってまもなく生まれたシャンヤンは、1976年文化大革命が終わった9歳のとき、6年間強制労働で胡同を離れていた父・ガンニャンが突然帰ってくる。
連行によって画家の夢を絶たれた父は、強制労働の影響で筆を握ることもおぼつかなくなってしまっていた。
ガンニャンは叶わなかった画家への夢を息子・シャンヤンに託し、絵の学習のみならず生活全般にわたり、干渉ともとれる厳しい態度で息子に接する。そんな父親に全力で抵抗を繰り返すシャンヤン。
二人のせめぎあいにいつも割って入っては息子をかばう母親・シウチン(ジョアン・チェン)、葛藤の日々を経ながら息子・シャンヤンは成長して行く。
1976年・9歳、1987年・20歳、1999年・30歳代の三つの時代に焦点をあて、成長の過程にあわせて三人のキャストが息子・シャンヤンを演じている。
自らの意思ではなく、文化大革命という外力によって「志(こころざし)」を奪われたガンニャンの無念を、あたりの空気を包み込むような、やわらかいピアノの旋律に乗せて、抑制のきいたスン・ハイインの演技とともに、壊されて行く胡同の風景の中に映し出している。
(於いて:ハーバーランド シネカノン神戸 cinema 2 8/01日)
監督・脚本:チャン・ヤン
撮影:ジョン・リン
音楽:リン・ハイ
出演:ジョアン・チェン、スン・ハイイン
配給:東芝エンタテインメント
2005年/中国/132分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年8月 2日 (水) シネマの窓 | 個別ページ
2006年8月12日 (土)
日本沈没

プレートの歪が地殻変動を呼び、日本列島が海底に沈む。
四国から紀伊半島にかけての中央構造帯が裂け、その南側から崩れ始め、最後に冨士山の大爆発によって日本は消滅する、そして、それは1年後にやってくる。
この科学者の訴えに耳を貸そうとしない俗科学者ども、右往左往する政界のやから、そんななか全国民を巻き込んだ地の底の変動が日本列島のあちこちに襲い掛かってくる。
30数年前小松左京によって書かれたベストセラー小説の再映画化である。当時に比べて社会と自然の状況は大きく変わった。
この間、阪神・淡路大震災を経験した。また、地球の温暖化をはじめ人間の住環境が著しく悪化した。
近い将来必ずやってくると言われている、東海、東南海、南海地震に我々は怯えている。
空想的読物の感が強かった30年前と違って、現実味を帯びた映像が次々に襲い掛かってくる。
極限状況下の人間のありようを、襲い来る危機の中にちりばめて画き、人々の品性を際立たせている。
人々のために身を犠牲にしようとする人がいる反面、沈み行く日本から一刻も早く逃げようともがく閣僚もいる。
「日本沈没」の最終局面で、日本国民を見捨てるアメリカ政府など、日米関係の本質を画くことも忘れていない。
(於いて:三宮センタープラザ OS・シネフェニックス cinema 2 8/11日)
・スタッフ
監督:樋口真嗣
原作:小松左京
脚本:加藤正人
特技監督:神谷誠
・出演
草なぎ剛/柴咲コウ/豊川悦司/大地真央/福田麻由子/
及川光博/國村隼/柄本明/石坂浩二
・製作:「日本沈没」製作委員会
・開: 2006年7月15日
・給: 東宝
・2006年/日本/135分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年8月12日 (土) シネマの窓 | 個別ページ
2006年8月24日 (木)
父と暮せば

今年4月に亡くなった黒木和雄監督の作品、「父と暮せば」が神戸・ハーバーランドの映画館で<追悼、黒木和雄監督特集〜遺作『紙屋悦子の青春』への軌跡>の一環として上映されている。そんな折、24日午後8時からNHK衛星第2放送で同映画を観る機会を得た。
黒木監督が執念を燃やした「戦争レクイエム三部作」の完結編である。前二作、「TOMORROW 明日」(1988年)、「美しい夏 キリシマ」(2002年)、
は上記映画館で過日上映されていたが、観る機会を逸した。
静かな反戦映画である。
太平洋戦争が終わり数年が経った。広島の図書館で働く美津江(宮沢りえ)は父親や友人を原爆によって亡くした。 たった一人の肉親を失い、自分だけが生きていることに後悔の念を抱きながら、ヒロシマの夏を生きている。
そこへ木下(浅野忠信)が原爆の資料を求めて図書館にやってくる。二人はお互いに好意を抱くようになるが、美津江は亡くなった人たちを差し置いて自分の幸せを考えることができないと、木下の愛を受け入れることができない。
そんな美津江のもとに亡くなった父親・竹造(原田芳雄)が現れ、娘の恋の後押しをする。
全編にみなぎる父・竹造と娘・美津江の穏やかな対話が原爆投下の実態をつまびらかにして行き、戦争を語らず戦争を告発している。戦争さえなければ、ここでこうして親子が語らい、好きな人とも結ばれたであろう、そんなささやかな夢までも奪ってしまった戦争への憎しみを、亡き父と今在る娘の交流を通して描いている。
父と娘を同じ目の高さに据えて抑制を効かせ、命の重み生き残った者のつらさを訴えている。
・原作:井上ひさし「父と暮せば」(新潮社刊)
・監督:黒木和雄
・音楽:松村禎三
・出演:宮沢りえ/原田芳雄/浅野忠信
・2004年/日本/35mm/ビスタサイズ/99分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年8月24日 (木) シネマの窓 | 個別ページ
2006年8月26日 (土)
夜よ、こんにちは

1978年にイタリアで実際に起きた事件をイタリア映画界の巨匠マルコ・ベロッキオが映像化したものである。
キリスト教民主党の党首で元首相のアルド・モロ(ロベルト・ヘルリツカ)を誘拐した極左組織「赤い旅団」は、モロをアパートに監禁し政府やローマ法王と取引を繰り返しながら、最後にモロを暗殺するまでの55日間を、アパートの中で活動する「赤い旅団」グループの女性キアラ(マヤ・サンサ)に焦点をあて、彼女の心の揺れと、失業者が増大するイタリアの負の部分を、薄暗いアパートの中に射し込む斜光の中に照らし出している。
誘拐、挙げ句の果てに殺害を犯す暗殺集団を、残忍で非人間的な行為として描くのではなく、彼らをして人間性を回復する再生への希望として捉えようとしている。
その希望につながるものとして、第二次世界大戦中ファシストと闘ったイタリアパルチザンの精神を讃え、その継承を訴えており、テロに走る集団をいましめている。
キアラを演じるマヤ・サンサが暗殺の不毛を訴える表情、そして終始瞳に宿す緊迫感が印象的だ。
モロと暗殺集団のリーダーであるマリアーノ(ルイジ・ロ・カーショ)が社会の捉え方を議論する場面に、若者の性急さと成熟した人間の視線が交錯し、当時の時代状況がリアルにかもし出されている。
当時、元イタリア首相でキリスト教民主党の党首であったモロはイタリア共産党と「歴史的妥協」を行い、共産党を含む連立政権へ道を開く。
イタリア共産党は体制内の改革を唱えるユーロコミュニズムの一翼を担い、「現実」路線を歩んでおり、彼らを修正主義、日和見とみなす「赤い旅団」にとって、共産党は「労働者階級の敵」であり、反動勢力である右派からイタリア共産党までを束ねるモロを、腐敗するイタリア社会の象徴として、また労働者階級の敵として犯行に及んだのであろう。
イタリアの国家権力はモロ暗殺の後、「テロリズム」を口実として労働運動の弾圧を強化し、支配の「安定」を回復する。
(於いて:新開地アートビレッジセンター)
・監督・脚本:マルコ・ベロッキオ
・出演:マヤ・サンサ/ルイジ・ロ・カーショ/ロベルト・ヘルリツカ
・原題:Buongiorno, Notte 英題:Good Morning, Night
・配給:ビターズ・エンド
・公開日:2006年4月29日 全国順次公開
・2003年/イタリア/105分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年8月26日 (土) シネマの窓 | 個別ページ
2006年9月 2日 (土)
狩人と犬、最後の旅

カナダのロッキー山脈に生きる狩人の暮らしをドキュメンタリータッチで画いている。
北極圏のユーコンで狩猟を生業とする、ノーマン・ウィンター(本人)たちの生活を四季折々の美しい風景の中に、冒険家であるニコラス・ヴァニエ監督が見事に刻み込んでいる。
夏は馬やカヌーを使い、冬は犬ぞりを交通手段とし、本人たちの力でログハウスを造る。必要なだけ自然界に棲息する生き物を分けてもらい、本人が言うピュアでシンプルな生活を、彼の妻・ネブラスカ(メイ・ルー)や7匹の犬たちとの語らいや交流を通して映しだしている。
ニコラス・ヴァニエ監督が1999年にカナダの北極圏を犬ぞリで横断しているとき、ノーマン・ウィンターと知り合い、その後彼に出演交渉を行い、北極圏最後の狩人(原題『The
Last Trapper』)と言われるノーマン・ウインターを映像の世界に登場させ、ユーコンの四季の中にウィンターたちの生きざまを記録している。
厳しくも荘厳で美しい自然の中を、犬ぞりで果敢に挑むウインターの姿に苦難に立ち向かう人間の強さを見る。
開発により壊され行く環境のもと、狩をする環境もだんだん狭められて行き、身を引く決心をしたウインターは最後の旅に出る。それは自然を護ろうとする決意と再生を期した、希望への旅でもある。
ニコラス・ヴァニエ監督は映像に込めた意味を「自然や動物を賛美するだけの映画を撮りたかったのでなく、人間と自然との調和を撮りたかった」と語っており、自然に敵対するのではなく、自然と一体化し、その懐に抱かれ自然と共生する、文明社会に暮らす人間の生き方を示唆している。
(於いて:ハーバーランド シネカノン神戸 cinema 2 9/01日)
・監督:ニコラス・ヴァニエ
・出演:ノーマン・ウィンター/メイ・ルー/アレックス・ヴァン・ビビエ
・配給:ギャガ・コミュニケーションズGシネマグループ
・原題:The Last Trapper(Le Dernier Trappeur)
・公開日:2006年8月12日
・ 2004年/フランス・カナダ・ドイツ・スイス・イタリア合作/101分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年9月 2日 (土) シネマの窓 | 個別ページ