シネマの窓(02/12)

カテゴリ「シネマの窓」の記事

2006年5月12日 (金)
私の頭の中の消しゴム

 若くしてアルツファイマーの病魔に冒された若い女性が、刻々消えてゆく記憶の恐怖と闘いながら、最愛の人への思いを繋ぎ止めようとして、必死に生きてゆくものがたりである。

 物忘れの激しいスジン(ソン・イェジン)はコンビにで買ったコーラと財布を店のレジに忘れる。思い出し店に戻ると、置き忘れたコーラを飲んでいるチョルス(チョン・ウソン)に出会う。てっきり盗まれたと思ったスジンはコーラを奪い、それを飲み干し立ち去る。今度は財布を忘れたことに気づき、再び店に戻る。スジンは自分の勘違いに気づいたが男は居なかった。

 その後、二人はスジンの勤めている会社で再び出会う。会社の帰りスジンは引ったくりに遭い、チョルスに助けられる。そして恋がはじまり、スジンはチョルスにプロポーズする。

 母親との葛藤を経て、そのしこりを引きずりながら暗く生きるチョルスと、過去の失恋を断ち切って明るくけなげに生きるスジンの二本の軌跡が、ひとつになってゆく過程が無理なく画かれている。その過程はスジンの記憶が一つひとつ消えてゆく過酷な道ゆきでもある。

 二人の愛も明日も消えてゆく、一緒に居る意味がないと言って、スジンはチョルスのもとを去る。チョルスはスジンを追って車を走らす。

 過去も明日も消えゆく運命に対して、いま現在を大切に生きることが、過去や明日を生かすことになる、明日を生きるために今日を生き延びるのではなく、明日を否定することによって今日を生きれる、そんな生き方もある。
 「頭の中の消しゴム」は誰もが持っている。

(於いて:神戸文化ホール 中ホール 5/11日)
(スタッフ)
監督・脚本:イ・ジェハン
製作:チャ・スンジェ
(キャスト)
チェ・チョルス ・・・ チョン・ウソン
キム・スジン ・・・ ソン・イェジン
2004年/韓国/117分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年5月12日 (金) シネマの窓 | 個別ページ


2006年5月18日 (木)
ナイロビの蜂

  イギリス外務省の一等書記官ジャスティン(レイフ・ファインズ)は大使の代理として演壇に立った。そこに出席していたテッサ(レイチェル・ワイズ)はイラク戦争を批判し、ジャステンに矢継ぎ早の質問を浴びせる。テッサの荒々しい語気に会場から一人、二人と去って行く。テッサは打てども響かぬ虚しさに落胆の色を隠そうとしない。ジャスティンはテッサを優しく励ます。これが二人の出会いであった。

 ケニアに赴任するジャスティンのもとにテッサがやってくる、「アフリカへ連れて行って」それがテッサのプロポーズであった。

 ナイロビの空港から旅立つテッサを見送るジャスティン、「じゃあ、二日後に」これが最後の言葉になった。
 テッサの訃報に接したジャスティンは失意の底に沈む。

 テッサは大手製薬会社の新薬開発に、アフリカの貧しい人々がその実験台に使われていることを知り、また新薬には問題のあることをレポートにし、その国の政府に報告した後、殺されたことが判明する。

 警察は単なる事件として扱おうとしたが、テッサの死に疑問を持ったジャスティンは死の真相に立ち向かって行く、それはテッサへの愛を確認して行く旅でもある。

 貧しいアフリカの地に生きる人々の側に立って活動する女性と、心優しい外交官のラブストーリーを超えた社会性のある骨太さを感じる。大手製薬会社の企業論理「儲け」のために、「アフリカの安い命」を犠牲に肥え太る巨悪、その巨悪と癒着する官僚の存在、巨悪に迫る心意気に拍手を送りたい。

(於いて:109シネマズHAT神戸 No.7、5/18日)
キャスト
ジャスティン・クエイル:レイフ・ファインズ
テッサ・クエイル   :レイチェル・ワイズ
スタッフ
監督:フェルナンド・メイレレス
原作:ジョン・ル・カレ
2005年/イギリス/128分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年5月18日 (木) シネマの窓 | 個別ページ


2006年5月19日 (金)
明日の記憶

 ある日不意にやってくる記憶の破壊に人はどのように対処し、乗り越えて行くのか、アルツファイマーに襲われた中年男とその妻が、その後の人生をどのように処して行くのか、我々一人ひとりに投げかけられた問題として、重く心にのしかかってくる。

 広告代理店で働く佐伯(渡辺謙)はごくありふれた勤め人の暮らしを送っていた。その彼が五十を前にして物忘れが激しくなる。人の名前がすぐでなかったり、約束した日にちを忘れたり、誰もが経験する度忘れが日常的になり、激しさを増して行く。
 そんなある日佐伯は妻、枝実子(樋口可南子)に伴われ病院の門をたたく、若年性アルツハイマーと診断される。
 時間の経過とともに確実に病状は進む。見慣れたはずの街の風景がはじめて見る風景に変わる。職場を追われ、身を粉にして働いて得たマイホームで「幽閉」の生活を余儀なくされる。社会生活を絶たれ、消え行く恐怖との闘いの日々が続く。

 消え行く記憶のはざまに佇む枝実子は、佐伯の生(せい)を共有し、その日まで佐伯の傍らに生きることを覚悟する。
 夫の病気を受け入れ、気負うことなく前向きに生きる枝実子の楚楚とした生きざまがまばゆい。

(於いて:109シネマズHAT神戸 No.5  5/18日)
監督: 堤幸彦
出演: 渡辺謙 樋口可南子
  吹石一恵 及川光博 香川照之 渡辺えり子 大滝秀治
製作:「明日の記憶」製作委員会
原作:荻原浩「光文社刊」
脚本:砂本量 三浦有為子
公開情報: 東映
公開:2006/05/13
2005年/日本/122分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年5月19日 (金) シネマの窓 | 個別ページ


2006年5月29日 (月)
神戸に映画がやってきた

  先日、ミナトに入港したクルーズ船を観に行ったついでに、メリケンパークを散策した。
メリケンパークは中突堤とメリケン波止場の間を埋め立てて、公園として1987年(昭和62年)に生まれ変わった比較的新しい憩いの場である。公園の先端近くに「メリケン シアター」と書かれた碑が座っている。その下に「外国映画上陸第一歩」としるされている。「メリケン シアター」とは碑の近くにある、大きな石を四角に切り取って、そこをスクリーンに見立て、写る景色を楽しむ空間をさしている。
 「外国映画上陸第一歩」はこの地に日本で最初に映画が上陸したことを意味している。

 1896年(明治29年)の11月神戸花隈にある「神港倶楽部」で日本最初の映画が有料で公開された。そこは今で言えば、JR元町駅とJR神戸駅の中ほど山側にある花隈公園の東側の坂道を少し登ったところにある。現在、川崎重工業健康保険組合の建物がある場所である。当時上映した映画はエジソンが造ったキネトスコープと呼ばれるもので木の箱の中で輪になったフィルムを回し、観客は一人ずつその中を覗くというものであった。

 一方、京都を映画発祥の地とする説もある。それはシネマトグラフと呼ばれ、フランスのリュミエール兄弟によって発明されたスクリーンに映し出される映像を、京都の貿易会社の役員が四条河原町で公開した1897年(明治30年)2月のことをさして言っている。
 神戸でスクリーンに映し出される映画が公開されたのは、京都より2ヶ月あとの1897年(明治30年)4月、のちに新開地に移った相生町の相生座が初めてある。したがって、現在の映画の原型が上映された京都が映画発祥の地といえなくもない。

 その後、神戸は新開地を中心に常設映画館が次々に興行を打ち、同時にその波が全国に拡がって行く。
 京都では映像製作の現場として、営々と作品を造り続け、全国津々浦々に映像を送り届けてきた。

 ちなみに、12月1日を「映画の日」としているが、これは神戸で映画がはじめて公開された日にち、11月25日から12月1日までの、きりのいい日12月1日をとって、1956年に「映画の日」と定めたらしい。

 映画が神戸の地に上陸してから110年、絶えることなく映像をスクリーンに宿してきたこの地で、封切、再映を問わずさまざまな映画を観れる幸運に感謝している。

投稿者 愉悠舎 日時 2006年5月29日 (月) シネマの窓 | 個別ページ


2006年5月31日 (水)
かもめ食堂

  ヘルシンキで食堂を経営するサチエ(小林聡美)は、おにぎりをメインにしたメニューで店を切り盛りしようとするが客は来ない。最初にやって来た日本おたくのフィンランド青年トンミ(ヤルッコ・ニエミ)が常連の客になる。
 ある日サチエは、地図を広げて、えいやあ〜、と行く先を決めてフィンランドにやって来たミドリ(片桐はいり)に出会う、そしてミドリはサチエの店を手伝うようになる。
 日本からフィンランドにやって来たものの、手荷物が空港に着かなくて、着くかどうか分からない荷物を辛抱強く待っているマサコ(もたいまさこ)も店を手伝うようになる。

 客が来ないのを嘆くでもなく、客寄せのためにあれこれ策を講じるわけでもなく、あわてずさわがず毎日が静かに淡々と過ぎて行く。
 スローな時間をおおらかで純朴なフィンランドの人々の中で時間を重ねて行く「かもめ食堂(ruokala lokki)」とそこに働く日本の女性、それぞれがそれぞれを認め合い、それぞれの感覚で暮らしを楽しんでいる。

 日本からフィンランドにやって来た三人の女性の、フィンランドを目指した動機は違っても、みんな自然体である。
異国の地で暮らすのもよし、海外を旅するのもよし、地球をわがフィールドと捉え、一日一日を紡いで行く現代日本女性のしなやかな側面を、何気ないヘルシンキの日常に同化させて見事だ。

 癒しを求めて日本の外に足を向ける人たちが増えている。
 もはや日本は人の住む場所でなくなったのか。

(於いて:ハーバーランド シネカノン神戸 cinema 1  5/30日)
監督: 荻上直子
出演: 小林聡美 、片桐はいり 、もたいまさこ、
     ヤルッコ・ニエミ、マルック・ペルトラ
原作: 群ようこ  
脚本: 荻上直子
音楽: 近藤達郎
公開: 2006/03/11
2005年/日本/102分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年5月31日 (水) シネマの窓 | 個別ページ


2006年6月 6日 (火)
DAISY(デイジー)

  ゴッホに憧れ、ゴッホの国オランダで暮らす韓国女性ヘヨン(チョン・ジヒョン)にいつも贈り主の分からぬデイジーの花が届く。
 ヘヨンは今日も似顔絵描きであふれるアムステルダム市内の広場で客を待っている。そこにデイジーの花をもったジョンウ(イ・ソンジェ)が現れ、似顔絵をヘヨンに依頼する。ジョンウは韓国から派遣され、麻薬のルートを追う刑事であった。
 ヘヨンはジョンウがいつもデイジーの花を贈ってくれる相手だと思い込んでしまう。
 そして、花にまつわる過日の心温まる出来ごとの相手もジョンウだと信じ、彼に心を寄せるようになる。
 しかし、デイジーの贈り主は別の人物である。アムステルダムに暗躍するヒットマン(殺し屋)パク・ウィ(チョン・ウソン)は、世を忍ぶ身ゆえにヘヨンの前に姿を現すことができず、そっとヘヨンにデイジーを届け続けていた。

 殺し屋と刑事という両極の男性が、絵を描く女性ヘヨンをめぐって繰り広げる愛の葛藤と行き違いを、ゆるやかなテンポで画いている。

 登場人物の心の襞をそれぞれの目線に立って丁寧にきちんと画き切ろうとする姿勢がスクリーンににじみ出ている。

 はじめと終りに出てくるヘヨンが雨に濡れるシーンに、遥か故国を離れ、異郷に暮らす人の切ない想いが惻惻と胸に迫る。
 降ってはやみ、止んでは降るアムステルダムの空、中世ヨーロッパの街並みの続くアムステルダム、この街にもっとも似合う女性は黒い瞳に黒髪の東洋の女性かもしれない。

(於いて:109シネマズHAT神戸 No.1  6/06日)
スタッフ
監督:アンドリュー・ラウ
脚本:クァク・ジェヨン
音楽:梅林 茂
キャスト
出演:チョン・ウソン、チョン・ジヒョン、イ・ソンジェ
2006年/韓国 /125分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年6月 6日 (火) シネマの窓 | 個別ページ


2006年6月10日 (土)
雪に願うこと

 ばんえい競馬は旭川、岩見沢、北見と廻り、もっとも寒さの厳しい時期、帯広に腰を据える。
 競馬場の厩舎を仕切る矢崎威夫(たけお)のもとに弟・学(まなぶ)が転がりこんでくる。学は東京で事業に失敗、全てをなくし帯広に逃げ帰ってきた。故郷を捨て親を捨てた学に反感を持ちながらも、行くあてのない学に厩舎の仕事を与える。
 学は馬刺しにされる運命が待っている一頭の馬に心を寄せる。瀬戸際の馬「うんりゅう」の再生に自らをかける。

 凍てつく寒さをついて、競走馬をトレーニングする人馬の吐く息と、馬体からかもし出される水蒸気が、北の大地にただよい感動的である。

 競走馬とジョッキーは坂を越えようとして必死に脚を踏ん張る。止まっては一歩脚を踏みだし、踏みだしてはあとずさりする。それでも坂を越えようとする。切ないまでの一途さに思わず力が入る。

 東京でスマートな「金儲け」に失敗した弟と、苦しい経営の中、北の大地にしっかりと根をはり、多くの仲間たちと額に汗して働く兄を中心に春を待つ人々の哀歓を白い大地に画き、働くことの意味、生きることの意味を問うている。

(於いて:ハーバーランド シネカノン神戸 cinema 2  6/08日)
監督: 根岸吉太郎
出演: 伊勢谷友介、佐藤浩市、吹石一恵、小泉今日子、
    草笛光子、山崎努、椎名桔平
原作: 鳴海章「輓馬」(文藝春秋社刊)  
公開: 2006/05/20
2005年/日本/112分

ばんえい競馬
世界にたったひとつしかない北海道の文化遺産。明治の終わり頃、北海道開拓に活躍した農耕馬を使って農民たちが楽しんでいたお祭りがルーツ。騎手は馬に乗るのではなく、ソリに乗り、馬はそのソリを曳く。平地競馬では鼻先でゴールが決まるが、ばんえい競馬のゴールは鼻先でなくソリの最後端が通過するとき。ばんえい競馬が「荷物を運びきる」ことを目的にした競技であることから来ているルールである。馬体がゴールを過ぎていても、馬が止まってしまえば逆転も可能。本当に最後まで目が離せない競馬なのである。(映画「雪に願うこと」ホームページより)
投稿者 愉悠舎 日時 2006年6月10日 (土) シネマの窓 | 個別ページ


2006年6月11日 (日)
「バルトの楽園」のロケ地へ

  淡路のわが舎から車で一時間、神戸淡路鳴門自動車道から高松自動車道に入り板野インターで降り、来た方向に少し戻ると映画「バルトの楽園」に使用したセットを一般公開している。
1万�の土地に3億円をかけて製作したもので、2年間の開村を予定している。ロケ村の運営は徳島県大麻町商工会が行っている。

 このロケ村から高松自動車道の方に戻ると「ドイツ館」がある。
 ドイツ館は当館の説明によると「ドイツ兵俘虜と地域の人々との交流を顕彰するため、1972年(昭和47年)元俘虜たちから寄贈された資料を中心に建設され、築後20年を経て施設の老朽化や収集資料の増加により手狭になり、1993年(平成5年)新ドイツ館の建設が計画され、同年10月に現在の地に新築移転した」とのことである。ここに来るとロケ村にあった俘虜収容所の当時の様子がよく分かる。

 第一次世界大戦中の1914年(大正3年)、日本はドイツの租借地であった青島から約4700人のドイツ人俘虜を日本に連れ帰り、全国各地の俘虜収容所に送り込んだ。
 1917年(大正6年)、徳島、丸亀及び松山にいた俘虜1000人が大麻町(当時の板東町)に集められ3年近くこの地で過ごした。
 ドイツ人は俘虜収容所内に各種の施設を80軒あまり造った。先ほど見たロケ村にセットとして建てられていたもので記憶にあるものだけでも、印刷所、郵便局、酒場、パン工房、音楽堂などがある。これらの施設を使ってスポーツや芸術活動に日夜励み、所内のオーケストラ楽団により日本で最初に「第九」を演奏したのがここの収容所らしい。
 ドイツ人俘虜たちは板東俘虜収容所でかなり自由な生活を送っていたことがわかる。
 それは当時の日本の事情に依るところが多きのではなかろうか。欧米列強に伍するべく、富国強兵を唱え、それに向かって邁進する国にとって、たとえ俘虜であっても丁重にもてなすことが国の品格と威信を高めることになるという思惑も働いていたであろう、国際法を遵守しただけでは計れない、ドイツ人俘虜たちの生活と活動が「ドイツ館」のそこここに垣間見ることができる。

投稿者 愉悠舎 日時 2006年6月11日 (日) シネマの窓 | 個別ページ


2006年6月12日 (月)
グッドナイト&グッドラック

  アメリカにおける「赤狩り」、マッカーシズムと闘ったCBSのニュース・キャスター、エド・マロー(デヴィッド・ストラザーン)たちの6ヶ月にわたる奮闘の日々を事実に基づいて画いている。
 1950年アメリカ共和党の上院議員ジョセフ・レイモンド・マッカーシーが行った演説をきっかけとして、全米に反共の思想弾圧の嵐が吹きまくる。多くの公務員や文化人そしてハリウッドの映画人などが追放された。共産党員とその同調者、あるいはその嫌疑をかけられた者まで、次々とその身分を剥奪され、地位を追われた。
 マスメディアは「赤狩り」をセンセーショナルに煽り、「アカ」の恐怖を喧伝した。
 1953年の末、テレビの世界にも「赤狩り」の影が忍び寄る中、マローはデトロイトの新聞に載った記事に注目した。家族が共産党員であるという疑いををかけられ、除隊処分寸前の空軍兵士を、番組で取り上げることにした。
 マローとその仲間たちは敢然とマッカーシズムに立ち向かってゆく。

 場面のほとんどがテレビ局の中で、加えてモノトーンの映像が、押し込められた当時の世相を浮き出させている。

 映画のタイトルに使った「グッドナイト&グッドラック」はマローがキャスターとして進行を勤め、マッカーシズムを追求した報道番組「シー・イット・ナウ」の最後にいつも使った言葉である。 

 テレビの放映後、「赤狩り」への支持は急速に落ち、マッカーシズムは下火に向かった。

 ジャーナリストの本分は「批評精神」の堅持であろう。それはものごとの本質に迫り、事実に真摯な態度を貫くことである。ジャーナリズムの精神を全うしたマローたちを現代に映して妙である。

(於いて:ハーバーランド シネカノン神戸 cinema 2  6/08日)
原題:Good Night, and Good Luck.
監督:ジョージ・クルーニー
脚本:ジョージ・クルーニー、グラント・ヘスロブ
撮影:ロバート・エルスウィット
出演:デビッド・ストラザーン、ジョージ・クルーニー、
   ロバート・ダウニー・Jr.、パトリシア・クラークソン
配給:東北新社
日本語字幕:佐藤恵子 / 字幕監修:田草川弘
日本公開: 2006/04/29
2005年/アメリカ/93分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年6月12日 (月) シネマの窓 | 個別ページ


2006年6月16日 (金)
花よりもなほ

 ときは江戸時代中期の元禄、親の仇を討つために信州から江戸へやって来た青木宗左衛門(岡田准一)は、安普請の朽ちた長屋に、親元からの仕送りを受けながら、仇である金沢十兵衛(浅野忠信)を捜す日々を送る。
 長屋に暮らすその日その日を食いつなぐのに懸命な、それでいて陽気で楽天的な多くの住人が、宗左衛門に関わりあうようになる。宗左衛門はそれらの住人と暮らすうちに、仇討ちの無意味さを自覚するようになる。
世は「生類憐れみの令」に代表されるように、人間の命はより軽んじられて行く。
赤穂の浪人の手によって、主君の仇を討つか討たぬかが、ちまたの一大関心ごとになる。ここ長屋にも赤穂の浪人が世を忍んでいる。

 犬の肉を食事に供してお上を笑い飛ばす、長屋住人のふてぶてしさ。
 吉良への討ち入りを赤穂の浪人をして、寝込みを襲う卑怯な行為、と言わせ武士の大儀の安っぽさを強調する。
 いくさが無くなり、武士の権威が低下し、仇討ちに活路を見出そうとするお上、それさえも武士の内部から崩れて行く。

 生活に追われながらも落ち込まない最下層のバイタリティを武士の大儀をも失せて行く「太平の世」元禄にぶつけ、ブラックユーモア的な画き方で現代に挑んでいる。

 仇討ちが仇討ちを呼び、復讐が復讐を繰り返す。際限のない報復の繰り返しによって残るのは憎しみだけである。復讐の無意味さを現代にトレースしている。

(於いて:三宮 神戸国際松竹 スクリーン1  6/15日)
監督: 是枝裕和
出演: 岡田准一 、宮沢りえ 、古田新太 、浅野忠信 、
    香川照之
脚本: 是枝裕和
音楽: タブラトゥーラ
公開: 2006/06/03
2006年/日本/127分
投稿者 愉悠舎 日時 2006年6月16日 (金) シネマの窓 | 個別ページ