淡路の木漏れ日 3
黒岩水仙郷

船山馨の小説「お登勢」のふるさとは淡路島の南、紀淡海峡を望むここ灘の黒岩である。幕末から明治にかけて動乱の時代をけなげに生きた淡路女の物語である。
幕末、歴史の胎動を聞きながら淡路の地に生き明治の時代、薩長の藩閥政府によって北海道の静内に追いやられるまでの半生を、札幌出身の船山馨が描いている。
物語の後半「庚午事変」(こうごじへん)が発生する。阿波藩からの独立を求めて、蜂須賀家の洲本城代家老の稲田家臣が分藩運動を起こしたもので、そのため淡路島は徳島から切り離され、兵庫県に組み込まれてしまった。
水仙の咲く丘陵に立って波音に耳をすませば、お登勢の生きた時代の波動が聴こえてくる。
水仙郷の入口に次のような看板があった。
国立公園 灘黒岩水仙郷
灘黒岩水仙郷は、今から約180年前に付近の漁民が海岸に漂着した球根を山に植えたのがだんだん繁殖して、ここ淡路島の南部に位置する標高608mの論鶴羽山の海に続く45度の急斜面一帯、約7ヘクタールにわたって500万本もの野生の水仙が咲き乱れます。レモンイエローの水仙がコバルトブルーの海の色に映え、まばゆいばかりの光景が広がります。(南あわじ市)
投稿者 愉悠舎 日時 2007年1月16日 (火) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
淡路島・中田のハシゴ獅子

散り始めたサクラの花びらが舞うなか、知人の案内で淡路市中田にある「伊勢の森神社」の春祭りを見せてもらった。
神社に着いたとき、3台のダンジリと多くの観衆が見守るなか、太鼓の拍子に合わせた獅子舞の奉納がはじまるところだった。
奉納のあと、場所を境内下の谷間に移し、ハシゴと谷間に渡された綱による曲芸が披露された。
高さ10メートルのハシゴとハシゴから谷を隔てた支柱のあいだを結ぶ60メートルの綱を使い、命綱を使わず数々の演技が行われた。音楽に乗って佐渡の「相川音頭」や「阿波踊り」などの踊りや、ハシゴでの逆立ちが披露されたあと、餅まきが行われた。
最後に、本日のメインエベントであるサルを従えた獅子の綱渡りが、固唾を呑んで見守る観衆の頭上で披露され、獅子がタテガミを起こす場面で祭りはクライマックスに達した。
祭りは享保年間、牛や馬に疫病が流行ったため、疫病封じに獅子舞を奉納したのが始まりだといわれており、約240年の歴史を誇る伝統芸能で、無形文化財に指定されている。
中田には10の地区があり、輪番で祭りの主催を行い、今年は「伊勢神社春季例祭中島祭礼団」の垂れ幕がハシゴにかかっていたので、中島地区の受け持ちなのだろう。
10年に一度まわってくるこの行事に、淡路島の中田に生まれた男は若者に成長したとき、この危険きわまりない行事にいやおうなく参加しなければならない宿命を負わされる。
祭りに参加することで、人前に出ても臆さない度胸と、何ごとにも躊躇しない勇気を培われるのであろう。
祭りを見ていると、淡路島に生きる人々の気概と誇りが視えてくる。
祭りは毎年4月の第二日曜日に行われ、雨天や風の強い日は延期でなく中止となる。
伊勢の森神社は津名港から淡路交通バス西浦岩屋行きのバスに乗り中田で下車したのち、雑木林のあいだを歩いて20分のところにある。
投稿者 愉悠舎 日時 2007年4月 9日 (月) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
桜去り、新緑の候

前方の山一面に咲き誇っていた山桜もこの一週間で花を落とし、すっかり色を変えてしまった。
2007年4月14日土曜日の午後5時過ぎ、西に傾いた陽がデッキ横に生きるウバメガシの新芽を撫でて、回廊の手摺に跳ね返った。
ニセアカシアもクヌギも今年の葉をまといだした。
紀淡海峡から南淡路の山なみも新しい季節の到来を心待ちにしている。
季節に埋もれていた生きとし生ける全ての生き物がまもなく活動をはじめる。
淡路にも萌える季節がやってきた。
投稿者 愉悠舎 日時 2007年4月14日 (土) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
百花繚乱

「隣の芝生は青い」とは限らない、永年放置された芝生は雑草よりも醜かった。
その芝生が昨年取り払われた。
隣家のオーナーとなったSさんが庭の模様替えをしたのだ。
昨日、Sさんに邸内を案内してもらった。
愉悠舎の隣に建つ洋風の家は、愉悠舎よりもさらに海に近い場所に建っている。
部屋の中のソファーに座ると、家が海上に浮かんでいるような錯覚にとらわれる。
大阪湾を行き交う船がいつもより多く感じられたのは気のせいであろうか。
今朝、SSさんの庭をゆっくり鑑賞した。
芝生のあとに色とりどりの花たちが、五月の空に向かって咲き乱れている。
SSさんの許可を得てシャッターを切った。
投稿者 愉悠舎 日時 2007年5月13日 (日) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
秋の里山と海

少し肌寒くなった。
ここから見る限り稲田は少ない。淡路のコシヒカリは腰があって私の舌にあっている。
点在する稲田が刈り入れを待っている。
友が島近くの海では、漁に勤しむ漁船が群を成して少しずつ北へ南へ移動している。
淡路の秋はちょっぴりもの悲しい。
投稿者 愉悠舎 日時 2007年10月14日 (日) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
冬と春のはざま

3月31日、朝の10時に撮った。
春になると、海と陸地や山の稜線がはっきりとしない、春霞とでも言おうかボンヤリとした風景がこの場所にやってくる。
このような比較的目鼻立ちのハッキリとした風景もしばらく見られないだろう。
冬の終わりを告げる雲が紀淡海峡に下りた。
投稿者 愉悠舎 日時 2008年4月 3日 (木) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
海平族の花見

昨日、わが郷の「花見会」が郷内で行われた。咲き誇る桜の樹の下に海平族が持ち寄った色とりどりの馳走がテーブルを飾った。みんな食べて呑むことに夢中で、花をめでる人などいない。
花見といえば仕事を終えた夕暮れから、飲み物と食べ物を仕入れ、花冷えの桜の下で、夜間照明に照らし出されたソメイヨシノの散るさまを眺めながら呑む、勤め人のどことなくわびしい「花見会」しか思い出さない。
うららかな平日の昼間、豪華な食べ物を食しながら酒宴に浸っていると、どことなく後ろめたい気持ちに駆られるのは、まだ勤め人の悲しいサガが抜けないでいるのだろう。
ここ数日わが郷は「桜の園」と化す。郷内のいたるところ、こぼれるようなさくら花に包まれる。
投稿者 愉悠舎 日時 2008年4月 5日 (土) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
山桜と桃の花

わが郷の街道がサクラに染まる頃、もう一つのサクラも開花した。
まだ緑薄い山に、白や淡紅色の山桜が小高い雑木林を埋める。
山桜はこの地で、ソメイヨシノと前後して咲いていたように思うが、今年はほぼ同時に開花した。花とともに芽も同時に顔を出し、その芽の色も単色でなくさまざまな色を花の間に浮かび上がらせ、山桜独特の景観を呈している。
咲き誇るサクラの陰で、わが庭の桃が花を付けた。淡いピンクのサクラと濃いピンクの桃の花が、愉悠舎の周辺を飾った。
つかの間の出来事であった。
今朝の雨でサクラ花は終息に向かう。
投稿者 愉悠舎 日時 2008年4月 7日 (月) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
淡いピンクに染まる山なみ

三日連続でサクラを掲載することになった。
昨日撮った山の向こう、その向こうと、三重にわたる山なみに淡いピンク色をした山桜が山全体を染めている。
毎年この時期見えていた筈の光景であろうが、今まで気が付かなかった。
今年に入って愉悠舎に腰を落ちつけるようになった。
定住するようになってから出合った数ある光景の一つに、埋め尽くす山桜の山容が加わった。
投稿者 愉悠舎 日時 2008年4月 8日 (火) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
竹酒に酔う

たおやかな風が頬を撫でる夕刻、海平の郷のハルボン邸で「竹酒宴会」が行なわれた。各自自慢の料理を持ち寄り、竹で燻された日本酒を竹の「さかずき」に入れ、竹の風情と香りを酒のこくと共に味わおうというものである。
郷内から採ってきた竹を、節を中心にして20センチほどのところで切り、酒を入れる側は斜めにカットする。その器に酒を入れ、炭火で温める。温まった酒をこれまた竹で作った器に注ぎ、風そよぐなか、みんなで呑み干す。
郷内外から集まった人たちの持ち寄り料理が、竹酒宴会に花を添える。
遊び人、海平族の面目躍如たる風流な宴会は暗くなるまで続いた。
宴会を用意してくれたハルボンさんやMRさん、サンキュー。そうそう今夜のメンバーに外国人が参加した。海平の郷に定住をはじめたダレン氏(オーストラリア出身)がそれだ。彼のワイフは国生さゆり似の美人日本人である。
投稿者 愉悠舎 日時 2008年5月 4日 (日) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ