淡路の木漏れ日 2
所在ない昼間どき

雨の合い間に紀淡海峡に向けてカメラを構えた。
写真のエリアが瀬戸内海国立公園にあたるらしい。らしい、というのは公園の範囲は海と陸部があり、海域はこの紀淡海峡から豊後水道までの瀬戸内海全体を指してのことだと思っていたが、そうではなく国立公園からはずされている海域も相当部分あるのを今日知った。
大阪湾周辺に限っていえば紀淡海峡と明石海峡のみが国立公園に指定されているに過ぎない。大阪湾は国立公園の外にある。この湾は国立公園としての体をなしていないのかもしれないが、国立公園に指定されると各種の規制がかぶせられ、人間による環境破壊が極度に制限される。
大阪湾は工業立国を標榜して戦後経済成長を遂げてきた日本において、阪神工業地帯に「発展」の一翼を担わすにあたり、大阪湾がその桎梏になってはならない「配慮」があったのではないかと勝手に判断している。
瀬戸内海国立公園のホームページによると、「瀬戸内海国立公園は、昭和9年3月16日、わが国初の国立公園として雲仙、霧島とともに指定されました。その後、大きな追加として第3次指定まで拡張されました。
昭和9年の第1次指定では、備讃瀬戸を中心に小豆島から鞆の浦に至る海域と陸域が指定され、昭和25年の第2次指定では和歌山県から大分県に至る陸域主要部が追加され、昭和31年の第3次指定では六甲山・国東半島等が追加されるとともに、海域が現在の区域まで大幅に拡幅されました」とあり、海域が拡大された昭和31年に大阪湾を超えて紀淡海峡海域のみが指定されているのを見ると、わざわざ大阪湾をはずしたと考えるのが妥当であろう。
自然環境よりも経済成長を優先した国策のつけが今我々に襲いかかっている。ここ二三日続いた大雨が日本の各地に大きな被害をもたらしている。自然との共生を省みるにうとかった我々の罪は大きい。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年7月20日 (木) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
櫓桟敷の宵

洲本の花火大会を愉悠舎、回廊先のデッキから見物した。58年の歴史をもち、打ち上げ場所は洲本港〜大浜海岸で約5000発が夜空を焦がした。
特に目を引いたのは真横に打ち上げられる水上スターマインという花火で、横に走る花火が打上げられ、海面スレスレで炸裂すると、会場からのざわめきが聞こえてくるような迫力を感じる。
海岸沿いの民家の明りが、夏の夜の夢を少し邪魔している。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年8月 7日 (月) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
夕まぐれ

台風7号が紀州沖から東海地方に向っている、淡路にやってくる様子はなさそうだ。日中風速10メートルほどの強い風が木々を揺らしていたが、その風も止み、白く波立ち荒れていた海面も穏やかな内海に戻った。
そんな昨日の夕景である。
里山の向こうに連なる、山なみの上をはしる薄い雲や、山影にあたる夕陽が、里山を薄こげ茶色に焦がしている。
薄く染まった雲や空に、日中のどぎつさはない。
暑い日々を凌ぐものにとって、里山の夏の夕暮れは、一服の清涼剤である。
夏の盛りに陽が沈みはじめると、涼しさが帰ってくるような気がするが、躰を動かすと汗が皮膚を伝う。
まだまだ暑くてうっとうしい夏は続く。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年8月 9日 (水) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
多賀の浜海水浴場

8月20、21日の両日久しぶりに海水浴を楽しんだ。と言っても泳ぐのが目的でなく孫の付き添いに駆りだされての、お出かけである。
行ったさきは淡路島の西海岸播磨灘に面した多賀の浜海水浴場で、砂浜が人工的に整備されており奥行きのある遠浅が小さい子供連れの人にも安心感を与える。その上波打ち際の水も澄んでおり、淡路島に数ある海水浴場の中でも規模は小さいが、安全で快適な海水浴場と言えるだろう。
設備の状況を見てみると、駐車場が500円、キャンプはテント1張り1000円、バーベキューは芝生以外の場所で行うものとし、シャワーの使用は無料である。
堤防に目をやると釣りを楽しむ人もおり、ここから釣り船も出ているようで、魚釣りの経験の無いわたしでも、釣り客に人気の場所だということが分かる。
水際で孫たちと戯れてばかりの「海水浴」であったが、久しぶりに海水のショッパイ感触を楽しんだ。孫と浅瀬を泳ぐ小さい魚たちを追っかけたりもした。ビニール袋にヤドカリを入れて持ち帰り、あくる日同じ場所にヤドカリを放してやった。
この水辺を眺めていると、水による子供の事故など起こりようもない、自然と人間の調和のとれた共生を感じる。
この夏人間が作ったプールで排水口に巻き込まれ、幼い命が犠牲になった。
相変わらず事故を起こした側の責任のなすりあいが目立ったが、一言だけ言及しておきたいことがある。
それは「科学する」人間の欠如についてである。プールの水を循環さす排水口の蓋を針金で止めておいて、それを誰も不審に思わず見過ごしてきた事実に、文明社会における人間の怖さを覚える。
水の勢いが間断なく繰り返された場合、遠からず針金が切れる状況を想定し得ない無知無頓着さ、それに連なるもろもろの事象に対する認識の甘さ甘えに腹が立つ。
プールは人が泳ぐために存在する。当然ながら子供もその場所を大人とともに共有する。そこで起こる事故は溺れるか、取水口に飲まれるか、限られている。それを想定し得なくて設計やプールの管理を行っていたとするなば、社会に対する使命感など全く持たない人間が、ただ賃金のためだけに働いていると言われてもしかたない。
そういう人間を生み出したこの社会の行く末を案じる。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年8月22日 (火) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
淡路富士

この島に「淡路富士」と呼ばれる山のあることを最近になって識った。それも毎日眺めている山なみのひとつが淡路富士らしい。本名を先山(せんざん)といい、イザナギ、イザナミの国生み神話のとき、最初に創られた山だとして、この名前がつけられたことになっている。
山の頂上には千光寺という名の寺がある。神話の山になぜ仏教の寺が存在するのだろうか。
千光寺は淡路西国八十八ヶ所第一番の札所で、境内にある梵鐘は国の重要文化財に指定されている。
淡路富士(標高448m)は諭鶴羽(ゆづるは)山(標高 606m )、柏原山(標高569m)と並んで「淡路三山」と呼ばれている。他の二つの山は淡路島南東部に位置しているので、愉悠舎・回廊から確認できるはずだ。
淡路富士の頂上から淡路島全体が望めるらしい、そのうち登ってみようと思う。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年9月13日 (水) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
小春日和

小春日和に包まれたベイエリアは冬の気配を感じない。
デッキにチェアーを持ち出し読書したり、午睡をむさぼったりしながら日がな一日を過ごした。
向いの「りんくうゲートタワービル 」がくっきりと見えた。このビルは高さ256mのビルで56階から成っている。大阪ワールドトレードセンタービル(WTC)と同じ高さがあり、今日はWTCビルも視界に入ってくる。ここからゲートタワーまで約30km、WTCまで約50kmの距離があり、天候が悪いと姿を隠してしまう。
WTCからさらに左に目を転じると、神戸のビル群が六甲の山なみを背にひしめき合っている。
デッキの正面に目を移すと、和歌山市にある住金の煙突から煙がたなびいている。
海面を滑るように、液化天然ガスを運搬するLNG船がそと海に向かっている。
秋から冬にかけて対岸の輪郭が鮮明になってくる。初冬の大阪湾は埋もれていた人の心を呼び覚ます。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年11月15日 (水) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
2006年11月17日 (金)
秋の夕景

デッキから西の空と里山を望む。群れをなした雁が西の空を横切るような、そんなイメージが膨らむ夕空である。
夕陽が山の向こうに落ちると急にあたりが暗くなる。山の向こうで沈みきらない陽が、空気を切り裂いて紅く空を染める。
日本のどこにでもある秋の夕景である。
この時期の夕焼けは色が深く透明感がある。冬に向かう冷え冷えとした寂寥感を、夜のとばりが下りる前の一瞬の光芒が持ち去ってくれる。
明日はきっといい事がありそうな、期待に胸を膨らませ夕焼けを背に、家路を急いだ少年の日があった。
2006.11.16 撮影
投稿者 愉悠舎 日時 2006年11月17日 (金) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
少しばかりの光を

12月1日午後6時、イルミネーションに明りを灯した。漆黒の闇を突いて質素な光が浮かび上がった。近年きらびやかな電飾が民家の冬を彩っているが、華麗にして豪華なそれとは縁遠い、つつましい光が回廊を飾った。
もう12年も経つのか、阪神・淡路大震災で闇を経験したものにとってこぼれるような光はいらない、一隅を照らすわずかな明りで充分だ。
1995年の12月、神戸の旧居留地に灯った光の海に泪した日のことがよみがえる。
今年も、ルミナリエの季節が震災の街にやってくる。
光は人生の伴走者である。
投稿者 愉悠舎 日時 2006年12月 1日 (金) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
2007年のはじまり

今年も早いものでもう5日、遅ればせながら元旦に撮った払暁を本日掲載するはめになった。というのも、初日の出をしっかりとカメラに収めようとして、元旦の午前7時前から満を持してデッキでチャンスを待っていたが、陽は雲の陰に身を潜めその瞬間を捉えることができなかった。
元旦の東の空はあいにく雲に覆われていた。
東の空がしらみ、やがて紅く染まりはじめた空であったが、丸い太陽の輪郭は見当たらなかった。
太陽のない日の出の写真はしまらない。そのまゝ写真を撮ったことも、カメラの置き場所さえも忘れ、気がつくと今年も5日になっていた。
2007年の初日の出はここ淡路において、射す光に恵まれなかったが、この雲を吹き払い降り注ぐ朝日に世界の人々が恵まれるよう、2007年がそのような年になるよう願ってやまない。
投稿者 愉悠舎 日時 2007年1月 5日 (金) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ
対岸の夜景

昨日(1月13日)、暗闇を二分する一条の光を撮った。
冬の夜は対岸の光がここまで届く。
ここから光が連なる向こう側までの距離はだいたい30kmある。
中央右よりの黄色い明りが関西国際空港である。澄んだ空の冬の昼間、飛行場を発着するジェット機の姿が視界に入るときもある。
写っていない写真の左に堺市、大阪市の光の帯が続き、さらに左は阪神間から神戸の光が目に飛び込んでくる。
冬の夜、闇に映る光はことのほか冷え冷えとする。「ひかり冷え」とでもいうような空間が広がっている。
投稿者 愉悠舎 日時 2007年1月14日 (日) 淡路の木漏れ日 | 個別ページ