ブログ一覧
京都・青葉の寺社
5月22日、緑映える京都の寺社を訪ねた。(バス旅行)
三宮(8:00発)--酬恩庵一休寺[一休さんが晩年過ごしたと伝わるお寺にて青もみじ観賞]--喜撰茶屋[昼食]--宇治上神社[世界遺産の神社を自由参拝]--大原野神社[青もみじのトンネルと京都のモネの池をお楽しみ]--総本山光明寺[長岡京の紅葉名所にて青もみじ観賞]--三宮駅周辺(18:05予定)
★一休寺
とんち話の「一休さん」のモデルとして知られる僧侶、一休禅師が晩年を過ごした京田辺市の寺。
★宇治上神社
宇治上神社とは、宇治平等院の鎮守社として崇敬されていた神社、 世界遺産「古都京都の文化財」のひとつ。
★大野原神社
源氏物語の作者紫式部は大原野神社を氏神と崇め、この大原野の地をこよなく愛していました。源氏物語二十九帖「行幸(みゆき)」の巻には、大原野へと向かう冷泉帝の華やかで美しい行列の様子が描かれ、紫式部のこの地への思いの一端を伺い知ることができます。(大野原神社㏋)
★京都・長岡京市に在る光明寺は法然上人が日本で最初に「南無阿弥陀仏」の念仏の産声を上げた地。
ネモフィラ祭り・舞洲
2024年4月6日、「大阪まいしまシーサイドパーク」にて開催中(4/6~5/6日)のネモフィラ祭りを観賞。
満開にはまだ少しあるが好天に恵まれ舞洲の昼下がりを楽しんだ。
フォトモーション:サムネイルページャ・スライドショー
鈴鹿の森庭園&いなべ市農業公園
鈴鹿の森庭園
バス旅行にて東名阪自動車道鈴鹿IC近くに在る研究栽培農園「鈴鹿の森庭園」観賞に参加。
日本の匠の歴史と技術を受け継いだ日本の伝統園芸文化の一つ「仕立て技術」の存続と普及を目的としてしだれ梅の研究栽培を行っている。
いなべ市農業公園
鈴鹿の森庭園を観たあと一時間バスに揺られて着いたのが「いなべ市梅林公園」、38ヘクタールの梅園は今「梅まつり」。
小雪舞い散る寒い中ではあったが100種類4000本の梅たちに魅了された。
フォトモーション:サムネイルページャ・スライドショー
鈴鹿の森庭園
高原ロッジ・メープル猪名川・6月の蓮池
尼崎と丹波篠山の中間あたり兵庫県川辺郡猪名川町に在る「高原ロッジ・メープル猪名川」の中庭を撮る。
フォトモーション:スライドショー
画像表示方法:サムネイルページャ
お向かいさんの庭園
撮影機種:キャノンEOS Kiss X6i
レンズ:マクロレンズ
画像表示方法:サムネイルページャ
関連ブログ:⤵
昼下がりの「菜の花の沖」
燃ゆる六甲・再度山
晩秋の六甲は再度(ふたたび)山の修法ヶ(しょうがはら)原で「もみじ狩り」を楽しみました。
ススキの穂を揺らす砥峰(とのみね)高原
砥峰(とのみね)高原
雪彦峰山県立自然公園に属する、標高800~900mに位置する面積約90ヘクタールの草原。波打つような緩やかな起伏が連続する周氷河地形の一種の化石周氷河斜面と呼ばれる地形で、秋は草原一面が銀色の絨毯
となる日本有数のススキの大群生地である。また湿原(砥峰高原湿地帯)では、多くの高山植物を観ることができる。
近代以前は茅葺屋根材の茅の伐採地であり、その環境を維持する為に毎年雪解けの時期に山焼きが行われてきた。それによってススキの大草原が出現することとなった。茅を伐採しなくなった現在もススキの大草原を維持することを目的とした山焼きが毎年4月に行われている。
当地は、2010年公開の村上春樹原作の映画『ノルウェイの森』の主要撮影地となって以来、映画やドラマの撮影地として利用されるようになった。(ウイキペディア【最終更新
2021年05月13日】)

白樺林/苔の森/白駒池(信州・八千穂高原)
・場所:長野県南佐久郡佐久穂町八千穂高原(八ヶ岳山麓)
・カメラ:キャノン EOS kiss X6i
★白駒池(フォトモーション;スライドショー)
★苔の森(フォトモーション;スライドショー)
★白樺林(フォトモーション;スライドショー)
我が団地のソメイヨシノ
フォト・ラッパ水仙の丘
淡路市多賀町にある「水仙の丘」、旧ミカン畑にラッパスイセンが咲き乱れる。
淡路には他に冬の時期に見頃を迎えるメジャーな「灘黒岩水仙郷」の「ニホンスイセン」他がある。
此処は「3~4月でも水仙を楽しめるようにと約1200坪の斜面に約10万本の花が咲いている。
・表示方式:サムネイルページャー
たつの市御津自然観察公園「世界の梅公園」
紀州のアマルフィ・エーゲ海・ウユニ塩湖
〇 雑賀崎(さいがさき)(和歌山市)/イタリアの世界遺産・アマルフィ海岸似
〇 白崎海岸(日高郡由良町)/日本のエーゲ海
〇 天神崎(田辺市)/天空の鏡・ウユニ塩湖(ボリビア)似
庭園の紅葉 in 洛北
☆明石(6:50発)--三宮(7:40発)--白川通(バス下車・タクシー乗換) --<タクシー>--詩仙堂(紅葉に彩られる名庭)--圓光寺(書院から眺める「十牛の庭」)--曼殊院門跡(格式高い皇室ゆかりの寺--<タクシー>--白川通(バス乗車)--しょうざんリゾート(松花堂弁当の昼食)--興臨院(庭園の紅葉を観賞。散り紅葉も見事)--三ノ宮駅周辺(17:40)
☆画像の説明
Ο詩仙堂 - 1/48~12/48
Ο圓光寺 - 13/48~31/48
Ο曼殊院門跡 - 32/48~41/48
Οしょうざんリゾート - 42/48~44/48
Ο大徳寺興臨院- 45/48~48/48
第72回淡路島洲本花火大会/自宅望楼から(その2)
第72回淡路島洲本花火大会/自宅望楼から(その1)
フォトモーション(スライドショーー)
但馬の寺と野に咲く九輪草
兵庫県は広くて深い。
豊饒な大地に海。
かつて、世界に冠たる神戸港に高度経済を支えた阪神工業地帯、日本が世界に誇る姫路城・・・。
北に日本海、南に太平洋を控え日本列島を東西に引き裂いている。
もともと兵庫は廃藩置県の統合によって三つの県に分かれるべきだった。
それが維新政府の都合により現在に近い兵庫県が誕生した。
兵庫北部は神戸港の後背地とするため、南部の淡路島は庚午事変(こうごじへん)後兵庫県に編入された。
庚午事変(こうごじへん )
明治3年(1870年)に当時の徳島藩淡路洲本城下で洲本在住の蜂須賀家臣の武士が、筆頭家老稲田邦植の別邸や学問所などを襲った事件。稲田騒動(いなだそうどう)とも呼ばれる。
結果的に淡路島の帰属をめぐる重要な事件となり、この事件のおかげで淡路島は再び徳島県から離れ、兵庫県に編入された。 ( Wikipedia 最終更新日 2019.03.27)
青森から山口まで列島を陸路で縦断する場合、どうしても通らなければならない県が一つだけある、兵庫県。
雄県兵庫は高度経済が隆盛を極めるまで「日本の縮図」と言われた。
戦前日本最大の阪神工業地帯の中心地として栄え、貧富が入り混じる農村・漁村県として「日本の縮図」は時代を背負って生き継いで来た。
今回兵庫県北部、但馬の寺を少し巡ってきた。
24日朝、神鍋のブルーリッジホテルを出てまず向かったのが隆国寺。
隆国寺(りゅうこくじ)
隆国寺(りゅうこくじ)は、兵庫県豊岡市日高町荒川にある曹洞宗の寺院である。関西花の寺二十五カ所6番、近畿楽寺寿観音三十三カ所霊場第4番、宝の寺七福神但馬布袋霊場である。牡丹の寺として知られている。境内では牡丹の他に、椿、山あじさい、沙羅などの花木がみられる。(
Wikipedia 最終更新日 2018.03.12)

どこの寺にも梵鐘がある。
此処の梵鐘は時間ごとにオートでスイッチが入り勝手に鐘が鳴る。
仏の世界も人手不足なのか?
右の画像が隆国寺の梵鐘。
時間が来るとスイッチが入り支点から先の腕が下にさがり、撞木(しゅもく)を矢印方向に突き動かし撞木がある程度移動すると腕が撞木から離れ、バネの力で腕が画像の位置にもどると共に撞木も元の方向に帰り鐘を打つ。

隆国寺を出て豊岡駅近くのツツジの寺・妙楽寺に寄った。花は見ごろを過ぎ、むせる夏の装いに足早に通り越す。
この日の豊岡は暑い、まだ五月なのに30度を超えている。
妙見山日光院(三重塔の画像クリック)
最後にお邪魔したのが妙見信仰の総本山・妙見山日光院。
此処の見所は国の重要文化財の三重の塔。
境内をあちこち歩いたが見当たらない。
掃除をしていた住職に三重の塔のあり場所を訊ねる。
三重塔は色々あって現在妙見山の奥深くにあるとのこと、ここから8km先とのこと。
ここまで来たからには行かねばなるまい。
意を決して細い山道を車に委ねる。
やっとの思いで名草神社の碑の前に到着。
妙見山日光院が何故名草神社に?その答は次のパンフレットに。

その前に地元の方に名草神社前に群生する九輪草の存在を教えてもらったので行った。
清楚で可憐な花はいまが盛りだ。素晴らしいものを見た!
九輪草
北海道、本州、四国の山間地の比較的湿潤な場所に生育し、せせらぎや渓谷の湿地などに時に群生する。高さ30-90cmほどになり、日本に自生するサクラソウ科の植物のなかでは最も大型である。10-20cmほどの鋸歯を持つ葉のロゼットを作り、花季となる4-6月にその中心から花茎が伸びるの。花は花茎を中心に円状につき、それが数段に重なる姿が仏閣の屋根にある「九輪」に似ていることから名前の由来となっている。花の色は濃い紅紫色(径2-2.5cm)が普通だが、ときにピンクや白、絞り咲きなどの変種も見られる。(( Wikipedia 最終更新日 2019.04.21)
(下の画像フォトモーション・スライドショー)
小型船舶操縦士の免許証の返上と廃船

小型船舶操縦士の免許証を取得して五年が経った。
一ヶ月前有効期限が過ぎ更新せず流した。
一年ほど前、乗せて貰っていた師匠の船がその役目を終え廃船になった。
もう船に乗ることもないだろうと、免許証の返上を決意した。
この間、「漁」の醍醐味と厳しさを充分堪能した。
船酔いに悩まされた時もあった。
仕掛けや操縦の失敗に落ち込んだ日もあった。
大漁に小躍りした朝焼けの海もあった。
いろいろあった船上での経験や感触は今も私の躰にまとわりついてくる。
一昨年の押し迫った暮れのある日、師匠の「愛船」の最期を見送らせて貰った。
師匠(Tさん)と師匠の師匠(Mさん)、大師匠(Sさん)のあいだに私も紛れ込ませてもらった。
送り人が小型船舶を係留している船着場に集まった。
いつの日だったか、私と師匠が漁に出たとき、Mさん、Sさんたちの船に出会った、「こっちで釣れば」といって傍まで寄って釣りをしたことがあった。 三艘で船団を組んでの漁は壮観だった。
いい思い出が残った。
船の陸送は自動車をレッカー車に乗せて移動するのと違ってより多くの手間と労力を要する。
最も神経を使うのは「陸揚げ」の時である。
名人たちのスゴ技をとくと御覧あれ!

★廃船への道を船着場から陸揚げまで以下に示す。


カメラマン・沢田教一の世界と長岡天満宮
日本各地から梅と桜の便りが同時に聞こえて来る早春の17日、京都へ出向く。
ベトナム戦争中、カンボジアで銃弾に倒れたカメラマン・沢田教一氏の作品展が京都の高島屋で開かれている。
私とワイフは10時前車で有馬街道をくだり、湊川の駐車場に車を停め新開地駅から阪急電車に乗り十三で四条河原町行きに乗り換える。
駅の地上が高島屋になっており、そのまゝ7階へ。
氏の作品を観るために集まった多くの人々に混じって沢田教一ワールドを感傷を持って浸った。
17年前私はベトナムのホーチミン市を訪れた。
その時の感想を拙ブログに以下のように記した。
「 《5月1日に想う》 5月1日は世界がベトナムに沸いた日である。 1975年5月1日のメディアは前日、ベトナム解放軍がサイゴンに入城し、ベトナム南部が解放され、永かったベトナム戦争(1960年〜1975年)の終結を興奮交じりに報じた。
あれから25年後の2000年の秋、私はベトナムを訪れた。サイゴンはホーチミン市になり、戦禍をくぐって来た国土に根をはる人々の笑顔がまぶしかった。メコンはあの日のようにとうとうと流れていた。アオザイの裾が風になびいていた。
解放軍がサイゴン市内からトンニャット宮殿(旧大統領官邸)に向かった通りを見渡せる宮殿のバルコニーに立った。そして、しばしの夢に浸った。
「60年安保に間に合わなかった少年」はベトナム戦争を生きた。」 。
作品を観終わるのに二時間を費やした。一つ一つの作品の前に立ち氏がレンズの先に見たものに迫ろうと目を凝らした。
ピュリッツァー賞の「安全への逃避」の前に十五分ほど居ただろうか、私はかつて佇んだトンニャット宮殿のバルコニーに立ち氏の夢に便乗した。
相生牡蠣と竜野城
消える高架下商店街ー夢の名残りー
フラダンスに酔う

フラダンスのショーを観るのは初めてだ。
ワイフの「妹ぶん」の晴れ姿を見にポートピアホテルへ。
この日のイベント、「2018 フラ・ハラウ・プアラニ 生徒発表会」を仕切るのはプアラニサヨコ女史。
10時半開場。
受付を済ませポートピアホテルの「大輪田」の間に入ると華やかな雰囲気に包まれる。
11時開演。
フラダンスの伴奏は「ポートアイランダース」の方々。
フラダンスは「Part Ⅰ」と「Part Ⅱ」とに別れ、その間にランチタイムが入り、ポートピアホテルの食事に舌づつみ。
合い間、合い間に「お楽しみタイム」やトークが入り参加者を飽きさせない。
ゲストに神戸建築界のカリスマ・瀬戸本淳氏のサックス演奏、それに神戸を代表するファッションデザイナー藤本ハルミ女史(91才)のトーク。
われらが「妹」も出番が多く、われらに息つく暇を与えない。
時の経つのを忘れ楽しんだ。


京都は伏見詣(再び苔涼庭《大橋家庭園》へ)

月日の経つのは早いものだ。
最初に苔涼庭を訪ねたのは5年前。
当主の大橋亮一氏はワイフの元上司。
会社にリストラの嵐が噴いた時、氏は部下のリストラを命じられた。
大橋氏は「人の道」を選び部下のリストラを拒否し、自ら会社を辞めた。
大橋氏の人柄を慕って今でも多くの人が寄り集まる。
氏は現在、苔涼庭のガイドに勤しみ元気な日々を送っている。
氏は機知とユーモアに富んだ反骨の京都人である。
長身痩躯の氏の風貌を知るには俳優の佐々木蔵之介を想起すればよい、良く似ている。
佐々木蔵之介は氏の親族の一人である。
前回のメンバーから入れ替わりはあるが五人で京都へ。
JRの三宮のホームで落ち合い京都の稲荷駅で降りる。
苔涼庭へは歩いて5分ほど。
駅前から伏見稲荷大社への参道はごった返す人の群れ、その殆んどが外国人。
苔涼庭で「お茶」を頂き、よもやま話に花が咲く。
その後庭を見学しランチへ。
ランチは氏の母校・同志社大学構内のレストランでフレンチ。

「メニュー ・前菜 鱧と秋の野菜のカダイフ 九条葱のソース ・スープ さつまいものスープ ・お魚料理 真鯛のポアレ ブイアベースソース ・お肉料理 牛ロースステーキ ローズマリー風のポルト酒ソース
・デザート 盛り合わせ ・コーヒー」
私たちの隣の席に五、六人の女学生が教授らしき人を囲んで談笑とランチに興じていた。
地下に大きな学食があるのに昨今の学生はこんな「ゼイタク」をしているのか。
レストランを出て近くにある相国寺(しょうこくじ)を訪ねたいと言うワイフの申し出に従い寺へ。
残念ながら「法事」のため休館。
公開中の鳴き龍を見たいと言うワイフの希望はあえなくついえた。
大橋さんに依れば金閣寺・銀閣寺は相国寺の山外塔頭らしい。

ここで大橋さんと別れ私たちは錦市場へ。
錦市場は「庶民の台所」?
生鮮食料物は店の後方に押しやられ店頭には綺麗に飾られた加工品の行列。
ここも大半は外国人。
外国人目当ての品々が青い目の食指を誘う。
その中で玉子焼(出汁巻き?)一巻1300円には驚いた。
帰りは烏丸駅から阪急に乗り阪急三宮で解散。(下画像クリックで拡大、ギャラリーモード)
「鹿の角きり」と天川村「洞川(どろかわ)温泉」
10月6日土曜日、神戸から奈良の天理へ向かう途中、娘から孫の運動会が突然の雨で延期になったと連絡を受ける。
西名阪を走行中だったのでそのまゝ娘宅へ。
しばらく雑談をしていると高校一年の長男が明日「鹿の角きり」の手伝いに行くとのこと。
今日、明日、あさってと奈良の春日大社内にて「鹿の角きり」が行われる。
私たちはそれを見学することにし、ランチのあと奈良公園に向かう。
春日大社近くの駐車場に車を停め春日大社へ、入場料千円を払い場内へ。
料金を払ったときもらった「ならの鹿愛護会」の「鹿瓦ばん」2018年秋・冬号によれば、
《「鹿の角きり」は、江戸時代から今日まで約340年》にわたり、鹿と奈良の人々との共生の中で受け継がれている伝統行事です。
秋に発情期を迎えするどい角をもつオス鹿は、気が荒くたいへん危険です。
そこで、オス鹿たちの角により人や鹿がケガをしたり樹木が傷ついたりするのを防ぐため、奈良では「鹿の角きり」が行われてきました。》

天川村・洞川(どろかわ)温泉
奈良県吉野郡天川村の洞川温泉に着いたのは日も暮れた6時過ぎだった。
私は「村」や「町」の名前を冠している町村を無条件に好きになる。
淡路市のように「平成の大合併」で市の体裁だけを保っている地方自治体はいずれ国から見離される。
政府の補助金を目当てに合併を繰り返しても毎年毎年補助金が減らされ、8年?で0になる。
淡路市は間もなく補助金が打ち切られる。その先どうするのか?淡路島を一つの市にするのか?
「売り食い」を繰り返し先細りする地方自治体に未来はない。
天川村には年間65万人の観光客が来るらしい。滞在中気が付いたのだが若い観光客が多い。
「村おこし」に新しいものを取り入れ失敗する例が多い中で、先祖の残した遺産をうまく使って客を惹きつけている。
天川村
「天川村(てんかわむら)は、奈良県の中部に位置する村である。
キャッチフレーズは「天の国」「木の国」「川の国」。 「世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の主要構成要素である修験の山、大峰山があり、そのふもとには天河大弁財天社がある。」(
Wikipedia 最終更新日 2016.08.17)。
この日の夕食にでた鮎の塩焼きは忘れ得ぬものとなった。 名水に育てられた鮎はこの地の人が自慢するだけあって全く臭みがない。
宿の横を流れるセセラギの音を子守唄に深い眠りについた。


第48回みなとこうべ海上花火大会
2018年8月4日(土)、1万5千発の花火が神戸の夜空を焦がした。
その日の午後、阪急六甲駅近くの知人を見舞いに行くワイフを高速神戸駅で降ろした後、兵庫埠頭近くの駐車場に車を停めワイフと再び落ち合うまで釣具屋や新開地をブラブラして時間を潰した。
車を兵庫埠頭近くに停めたのは兵庫埠頭が比較的空いてるらしくそこを撮影スポットと定め、その近辺の駐車場を探すことにした。重い三脚やカメラを持ち歩く歩数を少しでも少なくすること、それと駐車場が比較的空いているところとなるとその辺がよかろうかと。
撮影スポットに込み具合の少ないところを選んだのは、込んでる所は三脚が禁止されていることもある。
花火を写すにはシャッタースピードを遅くし(5秒前後)、開放時間を長く取らなければならないので三脚とリモートシャッターは必須アイテムである。
兵庫埠頭まで行く予定であったが途中、ワイフが熱中症気味だったのと兵庫埠頭を見やると相当な人出だったので、川崎重工と兵庫埠頭の中間辺りで見物するこにした。
(下図★印で撮影)

夏の但馬路をゆく

激暑というか猛暑の中、兵庫県の北部竹野海岸へ車を走らせた。
目的は烏賊三昧、「休暇村竹野海岸」の「山陰産 《活き烏賊の舞》5種のイカの食べくらべ」を味わいに。
鈴蘭台の家を出て中国自動車道の吉川JCTへ、そこを大阪方面に少し行き舞鶴若狭自動車道に入り、春日ICで北近畿豊岡自動車道に乗る。現在終点の日高神鍋高原ICで降り、R312→R178→県道1号線を通り休暇村へ。
この日の目玉は「剣先いか活姿造り」。
「イカ豆知識」(剣先イカとは・・・)
山陰地方では「白イカとも呼ばれます。柔らかく上品な甘みが特徴のイカです。「イカの王様」と称されるほど人気で、他のイカと比べ高値で取引されています。・・・活きている状態で状態で提供するのは難しく・・・。(休暇村の「品書き」より)
活きたイカがこちらを睨んでいた。

余部鉄橋の付け替え工事後初めての訪問である。
一部保存されている錆色の橋の傍らに立つと、映画「夢千代日記」のシーンが思い出される。
この橋を電車に乗った夢千代が神戸の病院から帰ってくる。「どんよりした鉛色の空に架かる朱色の鉄橋。高さ41メートル、長さは310メートルに及ぶ。海沿いの集落の上を、山陰線の列車が轟音(ごうおん)を響かせ渡っていく。《この鉄橋は、どこですか》窓の外を見た前の席の男性が驚いた表情で尋ねる。殺人事件の捜査で偶然、乗り合わせた神奈川県警の刑事だ。夢千代が静かに答える。「余部(あまるべ)です」。
「夢千代日記」冒頭シーンである。山かげの温泉町に原爆症を患いながら日の当たらぬ人々に心を寄せ、共に生きた昭和の女・夢千代を演じたのは吉永小百合。
夢千代を演じた吉永小百合は「キューポラのある街で」浦山桐郎監督と共に銀幕にその名を成した(浦山桐郎監督は初監督作品)。
「夢千代日記」が映画化された後、1986年(昭和61年)12月28日の午後、浜坂に客を運んだ帰りの回送電車が余部鉄橋にさしかかった折、突風に煽られ転覆した。
直下の蟹工場で働いていた従業員や電車の車掌さんが犠牲になった。
列車転落事故を機に付け替え工事が行われ、2010年(平成22年)8月に現在の新らしい余部橋梁が完成した。
玄武洞を出て帰路につく途中、大石内蔵助のご内儀・りくの遺髪塚に寄った。
ちなみに、この日(7月20日)の全国最高気温を此処豊岡で記録!、38.9度(C)。
以下は竹野から余部間の山陰海岸ジオパーク(クリックで拡大(× < >)
六甲森林植物園のアジサイ
楠正成 in 武者行列
バラ園 in 須磨離宮公園
瀬戸内海を望む神戸は須磨の離宮公園でバラ園が今盛りだ。
バラを観たあと、花しょうぶ園の周りに咲き始めの菖蒲を撮る。
近くの池でいつ咲くか分からぬ睡蓮の花を待つレンズの群れに出会った。
(スマホで撮る)
湯村温泉とジオパーク

「愉快な仲間」と旅をした。
年寄り扱いにされた私は車の運転から外された。
車2台に分乗し三木パーキングエリアで落ち合い山陽自動車道から播但連絡道、和田山JCTで近畿豊岡自動車道に入り八鹿氷ノ山インターチェンジから国道9号線を西へ下り「そば処
春来てっぺん 」を目指す。春来トンネルの手前を山に向かって上ったところにあるソバ屋は蕎麦に蕎麦の実が入った飯と季節の天ぷらそれに煮物の「蕎麦セット」が人気。
私は蕎麦の大盛を注文。
昼食後、ゆむら温泉「ゆあむ」でチェックインを済ませ、源泉付近を散策。

荒湯のそばに吉永小百合を模した等身大の「夢千代の像」がある。また、来る途中に「夢千代館」があった。
「夢千代日記」の映画化が1985年、あれからもう33年経つ、山陰の裏寂しい季節のなか原爆症に苦しむ置屋の女将を演じた吉永小百合の「憂い」は今も変わらない。
宿に帰り、温泉にひたる。
風呂上りに姫たちに叱られないかと気を揉みながらも一杯ひっかけレストランへ(姫たちは気付いていない様子、それとも黙認か)。
夕食後部屋に戻りS女史の祝賀会。
例によって喋って呑んで笑ってピーチクパーチク。
夢千代の里の夜は騒がしく更けゆく。

満腹感の残る胃を抱え浜坂駅の北、但馬海岸遊覧船乗り場へ向かう。
本日のメーンイヴェント山陰海岸ジオパークの「浜坂・但馬御火浦(みほのうら)コースを遊覧。
乗船前にジオパーク館のスタッフの一人(元地震の専門家らしき人?)から説明を受ける。分かりやすくユーモアを交えた話しぶりに聞き惚れる。
下船したら続きがあるから又来いといわれたが、この日は波が荒く乗船者の多くは船酔いぎみ。
我がグループにも幾人かの船酔い者が出て専門家のもとに寄るのを諦め傍の魚市場で休憩。
酔いの収まった頃を見計らって帰路に着く。
途中、「道の駅ようか但馬蔵(たじまのくら)」にてランチ、みなさん「朝倉山椒と八鹿豚ひつまぶし風」を注文。
写真はワイフと八鹿豚ひまつぶし(ワイフは何故かひつまぶしを《暇つぶし》と呼ぶ)。
市川SAでお茶をして解散。
私たちは神戸へ、もう一台は加古川に寄って神戸へ。
愉快な楽しい旅だった。
・山陰海岸ジオパークの「浜坂・但馬御火浦(みほのうら)コースチラシ


(1)ジオパークとは
「ジオ(geo)」は、地球や大地という意味の接頭語で、ジオパークとは、科学的に見て特別に重要で貴重な、あるいは美しい地質遺産を含む一種の自然公園です。
地質や地形は、地球の歴史を物語っているだけでなく、人の暮らしや文化に直接結びついています。この大地の営みをひとつの遺産として学び、楽しむのがジオパークです。
ヨーロッパの各国、中国、日本など世界各地のジオパークが加盟する世界ジオパークネットワーク(GGN:Global Geoparks Network)は、2004年にユネスコの支援により設立されました。山陰海岸ジオパークは2010年10月にGGNに加盟認定、2014年9月にはエリアを拡大して再認定されました。2015年、世界ジオパークはユネスコの正式事業となりました。(山陰海岸ジオパーク推進協議会)

・右画像;「獅子の口」:空洞が赤鉄鉱のため赤く彩られている異様な岸壁。
・下画像、奇跡の岩たちの一つ「竜宮洞門」
花崗岩の岩脈と周辺の割れ目に沿って岩が波で削られ出来た岩脈。

2017年の初日の出(愉悠舎望楼より)
世界一のクリスマスツリー?(KOBEメリケンパーク)
紅葉の森林植物園を歩く
11月30日木曜日、ウオーキングをかねて「紅葉狩り」に六甲の森林植物園を歩いた。
森林植物園は六甲の西部に位置し鈴蘭台の自宅から歩いて行けるがこの日は車。
植物園正門の入り口まで車で10分ほど。
駐車場で身支度を整えイザ。
出発に先立ってまず森林植物園について少し触れておこう。
★神戸市立森林植物園
神戸市立森林植物園(こうべしりつしんりんしょくぶつえん)は、兵庫県神戸市北区にある植物園。1940年に開館した。六甲山地は摩耶山の西、再度山の北に位置する総面積142.6haという広大な樹木植物園で、周辺は瀬戸内海国立公園に指定されている。
日本の代表的な樹木および世界各地の樹木約1200種を各々の原産地の森としてゾーンに分けるなど、自然に近い形での植栽構想に基づき植栽している。(
Wikipedia 最終更新日 2017.12.03)
森林植物園の「花ごよみ」によると冬枯れ間近かのこの時期カエデ類の紅葉それにサザンカの花が彩を添える。
総面積142.6ha(甲子園球場3.85ha)の広い植物園をガイドマップを手に歩く。
まずAコースを歩く。
園の中央部を長谷池へ。
最近何処へ行っても外国人が目立つ、この日も多くの外国人とすれ違う。
長谷池周辺を埋める紅葉は見ごろを終えているが、それでも淡い晩秋の光に溶け込み、薄日にひっそりと燃え立つ。
長谷池でAコースと別れBコースへ。
青葉トンネルの手前でBコースからそれて少し険しい山道を辿り植物園の南端にある「展望休憩所」へ。
手持ちスマホの高度計によると標高は451m。
ここは神戸の中心地の裏側にあたり、晴れていれば海が見える。
休憩後Bコースを下る。
途中で昼食。
私が作ったタマゴ焼きにカマボコ、弁当箱に盛られた白いご飯にのった梅干、たったそれだけである。
それだけだが旨い。シアワセ!
チッポケな喜びにシアワセを感じる自分に感謝。
昼食後半分ほど残っているBコースを歩き、Cコースに入る。
Cコースには神戸市と姉妹都市・友好都市を提携している各都市のコーナーが設けられ、その都市の森林に育つ樹木が記念樹として植えられている。
シアトルの森(アメリカ)、天津の森(中国)、ブリスベーンの森(オーストラリア)、リガの森(ラトビア)で遊び、出発点の森林展示館へと戻る。
1万3千歩、10キロの散策は午後3時に終了。
心地よい疲労感に包まれながら岐路に着く。
森林植物園は以下のようなコピーで人々をいざなう。
自然と友だちになろう
★世界の樹林をめぐり
★山野草と出会い
★昆虫や野鳥と語らい
★緑のシャワーで森林浴
滝の渓谷と鉱山ウオーキング
11月15・16日の二日間、兵庫県北部の天滝渓谷と阿瀬渓谷をハイキング。
朝、淡路を出て山陽自動車道から中国自動車道を経て播但連絡道に入る、そこから北近畿豊岡自動車道へ、養父ICで下り現地に向かう。
天滝渓谷に行く途中、明延鉱山の神子畑(みこばた)選鉱所に立ち寄った。
選鉱所跡に一円電車が飾られていた。
「一円電車」は鉱石を神子畑選鉱所に運ぶために1912年(大正元年)に造られた鉱山列車。
1952年(昭和27年)から大屋~明延間を「一円」の運賃で乗客を運び「一円電車」と呼ぶようになった。
「一円電車」が走り始めた頃の思い出を二つみつ、当時確か一円は紙幣だったように思う。一円紙幣を握り締め駄菓子屋さんに通った記憶がある。お釣りに50銭硬貨?を受け取ったような記憶もある。
その少し前、物心がついた戦後すぐの頃、主食のパンを得るために配給券を持って家の近くの配給所に行かされたことがある。「黒パン」だった。
「一円電車」が走り始めた頃、私は小学校に入った。
給食に進駐軍から支給されたコッペパンと脱脂粉乳がでた。まずかった!
明延鉱山選鉱所から少し離れたところに明延鉱山探検坑道がある。
坑道を見学するには予約が必要、入り口だけ見て天滝渓谷へ向かう。
天滝渓谷入口の駐車場に車を置き、名瀑「天滝」を目指す。


天滝渓谷
天滝渓谷(てんだきけいこく)は、兵庫県養父市大屋町筏にある渓谷。兵庫県最高峰の氷ノ山を源とする渓流天滝川に刻まれた谷で、滝と森林の景勝地。氷ノ山後山那岐山国定公園の区域にあって、原生林に覆われた渓谷沿いの遊歩道は「森林浴の森100選」に選定されている。渓谷には数多くの滝があり、中でも天滝は名高く「但馬名三瀑」の一つとされ、「日本の滝100選」にも選定されている。
(Wikipedia 最終更新日 2016.11.03)
約1時間渓谷を歩く。
苦労して登った先に見えたのが県下最大の瀑布「天滝」、以前は「大屋の滝」と言っていたように思う。
「・・・天から降るかのように流れ落ちるこの滝こそ、落差98メートルと県下一を誇る名瀑「天滝」です。この天滝は、その荘厳で力強い姿と、滝にまつわる伝説などから「日本の滝100選」に選定されています。また、天滝までの渓谷には、夫婦滝(めおとだき)、鼓ヶ滝(つつみがたき)、糸滝(いとだき)などの滝群があり、春の新緑、秋の紅葉を背に落ちる滝、厳寒に凍る滝(完全に凍ることはありません)、四季折々楽しい姿を見せます。この天滝渓谷には森林浴場として「森林浴の森100選」や「ひょうご森林浴場50選」にも指定されています。」(やぶ市観光協会)

「天滝」を堪能して下山、途中「クマ出没注意」の標識にワイフの足取りが速くなる。
今日の宿は神鍋高原・ブルーリッジホテル。
ホテルまで数百メートルのアプローチ、玄関前それに裏庭の電飾が豪華絢爛。
食事も風呂も良。
次の日は阿瀬渓谷をノルディックウオーキング。
取り付きへのアプローチを間違え少し手間取ったが、無事登山口に到着。
20分ほど歩いた所にこの渓谷最大の見所の滝が早くも待ち構える。
源太夫滝である。
紅葉も見ごろ。回りの景色に溶け合って、秋を演じている。
48滝と言われるだけあって、次々に現れる滝たちの舞に時の経つのを忘れる。
3時間ほどのウオーキングだったが、久しぶりに山歩きの楽しさを味わえた。


阿瀬渓谷
阿瀬渓谷(あせけいこく)は兵庫県豊岡市日高町の金山峠(標高760m)を源とする阿瀬川の最上流部一帯の渓谷の名称。阿瀬四十八滝ともいわれる数多くの滝と広葉樹の森林が3kmにわたる景勝渓谷を演出する。
氷ノ山後山那岐山国定公園の区域に指定され、また「ひょうご森林浴場50選」、「ひょうご風景100選」にも選ばれている。( Wikipedia 最終更新日 2016.03.15)
廃線跡跡を歩く


JR福知山線は尼崎駅から京都の福知山まで100キロ余りのローカル線である。
途中に「タカラヅカ」があり愛称でJR宝塚線と呼んでいる。
1986年に福知山線の複線化に伴い、宝塚駅近くの生瀬(なまぜ)駅から道場駅まで付け替えが行われた。
武庫川の渓流沿いに走っていた線路が廃線になり、その跡を歩くハイキングが今注目を集めている。
JR西宮名塩駅で下り、構内のコンビニで昼弁当を買って、いざ出発!
途中見つけたのが水を貯めた水槽。
「震災時協力井戸」とあり、阪神淡路大震災の教訓がここにも生きている。
六甲山系の山ふところの住宅地に井戸が数多く残されておりこの井戸が先の震災で大活躍した。
六甲山系に深くもぐる水は阪神地方にさまざまな恩恵をもたらしてきた。
「灘の生一本」で馴染みの酒に使う「宮水」はこの地方一帯から湧き出る水による。
また、神戸の水は腐りにくいと神戸港に寄航する外国船に喜ばれ、神戸港は補給水基地としても世界にその名をとどめた。
「世界に冠たるコウベ」だった頃の話である。
水槽をあとにハイキングコースの道へ急ぐ。
名塩(なじお)駅から旧大坂街道を15分ほど歩くと旧福知山線に出会う。
武庫川の渓流に沿った枕木を踏みしめる。
その昔、列車が通過したあと四国は予讃線の線路を歩いた記憶が蘇る。
線路脇の遍路道を手甲脚絆に身を固めたお遍路さんの道行きが悲しくも懐かしい。
二つほど橋梁の歩道を過ぎたあたりの正面にトンネルがたちはだかる。
トンネルの前でランチを摂る。
名塩駅のコンビニで買ったニギリ飯二つ、ウマイ!
昼食後、300メートル余りのトンネルに入る。懐中電灯の灯りを頼りに暗闇を進む。
懐中電灯をかざす先に見る避難壕やレンガ造りの天井、そして岩肌丸出しのトンネル内壁・・・、明治の産業遺産に胸踊る。
トンネルを抜けると右手に見える岩山たちが大きくそそり立ち、渓流の流れも激しくなる。
短い140メートルのトンネルを潜ると目の前に鉄橋が大きく立ちはだかる。
強度を均等に配した幾何学的な鉄の構造物に酔う。
途中に見る積み重ねられた大量の枕木、随所にある作業員の待避所、手信号を送るために乗る作業台など、古き時代の国鉄が培った意地とプライドを夢の跡に見る。
武田尾温泉近くで廃線敷ウォーキングを終える。
3時間余りのハイキングだったが時の経つのを忘れて電化される前の鉄道の遺産に見入った。
<BE KOBE> in メリケンパークの夜
若草山からの夜景・朝景
トワイライトクルーズ in Kobe

2017年8月18日
国内最大級レストランシップ「ルミナス神戸2」で神戸港トワイライトクルーズを楽しんだ。
先日、六甲山から神戸の夜を見下ろした。今日はクルーズ船で海から六甲の山を見上げた。
私の思い込みに過ぎないかも知れないが、世界に窓を開いたミナトの中で神戸は景観の美しさにおいて世界有数のミナトである。中でも外洋をへて神戸にやって来たとき、その美しさを人は讃える。
波濤を蹴って港内に入ると六甲の山なみの裾野に拡がる街のたたずまいを目のあたりにし、人は至福のひと時に浸る。
ゆるくせり上がった町なみが落ちるところに、櫛の歯のように突き出たいくつもの突堤が旅情をそそる。
奥行きがあって横に広いランドスケープは降り立つ人のロマンをくすぐる。
横浜がアメリカ航路によって文明開化の足音を聴いたならば、神戸のそれはヨーロッパ航路がその役割を果たした。
ヨーロッパの芸術や建築洋式、いわゆるヨーロッパモダニズムが神戸に上陸し阪神間に広がった。
ヨーロッパモダニズムが日本の文化と融合し独特な街並みを形成して行ったのが神戸である。
人はそれを「阪神モダニズム」と呼び、親から子へ、子から孫へと受け継がれて来た。
日本でヨーロッパの都会にあるような街を探すならば、神戸をおいて他にないだろう。それほど神戸の街はあかぬけている。
その神戸を海から眺めた。
メリケンパークオリエンタルホテル東側岸壁を出たクルーズ船は川崎重工、三菱重工の傍を通り港外へ。
神戸空港沖を西に明石海峡大橋を目指す。
六甲連山の菊水山、高取山、その西に須磨アルプスの山々が連なり、山の先に明石海峡大橋が横たわる。
大橋の手前で帰路に着く。
船が港に帰りつく頃、夕日がビルと水ぎわを染める。
ランチと言うには遅い、ディナーには早い食事をしながらの1時間20分のクルーズ。
チョット贅沢なひととき・・・。
・料理のメニューは以下の通り。
「夏の鮮魚のタタキと夏野菜さわやかなトマトのジュレで」「アンダルシアのガスパチョ柚子と白胡椒」のアクセント」「瀬戸内産スズキディル風味のロティトマトフォンデユと共に」「仔牛ロースステーキトリュフソーストマトプロバンスをそえて」「ルミナスオリジナルサマーデザート」「コーヒー」「パン」


神戸帆船フェスティバル
神戸開港150年を記念し「帆船フェスティバル2017」が神戸港のメリケンパーク周辺で行われた。
7月16日の入港風景、17日には帆を拡げ神戸港に浮かぶ姿を観た。
やって来た帆船は、神戸港お馴染みの「日本丸」「海王丸」、日本の港では見られないロシア船籍の「パラダ」、韓国船籍の「コリアナ」、それに2本マストの「Ami」の5席。
5隻の帆船が一堂に会するのは国内初。
16日はルーズセイルの帆船を、17日はセイルドリル(岸壁に停泊したまま帆を張る訓練)後の華麗にして優美な姿に酔った。
☆モーションタイプ:スライドショー
郡上八幡/妻籠宿/恵那峡
森林植物園のアジサイ
フォトモーション:スライドショー
玉水ゆり園(篠山市)
永沢寺の菖蒲園(三田市)
フォトモーション:スライドショー
京都迎賓館
諭鶴羽山のヤマザクラとソメイヨシノ
「クイーン・エリザベス」in Kobe
「クイーン・エリザベス」in Kobe
2017年3月13日、海の女王「クイーン・エリザベス」(3代目)が開港150年を迎える神戸にやって来た。
同船初の日本港発着クルーズ。
神戸発神戸着のクルーズに同夜出航した。
撮影は富士通製のスマホ、裏面照射積層型CMOS/約1310万画素広角カメラで撮った。
雲海に覆われた里山
神戸ルミナリエ

神戸ルミナリエ
神戸ルミナリエに行って来た。
過去何度か訪れたが、それぞれに感慨深いものがあった。
近年段々色あせてきて、阪神淡路大震災の鎮魂の役目はもう終わったのではないかと思っている。
今年、久しぶりに光の回廊を歩いた。会場まで、金曜日なのにわりとゆったりとしている。
そぞろ歩く人たちはお喋りに夢中な若者が多い。以前は年配の人たちがそれぞれの思いで周りに配慮しながら静かに歩を進めていたように思う。
光の色は黄色を基調とした電飾から青のLEDに変わった。
震災から20年、震災を経験していない人の割合が市民の42%(2013年)と、ルミナリエを訪れる世代の交代が加速している。観光化したルミナリエニに鎮魂の祈りは聴こえて来ない。
あかり咲くKOBE
先週の金曜日、神戸にワイフと行った(帰った?)。車をハーバーランド内に在る駐車場に置き、用の有るワイフと袂を分かち、所在無い私はブラブラと街中(まちなか)を歩く。途中、安価な冬物の衣類を数点買い込み、駐車場に取って返し、車に置いて再び歩き始める。
午後6時過ぎ、ルミナリエが開催されている会場へ向かう。
1995年の12月、旧居留地に灯ったルミナリエの明かりを思い出す。
「課」の忘年会がお開きになった後、二次会へ向かう途中、旧居留地へ立ち寄った。あの年私たちは「明かり」に飢えていた。1月17日の揺れはKOBEの街の「明かり」を奪った。私たちは闇をまさぐるように生きてきた。乏しい「明かり」の中で、神戸市民の多くは一点の光明を見つめ、共に手を携えて今日を明日を凌いだ。
12月、震災で心ならずも逝った犠牲者の鎮魂の意味を込め、イタリアに古くから伝わる教会の祭事に使う電飾を、神戸に持ってきた。
「明かり」が旧居留地の路上にこぼれる中、静かに「明かり」を見上げる人々の目は潤み、心なしか寂しげであった。
私はあの日あの夜の、こぼれ落ちる光の粒を思い出すと、自然に涙が頬を伝う。
あの夜から16年、神戸ルミナリエの劣化は避けられない。観光気分で通りを歩く人々。やめる気もないのに、「来年も開催できるように」と、声を荒げ募金を呼びかける人たち。たちこめる屋台の煙。・・・。
神戸ルミナリエの役目はもう終わったのではないか、神戸ルミナリエは神戸市民の心の中で生かせて欲しい。

神戸六甲・修法ヶ原(しおがはら)燃ゆる秋
フォトギャラリー・回廊逍遥(過去ログより)
69回洲本花火大会(愉悠舎望楼より)
フォト・グラフィティ(「愉悠舎望楼から)
・愉悠舎回廊から撮ったフォトです。 ・以下は過去ログ「フォト・グラフィティ」に添えた文章の抜粋です。
2015年11月11日 (水)望遠2景 500mmの望遠レンズから見た大阪・神戸。中央の高い建物が大阪市阿倍野区にある「あべのハルカス」。地上60階、高さ300m、日本で最も高い超高層ビル。(望楼から直線距離にして約60km)
2015年11月28日 (土)墨色の初冬 冬めいて来た。 樹々は葉を落とし、小鳥のさえずりもめっきり減った。 空も海も薄墨色に染まる午前9時半。 雲を割ってこぼれる薄日が水面に降り注ぐ。
2016年1月 4日 (月)・落日燃ゆ 山影に落ちる夕陽に遠い日が沈む。 残照に燃える陽が目に痛い。 この時期の落日は憂いに沈む。
2016年1月14日 (木)冬の神戸遠望 ワイフの部屋から窓越しに観るコウベ。
背後の六甲山(標高931m)の山上付近は別荘、保養施設、ホテルなどが数多く建ち並び、小学校もある。小学校では毎年10月の二十日過ぎにストーブに灯をつけ、寒い冬に備える。この時期、六甲山系から吹き降ろす強い北風を六甲颪(おろし)と言う。高くて急な六甲の山を背後に持つ神戸港は、水深が深く「天然の良港」と呼ばれる。
2016年2月 4日 (木)霜降る里 冷え込んだ立春の朝、さとに霜が降りた。 山ひだに、あぜ道にうす陽が射す。
フォトギャラリー・ブログ余聞(過去ログより)
過去に綴ったブログから零れた画像を少し載せてみました。
フォトギャラリー・(過去ログ)世界遺産を訪ねて
愉悠舎番人が訪ねた「世界遺産」。
(以下のリストは順不同、ただし写真はアイウエオ順) ・ミーソン遺跡(ベトナム) ・グランプラス(ベルギー) ・キンデルダイクの風車群(オランダ)
・ブリュージュ歴史地区(ベルギー) ・フランドル地方の鐘楼(ベルギー) ・カルタヘナの港、要塞建造物群(コロンビア) ・ベルゲンのブリッゲン地区(ノルウェー)
・ペトラ遺跡(ヨルダン) ・アグリジェントの考古地区(イタリア) ・アテネのアクロポリス(ギリシャ) ・古い街並みホイアン(ベトナム) ・自由の女神(アメリカ合衆国)
形見のカメラ・その2
(過去ログから)2015年9月 6日 (日) 超望遠レンズ; 昨日、神戸から昔の仲間がやって来て、BBQ大会を行った。
その前夜、私が釣ってきた太刀魚をBBQの前に食べてもらった。
少し甘みのあるコリコリ感が何とも言えない。
雨にもたたられず、蒸し暑さの残る中、BBQを楽しんだ。
この春、メンバーの一人が幽明境を異にした。
連れ合いが大きな箱を持って愉悠舎にやって来た。
彼が愛用していたカメラとレンズを形見分けとして預かったが、この度「超望遠レンズ」がその中に加わることになった。
このクラスになると専用の三脚座が付いている。
このサイズで遠くへ持ち運ぶのは大変だ。愉悠舎からの撮影に特化されるだろう。
重なり合う長くて大きいレンズを通して観る世界は、いかなる拡がりが待っているのか?
超望遠レンズ ・TAMRON製; SP AF 200-500mm F/5-6.3 Di LD [IF] (Model A08)
形見のカメラ・その1
(過去ログから)2015年7月 6日 (月)
カメラを譲り受けて;
永年お世話になったK・T先輩が過日ガンに倒れた。
先輩が愛用していたカメラとレンズの幾つかを遺品として頂いた。
先輩の遺志を継いで、今の時代と風物を切り撮っていければと思う。
頂いたカメラとレンズは; カメラキット:EOS Kiss X6i(FRS 18-135mm MACRO 0.39m/1.3ft レンズ①:TAMRON
AF ASPHERRICAL XR 〔IF〕 28-400mm MACRO φ62 レンズ②CANON MACRO LENZ EF100mm 1:2.8
上記に相応しいカメラバッグをと考え、インターネットから気に入った一品を発注する。(下、パソコンの画像)
