夏の但馬路をゆく

激暑というか猛暑の中、兵庫県の北部竹野海岸へ車を走らせた。
目的は烏賊三昧、「休暇村竹野海岸」の「山陰産 《活き烏賊の舞》5種のイカの食べくらべ」を味わいに。
鈴蘭台の家を出て中国自動車道の吉川JCTへ、そこを大阪方面に少し行き舞鶴若狭自動車道に入り、春日ICで北近畿豊岡自動車道に乗る。現在終点の日高神鍋高原ICで降り、R312→R178→県道1号線を通り休暇村へ。
この日の目玉は「剣先いか活姿造り」。
「イカ豆知識」(剣先イカとは・・・)
山陰地方では「白イカとも呼ばれます。柔らかく上品な甘みが特徴のイカです。「イカの王様」と称されるほど人気で、他のイカと比べ高値で取引されています。・・・活きている状態で状態で提供するのは難しく・・・。(休暇村の「品書き」より)
活きたイカがこちらを睨んでいた。

余部鉄橋の付け替え工事後初めての訪問である。
一部保存されている錆色の橋の傍らに立つと、映画「夢千代日記」のシーンが思い出される。
この橋を電車に乗った夢千代が神戸の病院から帰ってくる。「どんよりした鉛色の空に架かる朱色の鉄橋。高さ41メートル、長さは310メートルに及ぶ。海沿いの集落の上を、山陰線の列車が轟音(ごうおん)を響かせ渡っていく。《この鉄橋は、どこですか》窓の外を見た前の席の男性が驚いた表情で尋ねる。殺人事件の捜査で偶然、乗り合わせた神奈川県警の刑事だ。夢千代が静かに答える。「余部(あまるべ)です」。
「夢千代日記」冒頭シーンである。山かげの温泉町に原爆症を患いながら日の当たらぬ人々に心を寄せ、共に生きた昭和の女・夢千代を演じたのは吉永小百合。
夢千代を演じた吉永小百合は「キューポラのある街で」浦山桐郎監督と共に銀幕にその名を成した(浦山桐郎監督は初監督作品)。
「夢千代日記」が映画化された後、1986年(昭和61年)12月28日の午後、浜坂に客を運んだ帰りの回送電車が余部鉄橋にさしかかった折、突風に煽られ転覆した。
直下の蟹工場で働いていた従業員や電車の車掌さんが犠牲になった。
列車転落事故を機に付け替え工事が行われ、2010年(平成22年)8月に現在の新らしい余部橋梁が完成した。
玄武洞を出て帰路につく途中、大石内蔵助のご内儀・りくの遺髪塚に寄った。
ちなみに、この日(7月20日)の全国最高気温を此処豊岡で記録!、38.9度(C)。
以下は竹野から余部間の山陰海岸ジオパーク(クリックで拡大(× < >)