廃線跡跡を歩く


JR福知山線は尼崎駅から京都の福知山まで100キロ余りのローカル線である。
途中に「タカラヅカ」があり愛称でJR宝塚線と呼んでいる。
1986年に福知山線の複線化に伴い、宝塚駅近くの生瀬(なまぜ)駅から道場駅まで付け替えが行われた。
武庫川の渓流沿いに走っていた線路が廃線になり、その跡を歩くハイキングが今注目を集めている。
JR西宮名塩駅で下り、構内のコンビニで昼弁当を買って、いざ出発!
途中見つけたのが水を貯めた水槽。
「震災時協力井戸」とあり、阪神淡路大震災の教訓がここにも生きている。
六甲山系の山ふところの住宅地に井戸が数多く残されておりこの井戸が先の震災で大活躍した。
六甲山系に深くもぐる水は阪神地方にさまざまな恩恵をもたらしてきた。
「灘の生一本」で馴染みの酒に使う「宮水」はこの地方一帯から湧き出る水による。
また、神戸の水は腐りにくいと神戸港に寄航する外国船に喜ばれ、神戸港は補給水基地としても世界にその名をとどめた。
「世界に冠たるコウベ」だった頃の話である。
水槽をあとにハイキングコースの道へ急ぐ。
名塩(なじお)駅から旧大坂街道を15分ほど歩くと旧福知山線に出会う。
武庫川の渓流に沿った枕木を踏みしめる。
その昔、列車が通過したあと四国は予讃線の線路を歩いた記憶が蘇る。
線路脇の遍路道を手甲脚絆に身を固めたお遍路さんの道行きが悲しくも懐かしい。
二つほど橋梁の歩道を過ぎたあたりの正面にトンネルがたちはだかる。
トンネルの前でランチを摂る。
名塩駅のコンビニで買ったニギリ飯二つ、ウマイ!
昼食後、300メートル余りのトンネルに入る。懐中電灯の灯りを頼りに暗闇を進む。
懐中電灯をかざす先に見る避難壕やレンガ造りの天井、そして岩肌丸出しのトンネル内壁・・・、明治の産業遺産に胸踊る。
トンネルを抜けると右手に見える岩山たちが大きくそそり立ち、渓流の流れも激しくなる。
短い140メートルのトンネルを潜ると目の前に鉄橋が大きく立ちはだかる。
強度を均等に配した幾何学的な鉄の構造物に酔う。
途中に見る積み重ねられた大量の枕木、随所にある作業員の待避所、手信号を送るために乗る作業台など、古き時代の国鉄が培った意地とプライドを夢の跡に見る。
武田尾温泉近くで廃線敷ウォーキングを終える。
3時間余りのハイキングだったが時の経つのを忘れて電化される前の鉄道の遺産に見入った。