神戸ルミナリエ

神戸ルミナリエ
 神戸ルミナリエに行って来た。
 過去何度か訪れたが、それぞれに感慨深いものがあった。
 近年段々色あせてきて、阪神淡路大震災の鎮魂の役目はもう終わったのではないかと思っている。
 今年、久しぶりに光の回廊を歩いた。会場まで、金曜日なのにわりとゆったりとしている。
 そぞろ歩く人たちはお喋りに夢中な若者が多い。以前は年配の人たちがそれぞれの思いで周りに配慮しながら静かに歩を進めていたように思う。
 光の色は黄色を基調とした電飾から青のLEDに変わった。
 震災から20年、震災を経験していない人の割合が市民の42%(2013年)と、ルミナリエを訪れる世代の交代が加速している。観光化したルミナリエニに鎮魂の祈りは聴こえて来ない。

 

あかり咲くKOBE
 先週の金曜日、神戸にワイフと行った(帰った?)。車をハーバーランド内に在る駐車場に置き、用の有るワイフと袂を分かち、所在無い私はブラブラと街中(まちなか)を歩く。途中、安価な冬物の衣類を数点買い込み、駐車場に取って返し、車に置いて再び歩き始める。

 午後6時過ぎ、ルミナリエが開催されている会場へ向かう。

 1995年の12月、旧居留地に灯ったルミナリエの明かりを思い出す。
 「課」の忘年会がお開きになった後、二次会へ向かう途中、旧居留地へ立ち寄った。あの年私たちは「明かり」に飢えていた。1月17日の揺れはKOBEの街の「明かり」を奪った。私たちは闇をまさぐるように生きてきた。乏しい「明かり」の中で、神戸市民の多くは一点の光明を見つめ、共に手を携えて今日を明日を凌いだ。
 12月、震災で心ならずも逝った犠牲者の鎮魂の意味を込め、イタリアに古くから伝わる教会の祭事に使う電飾を、神戸に持ってきた。
 「明かり」が旧居留地の路上にこぼれる中、静かに「明かり」を見上げる人々の目は潤み、心なしか寂しげであった。
 私はあの日あの夜の、こぼれ落ちる光の粒を思い出すと、自然に涙が頬を伝う。

 あの夜から16年、神戸ルミナリエの劣化は避けられない。観光気分で通りを歩く人々。やめる気もないのに、「来年も開催できるように」と、声を荒げ募金を呼びかける人たち。たちこめる屋台の煙。・・・。

 神戸ルミナリエの役目はもう終わったのではないか、神戸ルミナリエは神戸市民の心の中で生かせて欲しい。

2016年12月10日