カメラマン・沢田教一の世界と長岡天満宮
日本各地から梅と桜の便りが同時に聞こえて来る早春の17日、京都へ出向く。
ベトナム戦争中、カンボジアで銃弾に倒れたカメラマン・沢田教一氏の作品展が京都の高島屋で開かれている。
私とワイフは10時前車で有馬街道をくだり、湊川の駐車場に車を停め新開地駅から阪急電車に乗り十三で四条河原町行きに乗り換える。
駅の地上が高島屋になっており、そのまゝ7階へ。
氏の作品を観るために集まった多くの人々に混じって沢田教一ワールドを感傷を持って浸った。
17年前私はベトナムのホーチミン市を訪れた。
その時の感想を拙ブログに以下のように記した。
「 《5月1日に想う》 5月1日は世界がベトナムに沸いた日である。 1975年5月1日のメディアは前日、ベトナム解放軍がサイゴンに入城し、ベトナム南部が解放され、永かったベトナム戦争(1960年〜1975年)の終結を興奮交じりに報じた。
あれから25年後の2000年の秋、私はベトナムを訪れた。サイゴンはホーチミン市になり、戦禍をくぐって来た国土に根をはる人々の笑顔がまぶしかった。メコンはあの日のようにとうとうと流れていた。アオザイの裾が風になびいていた。
解放軍がサイゴン市内からトンニャット宮殿(旧大統領官邸)に向かった通りを見渡せる宮殿のバルコニーに立った。そして、しばしの夢に浸った。
「60年安保に間に合わなかった少年」はベトナム戦争を生きた。」 。
作品を観終わるのに二時間を費やした。一つ一つの作品の前に立ち氏がレンズの先に見たものに迫ろうと目を凝らした。
ピュリッツァー賞の「安全への逃避」の前に十五分ほど居ただろうか、私はかつて佇んだトンニャット宮殿のバルコニーに立ち氏の夢に便乗した。