
桜の咲く頃・「しあわせの村」
神戸市民に親しまれている広大なオアシスが我が家の近くに二つある。
一つは「市立森林植物園」六甲の山懐に抱かれており面積143ヘクタール。
もう一つは総合公園「しあわせの村」、面積205ヘクタール。
ちなみにニューヨークのセントラルパークは341ヘクタール。
四季折々の変化と鋭気を養うためよく訪れるが、この日は「しあわせの村」。
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我が団地のソメイヨシノ
フォト・ラッパ水仙の丘
P・たつの市御津自然観察公園「世界の梅公園」
P・紀州のアマルフィ・エーゲ海・ウユニ塩湖
★2020年12月07日
〇(前)雑賀崎(さいがさき)(和歌山市)/イタリアの世界遺産・アマルフィ海岸似
〇(中)白崎海岸(日高郡由良町)/日本のエーゲ海
〇(後)天神崎(田辺市)/天空の鏡・ウユニ塩湖(ボリビア)似
P・庭園の紅葉 in 洛北
カメラマン・沢田教一の世界と長岡天満宮
日本各地から梅と桜の便りが同時に聞こえて来る早春の17日、京都へ出向く。
ベトナム戦争中、カンボジアで銃弾に倒れたカメラマン・沢田教一氏の作品展が京都の高島屋で開かれている。
私とワイフは10時前車で有馬街道をくだり、湊川の駐車場に車を停め新開地駅から阪急電車に乗り十三で四条河原町行きに乗り換える。
駅の地上が高島屋になっており、そのまゝ7階へ。
氏の作品を観るために集まった多くの人々に混じって沢田教一ワールドを感傷を持って浸った。
17年前私はベトナムのホーチミン市を訪れた。
その時の感想を拙ブログに以下のように記した。
「 《5月1日に想う》 5月1日は世界がベトナムに沸いた日である。 1975年5月1日のメディアは前日、ベトナム解放軍がサイゴンに入城し、ベトナム南部が解放され、永かったベトナム戦争(1960年〜1975年)の終結を興奮交じりに報じた。
あれから25年後の2000年の秋、私はベトナムを訪れた。サイゴンはホーチミン市になり、戦禍をくぐって来た国土に根をはる人々の笑顔がまぶしかった。メコンはあの日のようにとうとうと流れていた。アオザイの裾が風になびいていた。
解放軍がサイゴン市内からトンニャット宮殿(旧大統領官邸)に向かった通りを見渡せる宮殿のバルコニーに立った。そして、しばしの夢に浸った。
「60年安保に間に合わなかった少年」はベトナム戦争を生きた。」 。
作品を観終わるのに二時間を費やした。一つ一つの作品の前に立ち氏がレンズの先に見たものに迫ろうと目を凝らした。
ピュリッツァー賞の「安全への逃避」の前に十五分ほど居ただろうか、私はかつて佇んだトンニャット宮殿のバルコニーに立ち氏の夢に便乗した。
帰路、阪急長岡天神前で下車、長岡天満宮で満開の梅を楽しんだ。
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第48回みなとコウベ海上花火大会
2018年8月4日(土)、1万5千発の花火が神戸の夜空を焦がした。
その日の午後、阪急六甲駅近くの知人を見舞いに行くワイフを高速神戸駅で降ろした後、兵庫埠頭近くの駐車場に車を停めワイフと再び落ち合うまで釣具屋や新開地をブラブラして時間を潰した。
車を兵庫埠頭近くに停めたのは兵庫埠頭が比較的空いてるらしくそこを撮影スポットと定め、その近辺の駐車場を探すことにした。
重い三脚やカメラを持ち歩く歩数を少しでも少なくすること、それと駐車場が比較的空いているところとなるとその辺がよかろうかと。
撮影スポットに込み具合の少ないところを選んだのは、込んでる所は三脚が禁止されていることもある。
花火を写すにはシャッタースピードを遅くし(5秒前後)、開放時間を長く取らなければならないので三脚とリモートシャッターは必須アイテムである。
兵庫埠頭まで行く予定であったが途中、ワイフが熱中症気味だったのと兵庫埠頭を見やると相当な人出だったので、川崎重工と兵庫埠頭の中間辺りで見物するこにした。

(上図★印で撮影)
(下の画像クリックで拡大 × < > が消えてる場合画像左下をクリックして下さい)
夏の但馬路をゆく
激暑というか猛暑の中、兵庫県の北部竹野海岸へ車を走らせた。
目的は烏賊三昧、「休暇村竹野海岸」の「山陰産 《活き烏賊の舞》5種のイカの食べくらべ」を味わいに。

鈴蘭台の家を出て中国自動車道の吉川JCTへ、そこを大阪方面に少し行き舞鶴若狭自動車道に入り、春日ICで北近畿豊岡自動車道に乗る。現在終点の日高神鍋高原ICで降り、R312→R178→県道1号線を通り休暇村へ。
この日の目玉は「剣先いか活姿造り」。
「イカ豆知識」(剣先イカとは・・・)
山陰地方では「白イカとも呼ばれます。柔らかく上品な甘みが特徴のイカです。「イカの王様」と称されるほど人気で、他のイカと比べ高値で取引されています。・・・活きている状態で状態で提供するのは難しく・・・。(休暇村の「品書き」より)
活きたイカがこちらを睨んでいた。

翌日、山陰海岸ジオパークを余部(あまるべ)鉄橋へ。

余部鉄橋の付け替え工事後初めての訪問である。
一部保存されている錆色の橋の傍らに立つと、映画「夢千代日記」のシーンが思い出される。
この橋を電車に乗った夢千代が神戸の病院から帰ってくる。「どんよりした鉛色の空に架かる朱色の鉄橋。高さ41メートル、長さは310メートルに及ぶ。海沿いの集落の上を、山陰線の列車が轟音(ごうおん)を響かせ渡っていく。《この鉄橋は、どこですか》窓の外を見た前の席の男性が驚いた表情で尋ねる。殺人事件の捜査で偶然、乗り合わせた神奈川県警の刑事だ。夢千代が静かに答える。「余部(あまるべ)です」。
「夢千代日記」冒頭シーンである。山かげの温泉町に原爆症を患いながら日の当たらぬ人々に心を寄せ、共に生きた昭和の女・夢千代を演じたのは吉永小百合。
夢千代を演じた吉永小百合は「キューポラのある街で」浦山桐郎監督と共に銀幕にその名を成した(浦山桐郎監督は初監督作品)。
「夢千代日記」が映画化された後、1986年(昭和61年)12月28日の午後、浜坂に客を運んだ帰りの回送電車が余部鉄橋にさしかかった折、突風に煽られ転覆した。
直下の蟹工場で働いていた従業員や電車の車掌さんが犠牲になった。
列車転落事故を機に付け替え工事が行われ、2010年(平成22年)8月に現在の新らしい余部橋梁が完成した。
玄武洞を出て帰路につく途中、大石内蔵助のご内儀・りくの遺髪塚に寄った。
ちなみに、この日(7月20日)の全国最高気温を此処豊岡で記録!、38.9度(C)。
以下は竹野から余部間の山陰海岸ジオパーク(クリックで拡大(× < >)
玄武洞を出て帰路につく途中、大石内蔵助のご内儀・りくの遺髪塚に寄った。
ちなみに、この日(7月20日)の全国最高気温を此処豊岡で記録!、38.9度(C)。

六甲森林植物園のアジサイ
楠正成 in 武者行列
バラ園 in 須磨離宮公園
湯村温泉とジオパーク

「愉快な仲間」と旅をした。
年寄り扱いにされた私は車の運転から外された。
車2台に分乗し三木パーキングエリアで落ち合い山陽自動車道から播但連絡道、和田山JCTで近畿豊岡自動車道に入り八鹿氷ノ山インターチェンジから国道9号線を西へ下り「そば処
春来てっぺん 」を目指す。春来トンネルの手前を山に向かって上ったところにあるソバ屋は蕎麦に蕎麦の実が入った飯と季節の天ぷらそれに煮物の「蕎麦セット」が人気。
私は蕎麦の大盛を注文。
昼食後、ゆむら温泉「ゆあむ」でチェックインを済ませ、源泉付近を散策。
荒湯のそばに吉永小百合を模した等身大の「夢千代の像」がある。また、来る途中に「夢千代館」があった。
「夢千代日記」の映画化が1985年、あれからもう33年経つ、山陰の裏寂しい季節のなか原爆症に苦しむ置屋の女将を演じた吉永小百合の「憂い」は今も変わらない。
宿に帰り、温泉にひたる。
風呂上りに姫たちに叱られないかと気を揉みながらも一杯ひっかけレストランへ(姫たちは気付いていない様子、それとも黙認か)。
夕食後部屋に戻りS女史の祝賀会。
例によって喋って呑んで笑ってピーチクパーチク。
夢千代の里の夜は騒がしく更けゆく。
翌朝、朝風呂に飛び込んだのち朝食。
昨夜の続きかと思われるほど朝食も豪華、朝から胃袋もビックリする多種多様な食事。

満腹感の残る胃を抱え浜坂駅の北、但馬海岸遊覧船乗り場へ向かう。
本日のメーンイヴェント山陰海岸ジオパークの「浜坂・但馬御火浦(みほのうら)コースを遊覧。
乗船前にジオパーク館のスタッフの一人(元地震の専門家らしき人?)から説明を受ける。分かりやすくユーモアを交えた話しぶりに聞き惚れる。
下船したら続きがあるから又来いといわれたが、この日は波が荒く乗船者の多くは船酔いぎみ。
我がグループにも幾人かの船酔い者が出て専門家のもとに寄るのを諦め傍の魚市場で休憩。
酔いの収まった頃を見計らって帰路に着く。
途中、「道の駅ようか但馬蔵(たじまのくら)」にてランチ、みなさん「朝倉山椒と八鹿豚ひつまぶし風」を注文。
写真はワイフと八鹿豚ひまつぶし(ワイフは何故かひつまぶしを《暇つぶし》と呼ぶ)。
市川SAでお茶をして解散。
私たちは神戸へ、もう一台は加古川に寄って神戸へ。
愉快な楽しい旅だった。
・山陰海岸ジオパークの「浜坂・但馬御火浦(みほのうら)コースチラシ


(1)ジオパークとは


「ジオ(geo)」は、地球や大地という意味の接頭語で、ジオパークとは、科学的に見て特別に重要で貴重な、あるいは美しい地質遺産を含む一種の自然公園です。
地質や地形は、地球の歴史を物語っているだけでなく、人の暮らしや文化に直接結びついています。この大地の営みをひとつの遺産として学び、楽しむのがジオパークです。

ヨーロッパの各国、中国、日本など世界各地のジオパークが加盟する世界ジオパークネットワーク(GGN:Global Geoparks Network)は、2004年にユネスコの支援により設立されました。山陰海岸ジオパークは2010年10月にGGNに加盟認定、2014年9月にはエリアを拡大して再認定されました。2015年、世界ジオパークはユネスコの正式事業となりました。(山陰海岸ジオパーク推進協議会)

・右画像;「獅子の口」:空洞が赤鉄鉱のため赤く彩られている異様な岸壁。
・下画像、奇跡の岩たちの一つ「竜宮洞門」
花崗岩の岩脈と周辺の割れ目に沿って岩が波で削られ出来た岩脈。

小型船舶操縦士の免許証の返上と廃船

小型船舶操縦士の免許証を取得して五年が経った。
一ヶ月前有効期限が過ぎ更新せず流した。
一年ほど前、乗せて貰っていた師匠の船がその役目を終え廃船になった。
もう船に乗ることもないだろうと、免許証の返上を決意した。
この間、「漁」の醍醐味と厳しさを充分堪能した。
船酔いに悩まされた時もあった。
仕掛けや操縦の失敗に落ち込んだ日もあった。
大漁に小躍りした朝焼けの海もあった。
いろいろあった船上での経験や感触は今も私の躰にまとわりついてくる。
一昨年の押し迫った暮れのある日、師匠の「愛船」の最後を見送らせて貰った。
師匠(Tさん)と師匠の師匠(Mさん)、大師匠(Sさん)のあいだに私も紛れ込ませてもらった。
送り人が小型船舶を係留している船着場に集まった。
いつの日だったか、私と師匠が漁に出たとき、Mさん、Sさんたちの船に出会った、「こっちで釣れば」といって傍まで寄って釣りをしたことがあった。 三艘で船団を組んでの漁は壮観だった。
いい思い出が残った。
船の陸送は自動車をレッカー車に乗せて移動するのと違ってより多くの手間と労力を要する。
最も神経を使うのは「陸揚げ」の時である。
名人たちのスゴ技をとくと御覧あれ!
★廃船への道を船着場から陸揚げまで以下に示す。


世界一のクリスマスツリー?(KOBEメリケンパーク)
紅葉の森林植物園を歩く
11月30日木曜日、ウオーキングをかねて「紅葉狩り」に六甲の森林植物園を歩いた。
森林植物園は六甲の西部に位置し鈴蘭台の自宅から歩いて行けるがこの日は車。
植物園正門の入り口まで車で10分ほど。
駐車場で身支度を整えイザ。
出発に先立ってまず森林植物園について少し触れておこう。
★神戸市立森林植物園
神戸市立森林植物園(こうべしりつしんりんしょくぶつえん)は、兵庫県神戸市北区にある植物園。1940年に開館した。六甲山地は摩耶山の西、再度山の北に位置する総面積142.6haという広大な樹木植物園で、周辺は瀬戸内海国立公園に指定されている。
日本の代表的な樹木および世界各地の樹木約1200種を各々の原産地の森としてゾーンに分けるなど、自然に近い形での植栽構想に基づき植栽している。( Wikipedia 最終更新日 2017.12.03)
森林植物園の「花ごよみ」によると冬枯れ間近かのこの時期カエデ類の紅葉それにサザンカの花が彩を添える。
総面積142.6ha(甲子園球場3.85ha)の広い植物園をガイドマップを手に歩く。
まずAコースを歩く。
園の中央部を長谷池へ。
最近何処へ行っても外国人が目立つ、この日も多くの外国人とすれ違う。
長谷池周辺を埋める紅葉は見ごろを終えているが、それでも淡い晩秋の光に溶け込み、薄日にひっそりと燃え立つ。
長谷池でAコースと別れBコースへ。
青葉トンネルの手前でBコースからそれて少し険しい山道を辿り植物園の南端にある「展望休憩所」へ。
手持ちスマホの高度計によると標高は451m。
ここは神戸の中心地の裏側にあたり、晴れていれば海が見える。
休憩後Bコースを下る。
途中で昼食。
私が作ったタマゴ焼きにカマボコ、弁当箱に盛られた白いご飯にのった梅干、たったそれだけである。
それだけだが旨い。シアワセ!
チッポケな喜びにシアワセを感じる自分に感謝。
昼食後半分ほど残っているBコースを歩き、Cコースに入る。
Cコースには神戸市と姉妹都市・友好都市を提携している各都市のコーナーが設けられ、その都市の森林に育つ樹木が記念樹として植えられている。
シアトルの森(アメリカ)、天津の森(中国)、ブリスベーンの森(オーストラリア)、リガの森(ラトビア)で遊び、出発点の森林展示館へと戻る。
1万3千歩、10キロの散策は午後3時に終了。
心地よい疲労感に包まれながら岐路に着く。
森林植物園は以下のようなコピーで人々をいざなう。
自然と友だちになろう
★世界の樹林をめぐり
★山野草と出会い
★昆虫や野鳥と語らい
★緑のシャワーで森林浴
★フォトモーション:ズーム
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「滝」の渓谷と鉱山ウオーキング

11月15・16日の二日間、兵庫県北部の天滝渓谷と阿瀬渓谷をハイキング。
朝、淡路を出て山陽自動車道から中国自動車道を経て播但連絡道に入る、そこから北近畿豊岡自動車道へ、養父ICで下り現地に向かう。
天滝渓谷に行く途中、明延鉱山の神子畑(みこばた)選鉱所に立ち寄った。
選鉱所跡に一円電車が飾られていた。


「一円電車」は鉱石を神子畑選鉱所に運ぶために1912年(大正元年)に造られた鉱山列車。
1952年(昭和27年)から大屋~明延間を「一円」の運賃で乗客を運び「一円電車」と呼ぶようになった。
「一円電車」が走り始めた頃の思い出を二つみつ、当時確か一円は紙幣だったように思う。一円紙幣を握り締め駄菓子屋さんに通った記憶がある。お釣りに50銭硬貨?を受け取ったような記憶もある。
その少し前、物心がついた戦後すぐの頃、主食のパンを得るために配給券を持って家の近くの配給所に行かされたことがある。「黒パン」だった。
「一円電車」が走り始めた頃、私は小学校に入った。
給食に進駐軍から支給されたコッペパンと脱脂粉乳がでた。まずかった!
明延鉱山選鉱所から少し離れたところに明延鉱山探検坑道がある。
坑道を見学するには予約が必要、入り口だけ見て天滝渓谷へ向かう。
天滝渓谷入口の駐車場に車を置き、名瀑「天滝」を目指す。

天滝渓谷
天滝渓谷(てんだきけいこく)は、兵庫県養父市大屋町筏にある渓谷。兵庫県最高峰の氷ノ山を源とする渓流天滝川に刻まれた谷で、滝と森林の景勝地。氷ノ山後山那岐山国定公園の区域にあって、原生林に覆われた渓谷沿いの遊歩道は「森林浴の森100選」に選定されている。渓谷には数多くの滝があり、中でも天滝は名高く「但馬名三瀑」の一つとされ、「日本の滝100選」にも選定されている。
(Wikipedia 最終更新日 2016.11.03)
約1時間渓谷を歩く。
苦労して登った先に見えたのが県下最大の瀑布「天滝」、以前は「大屋の滝」と言っていたように思う。
「・・・天から降るかのように流れ落ちるこの滝こそ、落差98メートルと県下一を誇る名瀑「天滝」です。この天滝は、その荘厳で力強い姿と、滝にまつわる伝説などから「日本の滝100選」に選定されています。また、天滝までの渓谷には、夫婦滝(めおとだき)、鼓ヶ滝(つつみがたき)、糸滝(いとだき)などの滝群があり、春の新緑、秋の紅葉を背に落ちる滝、厳寒に凍る滝(完全に凍ることはありません)、四季折々楽しい姿を見せます。この天滝渓谷には森林浴場として「森林浴の森100選」や「ひょうご森林浴場50選」にも指定されています。」(やぶ市観光協会)

「天滝」を堪能して下山、途中「クマ出没注意」の標識にワイフの足取りが速くなる。
今日の宿は神鍋高原・ブルーリッジホテル。
ホテルまで数百メートルのアプローチ、玄関前それに裏庭の電飾が豪華絢爛。
食事も風呂も良。
次の日は阿瀬渓谷をノルディックウオーキング。
取り付きへのアプローチを間違え少し手間取ったが、無事登山口に到着。
20分ほど歩いた所にこの渓谷最大の見所の滝が早くも待ち構える。
源太夫滝である。
紅葉も見ごろ。回りの景色に溶け合って、秋を演じている。
48滝と言われるだけあって、次々に現れる滝たちの舞に時の経つのを忘れる。
3時間ほどのウオーキングだったが、久しぶりに山歩きの楽しさを味わえた。


阿瀬渓谷
阿瀬渓谷(あせけいこく)は兵庫県豊岡市日高町の金山峠(標高760m)を源とする阿瀬川の最上流部一帯の渓谷の名称。阿瀬四十八滝ともいわれる数多くの滝と広葉樹の森林が3kmにわたる景勝渓谷を演出する。
氷ノ山後山那岐山国定公園の区域に指定され、また「ひょうご森林浴場50選」、「ひょうご風景100選」にも選ばれている。( Wikipedia 最終更新日 2016.03.15)
下山して生野銀山に向かうが、「志村喬記念館」を見つけたワイフは銀山の見学を止めて志村さんに会いに行くという。
時間は既に午後4時、ワイフに従うことにし、銀山の正面で踵を返し「志村喬記念館」に急ぐ。
閉館までの1時間ボランティアガイドさんの同道もあって、ワイフは志村喬の足跡を目一杯、食い入るように名優を偲んだ。
5時過ぎ「志村喬記念館」を出て神戸の自宅へ車を走らせた。

★天滝渓谷と阿瀬渓谷の「滝」たち
廃線跡を歩く

JR福知山線は尼崎駅から京都の福知山まで100キロ余りのローカル線である。
途中に「タカラヅカ」があり愛称でJR宝塚線と呼んでいる。
1986年に福知山線の複線化に伴い、宝塚駅近くの生瀬(なまぜ)駅から道場駅まで付け替えが行われた。

武庫川の渓流沿いに走っていた線路が廃線になり、その跡を歩くハイキングが今注目を集めている。
JR西宮名塩駅で下り、構内のコンビニで昼弁当を買って、いざ出発!
途中見つけたのが水を貯めた水槽。
「震災時協力井戸」とあり、阪神淡路大震災の教訓がここにも生きている。
六甲山系の山ふところの住宅地に井戸が数多く残されておりこの井戸が先の震災で大活躍した。
六甲山系に深くもぐる水は阪神地方にさまざまな恩恵をもたらしてきた。
「灘の生一本」で馴染みの酒に使う「宮水」はこの地方一帯から湧き出る水による。
また、神戸の水は腐りにくいと神戸港に寄航する外国船に喜ばれ、神戸港は補給水基地としても世界にその名をとどめた。
「世界に冠たるコウベ」だった頃の話である。
水槽をあとにハイキングコースの道へ急ぐ。
名塩(なじお)駅から旧大坂街道を15分ほど歩くと旧福知山線に出会う。
武庫川の渓流に沿った枕木を踏みしめる。
その昔、列車が通過したあと四国は予讃線の線路を歩いた記憶が蘇る。
線路脇の遍路道を手甲脚絆に身を固めたお遍路さんの道行きが悲しくも懐かしい。
二つほど橋梁の歩道を過ぎたあたりの正面にトンネルがたちはだかる。
トンネルの前でランチを摂る。
名塩駅のコンビニで買ったニギリ飯二つ、ウマイ!
昼食後、300メートル余りのトンネルに入る。懐中電灯の灯りを頼りに暗闇を進む。
懐中電灯をかざす先に見る避難壕やレンガ造りの天井、そして岩肌丸出しのトンネル内壁・・・、明治の産業遺産に胸踊る。
トンネルを抜けると右手に見える岩山たちが大きくそそり立ち、渓流の流れも激しくなる。
短い140メートルのトンネルを潜ると目の前に鉄橋が大きく立ちはだかる。
強度を均等に配した幾何学的な鉄の構造物に酔う。
途中に見る積み重ねられた大量の枕木、随所にある作業員の待避所、手信号を送るために乗る作業台など、古き時代の国鉄が培った意地とプライドを夢の跡に見る。
武田尾温泉近くで廃線敷ウォーキングを終える。
3時間余りのハイキングだったが時の経つのを忘れて電化される前の鉄道の遺産に見入った。

<BE KOBE> in メリケンパークの夜
若草山からの夜景・朝景
トワイライトクルーズ in Kobe
2017年8月18日
国内最大級レストランシップ「ルミナス神戸2」で神戸港トワイライトクルーズを楽しんだ。
先日、六甲山から神戸の夜を見下ろした。今日はクルーズ船で海から六甲の山を見上げた。
私の思い込みに過ぎないかも知れないが、世界に窓を開いたミナトの中で神戸は景観の美しさにおいて世界有数のミナトである。中でも外洋をへて神戸にやって来たとき、その美しさを人は讃える。
波濤を蹴って港内に入ると六甲の山なみの裾野に拡がる街のたたずまいを目のあたりにし、人は至福のひと時に浸る。
ゆるくせり上がった町なみが落ちるところに、櫛の歯のように突き出たいくつもの突堤が旅情をそそる。
奥行きがあって横に広いランドスケープは降り立つ人のロマンをくすぐる。
横浜がアメリカ航路によって文明開化の足音を聴いたならば、神戸のそれはヨーロッパ航路がその役割を果たした。
ヨーロッパの芸術や建築洋式、いわゆるヨーロッパモダニズムが神戸に上陸し阪神間に広がった。
ヨーロッパモダニズムが日本の文化と融合し独特な街並みを形成して行ったのが神戸である。
人はそれを「阪神モダニズム」と呼び、親から子へ、子から孫へと受け継がれて来た。
日本でヨーロッパの都会にあるような街を探すならば、神戸をおいて他にないだろう。それほど神戸の街はあかぬけている。
その神戸を海から眺めた。
メリケンパークオリエンタルホテル東側岸壁を出たクルーズ船は川崎重工、三菱重工の傍を通り港外へ。
神戸空港沖を西に明石海峡大橋を目指す。
六甲連山の菊水山、高取山、その西に須磨アルプスの山々が連なり、山の先に明石海峡大橋が横たわる。
大橋の手前で帰路に着く。
船が港に帰りつく頃、夕日がビルと水ぎわを染める。
ランチと言うには遅い、ディナーには早い食事をしながらの1時間20分のクルーズ。
チョット贅沢なひととき・・・。
・料理のメニューは以下の通り。
「夏の鮮魚のタタキと夏野菜さわやかなトマトのジュレで」「アンダルシアのガスパチョ柚子と白胡椒」のアクセント」「瀬戸内産スズキディル風味のロティトマトフォンデユと共に」「仔牛ロースステーキトリュフソーストマトプロバンスをそえて」「ルミナスオリジナルサマーデザート」「コーヒー」「パン」


神戸帆船フェスティバル
神戸開港150年を記念し「帆船フェスティバル2017」が神戸港のメリケンパーク周辺で行われた。
7月16日の入港風景、17日には帆を拡げ神戸港に浮かぶ姿を観た。
やって来た帆船は、神戸港お馴染みの「日本丸」「海王丸」、日本の港では見られないロシア船籍の「パラダ」、韓国船籍の「コリアナ」、それに2本マストの「Ami」の5席。
5隻の帆船が一堂に会するのは国内初。
16日はルーズセイルの帆船を、17日はセイルドリル(岸壁に停泊したまま帆を張る訓練)後の華麗にして優美な姿に酔った。
☆モーションタイプ:スライドショー
郡上八幡/妻籠宿/恵那峡
森林植物園のアジサイ
玉水ゆり園(篠山市)
2017年7月01日、 篠山市の「玉水ゆり園」へ 。
・敷地面積:約15000平方メートル
・ユリ種類:約60種
・ユリ本数:約10万本
永沢寺の菖蒲園(三田市)
京都迎賓館
諭鶴羽山のヤマザクラとソメイヨシノ
「クイーン・エリザベス」in Kobe
「クイーン・エリザベス」in Kobe
2017年3月13日、海の女王「クイーン・エリザベス」(3代目)が開港150年を迎える神戸にやって来た。
同船初の日本港発着クルーズ。
神戸発神戸着のクルーズに同夜出航した。
撮影は富士通製のスマホ、裏面照射積層型CMOS/約1310万画素広角カメラで撮った。
2017年の初日の出(愉悠舎望楼より)
雲海に覆われた里山
神戸ルミナリエ

神戸ルミナリエ
神戸ルミナリエに行って来た。
過去何度か訪れたが、それぞれに感慨深いものがあった。
近年段々色あせてきて、阪神淡路大震災の鎮魂の役目はもう終わったのではないかと思っている。
今年、久しぶりに光の回廊を歩いた。会場まで、金曜日なのにわりとゆったりとしている。
そぞろ歩く人たちはお喋りに夢中な若者が多い。以前は年配の人たちがそれぞれの思いで周りに配慮しながら静かに歩を進めていたように思う。
光の色は黄色を基調とした電飾から青のLEDに変わった。
震災から20年、震災を経験していない人の割合が市民の42%(2013年)と、ルミナリエを訪れる世代の交代が加速している。観光化したルミナリエニに鎮魂の祈りは聴こえて来ない。
過去ブログから;2011年12月 5日 (月)

あかり咲くKOBE
先週の金曜日、神戸にワイフと行った(帰った?)。車をハーバーランド内に在る駐車場に置き、用の有るワイフと袂を分かち、所在無い私はブラブラと街中(まちなか)を歩く。途中、安価な冬物の衣類を数点買い込み、駐車場に取って返し、車に置いて再び歩き始める。
午後6時過ぎ、ルミナリエが開催されている会場へ向かう。
1995年の12月、旧居留地に灯ったルミナリエの明かりを思い出す。
「課」の忘年会がお開きになった後、二次会へ向かう途中、旧居留地へ立ち寄った。あの年私たちは「明かり」に飢えていた。1月17日の揺れはKOBEの街の「明かり」を奪った。私たちは闇をまさぐるように生きてきた。乏しい「明かり」の中で、神戸市民の多くは一点の光明を見つめ、共に手を携えて今日を明日を凌いだ。
12月、震災で心ならずも逝った犠牲者の鎮魂の意味を込め、イタリアに古くから伝わる教会の祭事に使う電飾を、神戸に持ってきた。
「明かり」が旧居留地の路上にこぼれる中、静かに「明かり」を見上げる人々の目は潤み、心なしか寂しげであった。
私はあの日あの夜の、こぼれ落ちる光の粒を思い出すと、自然に涙が頬を伝う。
あの夜から16年、神戸ルミナリエの劣化は避けられない。観光気分で通りを歩く人々。やめる気もないのに、「来年も開催できるように」と、声を荒げ募金を呼びかける人たち。たちこめる屋台の煙。・・・。
神戸ルミナリエの役目はもう終わったのではないか、神戸ルミナリエは神戸市民の心の中で生かせて欲しい。
2016年12月10日
神戸六甲・修法ヶ原(しおがはら)燃ゆる秋
フォトギャラリー・回廊逍遥(過去ログより)
69回洲本花火大会・弐(愉悠舎望楼より)
69回洲本花火大会・壱(愉悠舎望楼より)
69回洲本花火大会・参(愉悠舎望楼より)
フォト・グラフィティ(「愉悠舎望楼から)
・愉悠舎回廊から撮ったフォトです。 ・以下は過去ログ「フォト・グラフィティ」に添えた文章の抜粋です。
2015年11月11日 (水)望遠2景 500mmの望遠レンズから見た大阪・神戸。中央の高い建物が大阪市阿倍野区にある「あべのハルカス」。地上60階、高さ300m、日本で最も高い超高層ビル。(望楼から直線距離にして約60km)
2015年11月28日 (土)墨色の初冬 冬めいて来た。 樹々は葉を落とし、小鳥のさえずりもめっきり減った。 空も海も薄墨色に染まる午前9時半。 雲を割ってこぼれる薄日が水面に降り注ぐ。
2016年1月 4日 (月)・落日燃ゆ 山影に落ちる夕陽に遠い日が沈む。 残照に燃える陽が目に痛い。 この時期の落日は憂いに沈む。
2016年1月14日 (木)冬の神戸遠望 ワイフの部屋から窓越しに観るコウベ。
背後の六甲山(標高931m)の山上付近は別荘、保養施設、ホテルなどが数多く建ち並び、小学校もある。小学校では毎年10月の二十日過ぎにストーブに灯をつけ、寒い冬に備える。この時期、六甲山系から吹き降ろす強い北風を六甲颪(おろし)と言う。高くて急な六甲の山を背後に持つ神戸港は、水深が深く「天然の良港」と呼ばれる。
2016年2月 4日 (木)霜降る里 冷え込んだ立春の朝、さとに霜が降りた。 山ひだに、あぜ道にうす陽が射す。
フォトギャラリー・ブログ余聞(過去ログより)
過去に綴ったブログから零れた画像を少し載せてみました。
2015年4月10日 (金)
フォトギャラリー・(過去ログ)世界遺産を訪ねて
愉悠舎番人が訪ねた「世界遺産」。
(以下のリストは順不同、ただし写真はアイウエオ順) ・ミーソン遺跡(ベトナム) ・グランプラス(ベルギー) ・キンデルダイクの風車群(オランダ) ・ブリュージュ歴史地区(ベルギー) ・フランドル地方の鐘楼(ベルギー) ・カルタヘナの港、要塞建造物群(コロンビア) ・ベルゲンのブリッゲン地区(ノルウェー) ・ペトラ遺跡(ヨルダン) ・アグリジェントの考古地区(イタリア) ・アテネのアクロポリス(ギリシャ) ・古い街並みホイアン(ベトナム) ・自由の女神(アメリカ合衆国)
形見のカメラ・その2
(過去ログから)2015年9月 6日 (日) 超望遠レンズ; 昨日、神戸から昔の仲間がやって来て、BBQ大会を行った。
その前夜、私が釣ってきた太刀魚をBBQの前に食べてもらった。
少し甘みのあるコリコリ感が何とも言えない。
雨にもたたられず、蒸し暑さの残る中、BBQを楽しんだ。
この春、メンバーの一人が幽明境を異にした。
連れ合いが大きな箱を持って愉悠舎にやって来た。
彼が愛用していたカメラとレンズを形見分けとして預かったが、この度「超望遠レンズ」がその中に加わることになった。
このクラスになると専用の三脚座が付いている。
このサイズで遠くへ持ち運ぶのは大変だ。愉悠舎からの撮影に特化されるだろう。
重なり合う長くて大きいレンズを通して観る世界は、いかなる拡がりが待っているのか?
超望遠レンズ ・TAMRON製; SP AF 200-500mm F/5-6.3 Di LD [IF] (Model A08)


形見のカメラ・その1
(過去ログから)2015年7月 6日 (月)
カメラを譲り受けて;
永年お世話になったK・T先輩が過日ガンに倒れた。
先輩が愛用していたカメラとレンズの幾つかを遺品として頂いた。
先輩の遺志を継いで、今の時代と風物を切り撮っていければと思う。
頂いたカメラとレンズは; カメラキット:EOS Kiss X6i(FRS 18-135mm MACRO 0.39m/1.3ft レンズ①:TAMRON
AF ASPHERRICAL XR 〔IF〕 28-400mm MACRO φ62 レンズ②CANON MACRO LENZ EF100mm 1:2.8
上記に相応しいカメラバッグをと考え、インターネットから気に入った一品を発注する。(下、パソコンの画像)
