4年ぶりの「神戸ルミナリエ」へ。
娘・ワイフそれに私の3人で「阪神・淡路大震災」と「能登半島震災」で犠牲になった人への追悼を行った。
今年は会場が分散され、ゆったりとした鎮魂の夕べとなった。
私たちは居留地の式典に参加し、黙祷したあと、東遊園地を廻り三宮で娘と別れた。娘は奈良へ、私とワイフは鈴蘭台へ。
雑踏の中で夜まで右往左往するのがいささか苦痛になってきた。
また来れるだろうか?
1949(昭和24)年、GHQ占領政策の食糧統制が順次廃止。 廃止される前、配給券を握りしめ近所の配給所に黒パン(ライ麦パン?)を受け取りに通った日々が記憶の始まりだった。 ずっと、記憶の中のパンは黒いままだった。 今、黒いパンはほんのり焦げた、たおやかな薄茶色に変わった。 「黒」から「薄茶色」への旅路を今ふたたび・・・。