映画評論家・淀川長治氏が少年時代を過ごした大正時代の新開地。
氏は此処で育ち後に映画人として私たちに映画のすばらしさを教えてくれた。
「東の浅草、西の新開地」として名を馳せたかつての面影はないが、
淀川長治氏がこよなく愛した「新開地」の夢を追うことはかなう。
此処に一枚の写真がある。(ヒョーゴアーカイブス/兵庫県/利用規約に基く)
大正時代、少年・淀川長治氏が闊歩した新開地の様子である。
写真の場所は現在で言えば湊川公園の出口、新開地通りの入り口付近。
下のマップと照らし合わせて見ると、この一帯に存在する娯楽施設の質と量は半端でない。
写真に下から読んで「コーヒ」、右から読んで「ぜんざ・・」とあるがその位置はイラストマップの左寄り通りの角の「びっくりぜんざい」。
「びっくりぜんざい」から湊川公園側に松本座(のちに松本劇場)、菊水座、朝日館と続く。
反対側に延々と続く娯楽施設。
淀川長治氏がこの界隈に夢を育んで半世紀後、私はこの地で夢を追うことになる。