• うしろ姿のしぐれて行くかー種田山頭火ー

「海平の郷」今昔

何年か前から「断捨離」に取り組んでいる?
その一環として書類を整理していると、一枚の地図が出てきた。
このまま捨てるのも惜しいので、その前に地図にまつわる話を少し。
2006年6月15日発行の季刊誌「you 遊時適」の「vol.3(夏号)」に、「海平の郷」を開発したマリコン「佐伯建設工業(現あおみ建設)」の関係者と雑誌の編集者の対談が掲載されている。その中で「海平の郷」が誕生するまでの経緯をお願いします。という雑誌社の質問に当時「海平の郷」を担当していた佐伯建設の宮崎氏(淡路島シーサイド開発社長)は次のように述べている。
「海平の郷」についてですが、土地は甲子園球場の8.5倍の広さがあり、高いところでは100メートル以上あります。
佐伯建設工業は海洋土木事業が主力で、当地は、大阪湾ベイエリアの各種プロジェクトに対する土地用地として確保しました。ところが種々の法規制から土地を断念し、リゾート地として売り出すことに変更しました。
淡路島シーサイド開発は昭和60年5月に地元の方と共同で設立後、平成11年度に佐伯建設工業の100%出資会社となり、現在に至っています。
造成・整備などを行い、本格的に売り出したのは平成3年から。当初は法人用地には高級マンションを建てて販売する予定でしたが、バブルが崩壊して計画は中断・・・・・・。

と言うことらしいが、何はともあれ造成されなかった10万坪の「海平の郷」の地に多くの「緑」が残った。
「緑」に囲まれ日々営みを繰り返せる身を幸せに思う。
「海平の郷」は元々果樹園だった。
私の子供が中学時代使っていた地図によると淡路島にいくつもの果汁園が点在していた。
下の地図で赤い部分が果樹園、「海平の郷」は津名と洲本の間にある赤い部分。

中学社会科地図・帝国書院(昭和61年3月31日

下・上は帝国書院作製の航空地図から「海平の郷」。
下の二葉から言えるのは多くの「緑」が残されている。
居ながらに「森林浴」を楽しめる幸せに浸っている。

1974年の「海平の郷」
現在(2021年)の「海平の郷」

最後にもう一枚、高所から撮った「海平の郷」。
無断で拝借したのでシーサイドさんに叱られるかも❓

「淡路島シーサイド開発株式会社」ホームページより